D51750(亀山区) 関西本線加太超え ©Kenichi Sohara, 1969
C5789(梅小路区) 山陰本線 ©Kenichi Sohara, 1969
C5767(名古屋区) 関西線 ©Kenichi Sohara, 1969
C5783(名古屋区) 関西線 ©Kenichi Sohara, 1969
六角通富小路東入の宮脇賣扇庵で「京都日本画家による扇子展」が催されている(8月30日(月)迄)。二階に残る富岡鉄斎らの天井画も拝見したいと思い、出かけた。宮脇さんのお店は創業文政六年(1823年)、初代は岐阜のご出身。六角堂の参拝人のためにあった扇子屋の集落の一つに加わられたと云う。現在の店舗は2004年から現在地に移転(以前の店舗を撮った写真、探せばあると思うのだけど)。
蛤御門の変(1864年)で店舗を消失、京都の明治文化財として知られる天井画は三代目の時代に制作、そして、旧店舗から現在地に移し替えたと聞く。「賣扇庵」の号は富岡鉄斎の命名で、四条と三条の間にあった有名な桜の名前に由来。扇は末広がりでおめでたい席には必ず使われる。宮脇祥三氏は1998年のインタビューに「大体、図柄に作家の名前が入っていないんです。これは職人さんと加工する人、我々が一体で作りますので、壁にかけて眺めることもできますが、誰かの作品として眺めるより工芸品として眺めるのが私は好きなんです」と答えている。
お店のリーフに一句あり「ひらかぬは 風のつぼみの 扇かな」よろしいな。
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おめでたい柄の扇はよろしおすな。
菊池芳文、河辺華拳など
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天井画が素晴らしい本店二階。現代の作家作品が飾られている。個人的にはおめでたい柄、オーソドックスな柄に惹かれた。
天井を見上げると京都画壇四条派の土佐光武、富岡鉄斎、小沢文隆、西村秀岳、橋本菱華、三宅呉暁、山本春拳、浅江柳喬、森雄三、浅田霍文、菊池芳文、河辺華拳らの扇画、他に竹内栖鳳、田能村直人、神坂雪佳、木嶋櫻谷等48人が描いている。鏡に映る様も拝見できて、お店の方も優しい対応。拝見だけで購入までに至らない者にも、親切です。ありがとうございました。尚、店内撮影、ブログ紹介は許可をいただきました。
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アールヌーボー華やかな時代の輸出品(?)、店名があるから特注ですな。パッサージュ ギャルリ・ヴィヴィエンヌのカミアはリゴー社が1906年に発売した女性用香水、店舗の6番地は、現在はどうなっているのかしら。どんな香りがそよぐのか、彼の地の気候との相性を思ったりして、御婦人の手元を想像してしまいます。
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27.7 × 19.5 cm 168pp.
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昨日紹介したアングラドン美術館の展覧会カタログは、1月末に国内の取次書店に注文、それが7月に入って「取扱不可扱い」となった。書籍コードは採番されていても、地方美術館での細やかな展覧会カタログ、一般のルートにはのらなかったのかもしれない。それで、落胆したのだが、リヨンの新刊書店のサイトに、しばらくしてあがたので、送料が恐ろしく高額(個別発注ですから)なれど、急いでクリック。最速扱いにすると8月6日(金)までには、京都に届くとサイトには表示されていた。
注文前に確認したところは、良い感じの書店なんだけど (書店の様子はグーグル・ストリートビューから引用)
それが、8月11日(水)になっても届かない。思わず書店にメール(待ちすぎると保険適用期間を過ぎてしまうのです)。彼の地の人はおおらかだから「追跡番号を教えて」と言っても返事がないし、困りもの。まあ、こちらがアクションを起こせば状況は変わるもので、翌日、荷物は丁寧に梱包されたEMS便で到着。それで、追跡番号から確認すると、リヨン発が8月2日(月)ではありませんか。注文したのは7月22日(木)、バカンスなんでしょうかね。これでは、受けての待ちぼうけは予測不能、どうにもなりません。
アヴィニヨン レピュブリック通り (グーグル・ストリートビューから引用)
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南仏の観光都市・アヴィニヨンでマン・レイ展が開催されている(5月27日〜10月3日迄)。同地の裏通りにあるアングラドン美術館は18世紀に建てられた旧邸宅の中にあり、著名な服飾家ジャック・ドゥーセ(1853-1929)の相続人夫妻によって設立されたものである。ドゥーセは著名なファッション・デザイナーとして19世紀後半から20世紀初頭に活躍、華やかで贅沢でありながら気品を失うことのない製品は、当時の富裕層から支持され大人気となった。彼は印象派など最新の芸術傾向から刺激を受けたこともあり、自身で膨大なコレクションを形成した。
シュルレアリスムの活動に資金援助をしたドゥーセは、ブルトンやアラゴンを顧問に雇う。1922年7月10日にブルトンがマン・レイを紹介したと云う。
今回の展覧会は「マン・レイの書籍、素描、オブジェ、油彩を集めようとしたため、写真はわずかしか存在しない」と学芸員のローレン・ラズはテキスト「マン・レイとして知られている」で述べている。出品点数は57。版画集(?)では『回転ドア』『エレクトリシテイ』、書籍では『マン・レイ 写真 1920-1934 パリ』『自由な手』『ファッシール』『写真は芸術にあらず』、油彩では『終わりよければすべて良し』『壁』『赤い騎士』『詩人(ダビデ王)』など、版画も多い。
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会場画像は情報サイト「ドーフィン」から引用
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アヴィニヨンは法王庁などの歴史的建造物も多く世界遺産に登録されている。ブルトンが訪れた様子は『ナジャ』で描写されているし、ローヌ川に架かる崩壊の後、放置したままのサン・ベネゼ橋は、マン・レイがエロティックな裸婦が横たわるデッサンで夢のように描かれている。わたしがこの地を観光したのは15年前の3月、レピュブリック通りのブログ上段画像左端の店、ブラッスリー・ル・シントラで昼食、美術館に行きたかったが月曜日でクローズ、近くの新刊書店フナックでマン・レイの写真集を一冊求めただけだった。当時の旅行記に「今は冬の季節、芽吹き前の街路樹はキュビスムの絵画だ。昼食の店に向かって石畳を歩く時の懐かしい感じは、石の硬度が身体の何処かに残っている記憶に繋がって安堵感をもたらすのだろう」とわたしは書いた。以下を参照してくれると嬉しい。
8月27日はマン・レイの誕生日。今年は彼の作品カードを紹介したい。パリの画商マルセル・フィリアスがポンピドゥセンターへ寄贈したのは、作家が備忘録的な確認カードとして1910年代を中心に作ったおよそ140枚のカード。売却や委託で手元から離れた油彩等を写真に撮ったり簡単なデッサンをしたりしてタイトル、サイズなどと共に記録、そして、裏面などに作品の最新所在が分かるようにメモをしている。これはマン・レイ研究の基本情報であるのだが、長く所在が不明でマルセルのところから現れた時には小躍りした(いろいろな噂が流れていたのですな)。2009年に寄贈され、近年、ネットでも公開されるようになった。便利な世の中になったものだ。
カード12.6×7.5cm 写真9.5×7cm 表面
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上図は「Invention(創案)」と題したミクストメディア作品(61×45.7cm)で、作家が初期作品に対して包括的なタイトル付けていた時代。1915-17年の間に5点の同名作を確認できる。本作は後に『自画像』と呼ばれるが、ダニエル画廊での二回目の展覧会で発表した様子を自伝で「とくに一点の作品は、『自画像』という題で、物笑いの種になった。それは黒とアルミ色の地のうえに電気のベルふたつと本物の押しボタンを取付けたものだった。中央部分には、手を絵具のパレットに付けてその手形を署名みたいに記してあるだけだった。ボタンを押してみた人は、ベルが鳴らないのでがっかりした」(千葉成夫訳)と言及している。1916年の年末から翌年1月16日迄のニューヨーク、観客が作品に参加する、良いですな。
裏面
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メモからすると、ダニエル画廊から戻された後、妻のアドン・ラクロアのところに置かれ、壊れてしまったようだ。夫婦仲が最悪になりかけた時期で、マン・レイが家を飛び出した時に持ち出さなかったとも推測される。後に再制作され、プレキシグラスでの版画にも置き換えられている。
C6217(糸崎区) C59162(糸崎区) 呉線 ©Kenichi Sohara, 1969
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多くの人に助けられてこの歳になった。── 京都から出られない毎日なので、昨日の本ブログでも書いたが、ネット回遊が最近の楽しみ。60年代に鉄道ファンとして過ごされたシニア組のブログを拝見して、懐かしく思うことが多い。
名古屋機関区で知り合い、ご自宅がわたしの実家に近かったので懇意にしてくださった鉄道ファンの先輩に曾原健一さんがいらっしゃる。船舶設備の仕事の関係で海外航海も多く、日本に戻られた折などに長期休暇をとって撮影をしておられた。氏が撮られる蒸気機関車の写真はトライXを使って「鉄」の魅力を存分に表現した名作。沢山拝見し、沢山プリント(キャビネ版、光沢)を頂戴した。それをアルバムに貼ったのが下に示す「STEAM LOCOMOTIVE IN JAZZ」。写真集『大須』のような糸かがり本です。
関西線の赤ナンバーC57最終運転のレポートを連名で雑誌・鉄道ジャーナルに投稿できたのも、氏のおかげだった。しかし、亡くなられたと聞いた。もう、氏がブログなどで写真を発表することは出来なくなったので、追悼の思いを込め、後輩が手元のアルバムから幾枚かを選び紹介したい。それらは1969年前後の撮影と思うが記憶が曖昧になっており、撮影地も分からないので、機関車データベース(http://d51498.com/db/)の助けをかり該当車の所属機関区を示しておきたい。
27.2×19.7cm 26pp.
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C11311(姫路第一区) ©Kenichi Sohara, 1969
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高校三年生の夏休みに北海道に渡り、C62重連牽引の急行ニセコを撮ったのは、良い思い出。最近、シニア組の「撮り鉄」サイトを楽しみにネット巡回をしているわたくしなのですが、同じ撮影地でカメラを並べてシャッターを押した先輩に気づいて眼をパチクリ(お名前を知りません)。大沼公園でスワローエンゼルのC622号機を撮った時に、近くにいらっしゃったのです。その方は小生より左手でカメラを構えられた様子ですが、写真のキャプションに「C622号機牽引の103レ 大沼公園~赤井川にて1969年8月25日撮影 手前に見えるのは小沼」と書いておられる。ユースホステルのスタンプを見ると、24日にニセコ、25日に大沼と宿泊、52年前の夏が蘇る楽しい趣味の世界です。
記憶では1969年8月22日に撮影したのが、ここに挙げた一枚。C6244号機が前補機を務めたのは明白なのだけど、本務機はC623号機だっただろうか。アルバムが押入れの中なので確認しなくちゃ。 この方のブログによると「C6244号機は、動輪の軸受の発熱がひどく、乗務員の間では敬遠されて居た。車軸と軸受のクリアランスを0.5 mm以上にしないと発熱が収まらず、頭の痛い機関車だった。それが、1966年頃の全般検査から戻ってくると、ピタリと直ってしまった。それまでは、発熱故障で随分休んだので、「横着もの」と呼ばれていた」とあって、高校生では、ここまでの知識は持てなかったと思う(感謝)。
8月14日(土) ─3 下鴨
都会好き、電車好きとなると、このような絵葉書を買ってしまいます。
CARTE POSTALE 8.7×13.6cm BUDAPEST. Apponyi place with the "Clotilde Palaces". 1910-20's
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画面上のブタペスト市電はガンツ社製と思われるが形式などは不明。同社は1844年創業で鉄道車両の電気駆動のパイオニアとして知られる。ネット検索によればブタペストの市電網は1866年から開発され、世界最大規模との事。20世紀初めには二つの会社が運営しており、車両に掲げる系統番号の偶数はBVV社、奇数はBKVT社として表した。
絵葉書に撮られた場所は、アポニイ広場でネオバロック様式の双子の建物であるクロッティルド宮殿の後方にドナウ川に架かるエリザベート橋のゲートを確認できる。宮殿は鉄骨を石で覆った構造で、王冠のレプリカ状のものを屋根上に置き、エレベータ設置やガラス窓など、豪華さの象徴として当時の市民に親しまれた。ピューゲルの角度からすると市電は遠ざかると推測。
ブタベストのデウナ通り 2018.6(グーグルより引用) トラムの設備は撤去されています。
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CARTE POSTALE 8.7×14cm MARSEILLE Rue Canneblène 1910-20's
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マルセイユ市電のルーツは1876年営業開始の馬車鉄道。路線の電化は1892年からで、1914年には100系統以上合計167kmの路線網に発展した。1950年以降は時代遅れとみなされるようになったが、大規模な改良工事を経て2007年以降復活。斬新な車両が投入され魅力的。
ネット検索をしていたら國府久郎氏の論考「20世紀初頭マルセイユにおける路面電車ネットワークと都市化──絵葉書の分析を通じて」(PDF) (『歴史地理学』2014.9)に遭遇。氏は「絵葉書における路面電車のイメージ」の章で、「遠近法を用いた写真絵葉書は無数に残されているが、路面電車と線路はその場面により立体感と躍動感を与えているかのようである」「カンヌビエール通りが主題の絵葉書では、マルセイユの写真家や版元は路面電車の架線に価値を見出し強調したー(略)ーこの地方大都市では、電線と電柱は科学技術の進歩の象徴として絵葉書に写し出されたのであった」と論じ、なるほど、その通りと絵葉書収集に邁進する、わたくしなのです(笑)
マルセイユのカンヌビエール通り 2019.5(グーグルより引用) トラムの設備は撤去されています。
8月14日(土) ─2 下鴨
POST CARD 8.7×14cm OXFORD ST, LONDON 1910's
POST CARD 8.7×14cm CHEAPSIDE LONDON 1910's
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石の国の100年前の絵葉書を観ながら、グーグルのストリートビューを観ていると時を忘れる。上段のオックスホード通り306番地の建物は、ダン・ハリス・エバンス百貨店で、ネットで調べたところによると1階に一般的なカーテン、2階に女性用のマント、ジャケット、コスチューム、ミリナリー、地下に、カーテン、ラグ、陶磁器、ガラス、ノベルティ、文房具などが置かれていたと云う。 下段のチープサイドはセントポール大聖堂の右上にあたると思うが、図像右上の塔はセント・メアリール・ボウ。二階建てバスからの視点のようで興味深い。尚、2019年の二枚は筆者撮影による。早く、旅行が再開できますように、バーチャルばかりでは、ストレスMAX。
PICCADILLY CIRCUS, LONDON 2019
LONDON TROOPS WAR MEMORIAL, LONDON 2019
8月14日(土) ─1 下鴨
よく降りますな、「もう許してよ」の気分。糺の森での納涼古本まつりも二日目、三日目と雨天中止、なんとか14日(土)に再戦できたが、その後もパラパラ濡れる悪天候、古書店のみなさん、ファンのみなさんお疲れさまでした。甲子園の高校野球も雨天順延が六度目になると聞く、コロナの緊急事態宣言対象も追加され、さらに大雨は続きそうで、全国の被害が拡大されないよう願う。さて、この先、いったい、どうなるの---
寸葉さんに再戦した折の、絵葉書を報告しておきたい。
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絵葉書の楽しみは、人々の間を行き来したアウラが今も残っている魅力だろうか? 100年程(消印、1926年9月13日)前のウィーンから名古屋へ宛て投函された一枚、カラフルな街と切手の意匠。図像のモニメントは1860年代にオースリア=ハンガリー帝国の海軍で活躍したヴィルヘルム・フォン・テゲトフ提督を讃えるもので、同市の北部プラーターシュテルンに建っている。円柱の両脇に飾られた錨と船のくちばし、尖塔の提督は高さ3.5m。グーグルで現存を確認できる。絵葉書の差出人はシェーンブルグ宮殿の西に住んでおり「富士山」が描かれたカードを所望しているようだ。絵葉書交換のネットワークがあったのかしら。
9×13.8cm WIEN II Praterstern
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Postkarte 9×14.2cm Bad Altheide, Kurplatz
画像はポーランドにある温泉保養施設バッド・アルタイデ(現在のボラニツァ=ズドルイ、チェコとの国境近く)。消印がはっきりしないが1930年9月16日と読め、ベルリンで落合、出掛ける約束を交わすような文面(チンプンカンプンだけど)。歴史のヒダに入り込み、ゾクゾク。