千葉文夫著『ミシェル・レリスの肖像』みすず書房 2019年刊

P.208-209 右図は無声映画『幕間』の場面 ── チェスをするデュシャンマン・レイ

 

千葉文夫著『ミシェル・レリスの肖像』 25×15.3cm 264pp.

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 著者は小生より3歳年長の1949年生まれ。マン・レイが撮ったレリスの写真が表紙に使われているので手にとったところ、すこぶる面白い。(研究)対象とともに生きてこられたのですな、著者のアプローチに小生と重なるところをいくつも見つけ、共感した。

「古典的な意味における『自伝』や『自画像』が一個の特異なる個の記述をめざし、特異性を保証するために何らかのかたちで不変の自己同一性がもとめられるとするならば、レリスにおける最大のパラドクスとは特異なる個の探求が他者になりかわってゆくプロセスをも含んでいる点にもとめられるのではないか」(197頁)

「愛玩物のようにして記憶のなかの事象を呼び戻し、微に入り細に入りその描写を始めるとき、レリスの言葉はとくに生き生きと輝きはじめるように思う」(211頁)

P.218-219

「レリスの日記には、十九箇所におよぶデュシャンへの言及がある」

P.226-227 『サロメ』を演じるクレール・フリシェ

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 レリスの自殺未遂事件は一九五七年五月末。

 千葉氏のあとがきに「パリを訪れるたびに、記憶は鮮明なのに、時系列の混乱に似たものを体験することになるのはどうしたことなのか」とある。

道具学会

 東の友人から鳩居堂製の葉書での便りを頂いた。季節が移りますね。中に「道具学への招待」と記した案内が含まれていた。ライカの話題なので、京都写真クラブのライカ担当(おおげさ)として興味を持った。「ヨーロッパのカメラショップに並んでいるライカは美品が多いが、アメリカでは程度の良いものが少ない」とある。その理由は下図を読んでいただくとして、道具学会とは驚き、さっそく学会のサイトを覗いてみると、葉書は会員執筆による通信で年12回発行、面白いワードが満載、「物狂い」の小生としては、お仲間を発見した気分です。学会のサイト→ https://douguology.jp/

 そうそう、拙宅にやってきたライカの話もしなくちゃいけませんね。


14.8 × 10 cm

ヴェルダン 1916年


 ヴェルダンはルクセンブルクなどのドイツからパリに続く街道の要所にある要塞都市で、第一次世界大戦の激戦地として知られる。フランス軍を消耗戦に誘うためドイツ軍が1916年2月21日奇襲攻撃を開始。12月までの戦いで、フランス軍362,000人、ドイツ軍336,000人の死者を出した。後者の作戦は失敗し、いくつかの教訓が残された。ウィキよるとドイツ軍参謀総長エーリッヒ・フォン・ファルケンハイムは当初から「同数同質の敵の防御陣地を、歩兵の徒歩行軍で突破することは至難」と分析しており、若いヴィルヘルム皇太子の問題も指摘される。葉書は市の中心部ボールペール通りを警備するフランス軍兵士。歴史は繰り返されますな。

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2022年の様子をグーグルのストリートビューで観ております。

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 1916年をマン・レイから捉えると、初個展が終わりリッジフィールドの芸術家村からニューヨークに戻り新しいスタイルの絵画制作をさらに進めた年。スイスでダダが生まれるのですな…… 

大丸百貨店京都店

 

 

in『モダン建築の京都』展 2021.9.25-12.262013.5 大丸百貨店京都店 竣工: 1928年 鉄筋コンクリート6階建てネオゴシック様式アールデコ装飾 設計: ヴォーリズ建築事務所。

 ウィキによると「大丸百貨店の起こりは京都伏見にあった呉服店『大文字屋』、後に両替商も兼ね大阪、名古屋に進出、『幕末には高島屋に対抗して幕府側についた』。創業者の下村彦右衛門正啓(1988-1748)は、『福助人形』伝説の一人と言われるほど人情に厚く、律儀で誠実な性格、『現金正札販売』がモットーで先義後利の人。」企業のDNAに引き継がれていますな、先般からのコロナ対応など地元のT百貨店との違いに、納得します。

 小生、京都店の建物についてときの忘れもののブログで次のように紹介した。── 四条烏丸東入ルの大丸百貨店は1921年に火災で全焼した後、再建するビルの設計をヴォーリズ建築事務所に依頼、1928年まで三期に分けて鉄筋コンクリート6階建てネオゴシック様式アールデコ装飾の店舗を建てた。残念ながら四条通りに面した華やかなファサードは戦後の大規模改装で姿を消し、今は南東角の高倉地下階段装飾に往時を偲ぶだけとなっている。阪急電車を降りて地下通路から地上に出る折に見上げる階段正面に、2階バルコニーに備えられていた飾灯具が置かれている。振り返る壁面にはヴォーリズが好んだ八芒星の意匠。幸せの象徴としての宗教的意味合いがあると聞く。東華菜館にもありましたな。

2016.5

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2021.11

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[ときの忘れもの拙稿] 『小さなカタログ、見上げる建築』 『親しげなヴォーリズ建築』

YOKOO TADANORI COLLECTION GALLERY 2022 Part1 at 横尾忠則現代美術館

もとは兵庫県立近代美術館、懐かしいですな。

多彩な芸術家・横尾忠則を紹介する横尾忠則現代美術館で、新作「寒山拾得への道」と同時に、氏が所蔵するマン・レイ作品のオマージュ展示が同館(4F)のコレクションギャラリーで開かれている(7月18日迄)。『マン・レイの夢』と題した氏の油彩をメインにマン・レイの版画(フェルー通り、ふたつの顔のイメージ、処女)と26点組のポートフォリ: 女性たちが展示されている。日々、掛けて楽しんでおられる美術品との事。会場でのパチリが許されていないので、作品のエディション番号や状態などを記憶に留めた。

 この後、ミュージアムロードを下って、兵庫県立美術館での『関西80年代』展のプレスレビューに参加。

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よく歩きました。歩数13,439

上生菓子 by 笹屋伊織

5月に御所の北側、近衛邸跡に笹屋伊織が手掛けるカフェ「SASAYAIORI+京都御苑」がオープンした。糸桜で有名な場所が整備され、緑を楽しみながら寛げる空間となっている(らしい)。気になっていたところ、幸い近くに用事があったので訪問。しかし、小生にはハズレでしたね。どら焼きが提供される日でないことは分かっていたけど、お菓子もお抹茶も、なんだかね──といったあんばい。セルフサービスは受け入れるけど、お店が目指す「環境保全への取り組みと京菓子の持つ文化や歴史の継承を備えたサステナブルな茶房つくり」というのは、どうなんでしょう。横文字使ってほしくないな「サステナブル」って持続可能な社会を目指すってやつ、暮らし方についての提言を理解はしているのだけど、選択不可の上生菓子と落ち着かないBGMの中での「ダマ」ありですから……

 

京阪神急行電鉄京都線河原町駅(現・阪急電鉄京都線京都河原町駅) 

in『モダン建築の京都』展 2021.9.25-12.26

2021.12 阪急電鉄京都線河原町駅(現・阪急電鉄京都線京都河原町駅) 竣工: 1963年。川上貢監修の『京都の近代化遺産』(淡交社 、2007年)によると大宮開通のあと「京都側は河原町まで延長することが予定されていたが、世界恐慌や戦争のため巨費を要する地下鉄線工事は困難となり、開通は1963年までずれ込んだ」とある。また、島本由紀の『Kyoto Love. Kyoto』によると祇園祭が終わった1961年8月から工事は始められたが、四条通りのオープンカット方式による重い鉾への影響を懸念し翌年の巡行は中止され、居祭りとなった。

京都線終端車止め。この先は高瀬川、鴨川となります。

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 四条通りを貫く地下通路、「中央に柱がないのは、下に線路のポイント」があるためだそうです。

[ときの忘れもの拙稿] 『小さなカタログ、見上げる建築』 『親しげなヴォーリズ建築』

旧京阪電気鉄道京阪京都駅(現・阪急電鉄京都線大宮駅)

in『モダン建築の京都』展 2021.9.25-12.26

2021.12 旧京阪電気鉄道京阪京都駅(現阪急電鉄京都線大宮駅) 竣工: 1928(1931)年 鉄骨造 設計: 不詳。1928年秋に仮駅で開業した京都西院駅四条大宮まで東進させ営業を開始したのは1931年。島本由紀の『Kyoto Love. Kyoto』によると「市内中心部を目指す新京阪は四条通に沿って東進させたいのですが、途中に国鉄山陰線があるのでこれと平面交差はできません。そこで高架による延伸も計画されましたが、市内中心部ほど家屋が密集していてその買収を考えると現実的ではなかったようです。一方京都市は大宮~西大路間の四条通の拡幅を計画しており、そのための費用を新京阪が負担することを条件に地下に電車を通すことを認めたのです。したがってこの区間は道路の拡幅と地下鉄建設がセットで進められたのです

 四条大宮は、阪急電車嵐電、市電(トロリーバスを含め)が行き交う京都の西のターミナルとして戦後も長く賑わった。

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現ダイヤの特急「大阪梅田」行きは通過します。

[ときの忘れもの拙稿] 『小さなカタログ、見上げる建築』 『親しげなヴォーリズ建築』

旧京阪電気鉄道京都西院駅(現・阪急電鉄京都線西院駅)

in『モダン建築の京都』展 2021.9.25-12.26

2020.5 旧京阪電気鉄道(現阪急電鉄京都線)西院駅 竣工: 1928(1931)年 鉄骨造 設計: 不詳。現在の阪急京都線西院駅は地下にあるが、1928年秋に催された昭和天皇即位御大典に間に合うよう地上の仮駅で開業した。島本由紀の『Kyoto Love. Kyoto』によると線路は西院止まりで「現在の西大路四条交差点の南西方の地上に木造の駅舎やホームが作られ『京都西院』駅と名乗」ったそうです。── 駐車場などがあり街路の並びに痕跡が認められる。

 その後、市内中心部に向かって線路を東進させる計画を持つも、国鉄山陰線がある為平面交差ができなく地下鉄として1931年に大宮まで延長されました。地下水がわく難工事を克服した関西で一番古い地下鉄だそうです。入り口に掲げられた「天人併其功(てんじんそのこうをあらわす)」の下部に鷲の像。扁額は1931年3月31日に西院〜大宮延長工事開通に際して新京阪の社長によって掲げたもので、「天の力と人の力が合わさってなと遂げられた」の意。

2021.12

 

[ときの忘れもの拙稿] 『小さなカタログ、見上げる建築』 『親しげなヴォーリズ建築』

人文書院 創業100周年


18.2 × 13 cm 48 pp. 非売品

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 日本心霊学会出版部として誕生した人文書院。小生、名古屋時代に『アンドレ・ブルトン集成』の刊行状況を何度か問い合わせた記憶がある ── 残念ながら集成としては完結しなかったが『シュルレアリスムと絵画』は形を変えたものの刊行され嬉しかった(感謝)。

 本冊は京都の出版社を考える貴重な資料になると思う。同列に捉えるのは無理があるとしても近年の京都では一人出版や家族出版が多い。小部数すぎるので論外としても、小生が銀紙書房の名前で『時間光』を上梓したのは1975年で、これまでおよそ35 冊を刊行。一子相伝できれば良いけど、一代限り、後しばらく、50年は続けたい。手作業が出来なくなりつつあるのですな(ハハ)。

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月鉾では今年から懸装品の通年公開が始まっています(毎月、第2、第4の土・日曜日)。

水無月 by きねや老舗

白、黒糖、抹茶

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 七条通西大路東入ルに店をかまえる和菓子司・きねや老舗は現役時代に茶道部の女子社員を中心にお茶会のお菓子などで世話になった店。久しぶりに前を通ったので買い求めた。懐かしいですね。1941年創業で現当主の佳介氏で三代目だそうです。

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近くには、このようなお宅も。Dさんどうしているかしら。

JR貨物は遠いです(涙)

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 昨日は長岡京のスーパー・イズミヤで第1回「長岡京古本まつり」が開かれると云うので健康散歩を兼ね出掛けた。8店舗の参加であるようだけどハズレだった。でも、目的は散歩、田植えが始まっています。久しぶりに見る光景で良い気持ち…… ご苦労さまです。

EF65 2066 EF65は1965年に開発された平坦路線向け直流用電気機関車。同形式は1979年までの間に308両製造され、形態の変更も多い。

 

JR東海道線長岡京駅

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 阪急からJRに移動し、ホームでしばらく「撮り鉄」モード。お仲間は200ミリにコンバーターを付けての400ミリ仕様。「貨物を狙うのは超望遠でないと無理」だそうです。昨今の皆さんは脚立も持参、「JR貨物時刻表」で確認されてますな。小生などは鉄道管理局からダイヤグラムを取り寄せ狙っていた世代なので、送料込みのこの時刻表(公益社団法人・鉄道貨物協会)は知りませんでした。書店でも売っているようで容易に入手可能な様子。「これは、群衆心理で加熱しそうだ。大変、大変」

 


JR東海道線西大路駅

EF510-506 EF510は2001年から日本貨物鉄道が製作する交直流電気機関車

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 ホームでの電気機関車パチリは、柵外のレールを走っていたりして難しい。JR貨物の勉強はこれからです。尚、本日の歩数は8,086。