『芸術家たちの南仏』展 at DIC川村記念美術館

● DIC川村記念美術館の『マン・レイのオブジェ』展に続く企画は、『芸術家たちの南仏』展、HPでの予告画像には小生も架蔵する雑誌『ヴェルヴ』第4巻13号が使われていたので、良い印象を持った(手前勝手ですが)。展示にはセザンヌデュフィマティスピカソシャガールなどの油彩の他、マン・レイの映画『骰子城の秘密』(1929年)や詩画集『自由な手』(1937年)などが含まれる。尚、展覧会は6月18日(日)迄。

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南仏・ニース、正面の最上階に晩年のマティスが住んでいた。(2006年3月) → 

https://manrayist.hateblo.jp/entry/2021/04/23/060000

ミュゼカラト

ピカソとその時代展』記念豆皿、お洒落。

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 若い友人と隣接する大阪中之島美術館1Fの「ミュゼカラト」でランチ。「スペシャルワンプレート遊園地」と言うそうです。合流前にスマホで注文されてしまったので、アルコールのリクエストが叶わなかった。マティスを話題に一杯と、したかったのでありますが……

採用されなかったマティスの図案

● 上図はベルクグリューン画廊での2度目の個展(1953年1月1日〜2月1日)のために画家が制作したポスター図案である。この図案は結局採用されなかったが……(解説パネル) 

 

● 美術雑誌『ヴェルヴ』第4巻13号の採用されなかった表紙図案。

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 今回の『ベルリン国立ベルクグリューン美術館展』では、作品それぞれにマッチした額縁の選択に感心させられた。小生も探しているが難しい。また、特に惹かれた作品は上掲の2点、マティスは良いですな。

 

メル・ボックナー at 国立国際美術館

「ボックナーも面白いよ」とSさん。2021年に国立国際美術館が収蔵した『セオリー・オブ・スカルプチャー(カウンティング)&プライマリー』の展示、会期はこちらも5月22日迄。メルボクナーは1940年に生まれたアメリカのコンセプチャル・アーティスト。リーフレットに再展示に際しての彼のテキストが林寿美訳で掲載されている。

『セオリー・オブ・スカルプチャー』における関心事は抽象的ではない。私は形態という意味での彫刻には興味がない。数字と石は並列しながら相反する次元に存在している。同じことを明示するように見えながら、両者は決裂しているのだ。地図は風景ではない。底知れぬ深く巨大な空白が、声明のための空間と物体のための空間を分かつ。そしてこの空白を埋めないようにすることが、『セオリー・オブ・スカルプチャー』の目的である。

 

ブライアン・エリス博士の『測定の概念』からの引用

5=5

等しく不均衡

マン・レイ受容史-15 ルリュール

銀紙書房・近刊『マン・レイ受容史』は、製本工程に入っております。今回はコデックス装とするので三本縢り、その為、作業が煩雑になっています。糸が絡まないように手順を見直しながらやっておりますが、縢るだけで一冊に2時間かかります、スピードをあげると雑になるし、老眼の身には困ったものです。



● 備忘録

3/16 22:06 パピヨン縢り工程は、頁貼り込み、本紙カット、針穴開けなどを含めると、3日で5冊のペース(6冊終了、残り19冊)。背固め工程に入ったら、改めて、報告いたします。

ベルリン国立ベルクグリューン美術館

グーグル ストリートビューから引用

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 国立国際美術館で開催中の『ピカソとその時代』展(5月21日迄)は、1996年から公開された画商のハインツ・ベルクグリューン(1914-2007)のコレクションを、2000年にドイツ政府とベルリン国立美術館が購入したものからなっている(ウィキによると自身の評価額7億5000万ユーロ)。ベルリンで生まれたベルクグリューンの生涯については、興味深いエピソード満載の「自伝」があるが、第二次世界大戦前の1930年代にアメリカに渡り美術評論家を経て学芸員、1940年代には画家フリーダ・カーロと交際したことなどが知られる。

 上掲の美術館は2022年9月から外壁解体や地下石積防水対策などの大規模工事を行い閉館。その為、重要作によるツアーを日本、中国(上海、北京)、フランス(パリ・オランジュリー美術館)で開催、2025年に再オープンの予定となっている。

 尚、展覧会のカタログを開いたところ、ウィーンでお世話になった学芸員が同館に移動しテキストを執筆されていて驚いた。クレーへの考査、なかなかよろしいな。

ジャコメッティ

● 『ピカソとその時代展』 at 国立国際美術館 ヴェネツィアの女 IV』ブロンズ 1956年

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ジャコメッティは彫刻と絵画において、自分の目に見えるままの人間を表すという課題を追求し、脆さを抱えながらも空間の中で確かな存在感を持つ人間像を生み出した。(解説パネル)

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左 ピカソ『アルジェの女たち(ヴァージョンL)』油彩 1955年、右2点 国立国際美術館蔵ジャコメッテイ『ヤナイハラ I』ブロンズ 1960-61年、『男』油彩 1956年

『広場 II』ブロンズ 1948-49年

阪急電車京都本線 桂川橋梁他

09:11 対向車が橋梁を超えてしまいました。残念-1

16:37 花粉と黄砂で愛宕山が霞む。

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09:28 西山天王山 ━ 大山崎間 早く来い来いサンダーバード、タイミングが合いません。残念-2

雑誌『ヴェルヴ』第4巻13号


VERVE REVUE ARTISTIQUE ET LITTÉRAIRE DIRECTEUR : TÉRIADE VOL. IV, No 13  1945年刊 35.7 × 26.4 cm 

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● 上掲は小生が架蔵する昨日紹介した国立国際美術館展示の『ヴェルヴ』誌表紙図案の採用されたヴァージョン。1980年代の初めに京都市内のS書房で求めたと記憶する。オリジナルリトグラフ2点を含み、極めて美しい。マティスはテリアードが1937年に創刊した美術雑誌『ヴェルヴ』の「創刊号を含め6点ほど、その表紙の図案を創作した」(解説パネル)

 小生としては、出版元の住所がマン・レイのアトリエに隣接したフェルー街4番地であることが嬉しい。

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マティス

● 『ピカソとその時代展』 at 国立国際美術館 『雑誌「ヴェルブ」第4巻13号の表紙図案』切り紙 1943年

● ベルクグリューンが晩年に収集したマティス作品には、静と動、あるいは安息と活力という対照的な性質が表れている。1940年代以降にマティスの制作の中でますます重要性を高めていった切り紙絵は、純粋な色彩と簡素なデッサンの総合であり、いずれの作ま生命力と躍動感に溢れている。(解説パネル)

 

左から 『ロンドン、テート・ギャラリーの展覧会(1953年)のためのポスター図案』墨、切り紙 1952年、『縄跳びをする青い裸婦』切り紙 1952年

『横たわる裸婦(ロレット)』木炭、鉛筆 1917年

左から 前述、『植物的要素』切り紙 1947年、『ドラゴン』切り紙 1943-44年

『オバリンの花瓶』黒インク 1947年

右 『青いポートフォリオ』油彩 1945年

ラウゲン ブレッツェル

 
 ドイツといえば岩塩まぶしのブレッツェルですな、こいつは美味い。名店ベッカイペルケオの説明には「ラード入りの生地をラウゲン液に浸して高温で焼成した独特な風味が特徴」とあります。ビール グビグビの季節にはまだまだですが(ハハ)

以前にも紹介しました。

https://manrayist.hateblo.jp/entry/2021/09/27/180000

https://manrayist.hateblo.jp/entry/2021/11/24/180000

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 『マン・レイ受容史』25冊の本文印刷が終わりました。今日から製本工程、ページカットに入ります。━━と思ったら、校正もれ発見、4頁の再印刷(合計100頁出力)となりました(トホホ)。

ベルリン ポツダム広場

8.9 × 13.8 cm ポツダム広場 消印 1926年

 

9×14cm  HAUS VATERLAND (父なる国の家) 

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 中村真人氏のHP「ベルリン中央駅」に上掲の建物についての言及がある、「1920年〜30年代のポツダム広場の栄華を象徴する建物の一つで、当時ドイツ最大級の公共レジャー施設だった。この中にビアレストラン、カフェ、バー、映画館、チャールダッシュのショー劇場などがひしめいており、年間100万人もが訪れた」とある。→  https://berlinhbf.com/2006/10/05/700/

ベルリン ブランデンブルグ門 及び、メッカンブリュッケ駅

ベルリン ブランデンブルグ門 9.0 × 13.9 cm 消印1932年「門上に彫刻家ヨハン・ゴットフリート・シャドウが制作した四頭立ての馬車に乗った勝利の女神ヴィクトリアの像」を認める。

● バウル・クレーは1921年〜1933年にかけてバウハウス、及びデュセルドルフの美術学校で教職にあったが、1933年のナチス政権成立後は「退廃芸術」として迫害を受け、生まれ故郷のスイス・ベルンに亡命した。

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Berlin, Hochbahn Möckernbrücke am Landwehrkanal  8.8 × 13.8 cm 

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 ベルリン、ランドウェア運河沿いの高架鉄道、メッカンブリュッケ駅。ウィキによると「1900年代初頭にシーメンス&ハルケ建設会社による施工、運河の湾曲によるわずかなカーブに対応し、ガラスと金属でできたホール構造、1933年〜37年にかけての新設は、BVGによる新しい設計様式でシンプル」標準型駅構造で現存するものは同駅のみとある。初期と新設時との変化は未確認。