2003.03.01-3.30 マン・レイになってしまった人

March 30, 2003 

『documents cafe Man Ray』は28頁立て。使用するHPのDiskjet1220Cで7枚、14回の印字出力。計ってみると1セットに47分かかる(現時点で17セット分まで終了) A4サイズを二つ折りにし、表紙で被う必要から、印刷した後、2箇所カットし、本文仕上げサイズを20.8x14.2cm、本の寸法を21x14.4cmとした。断裁機を使えないので、一枚毎にカッターナイフで作業、これにも時間がかかる。さらに、色上質紙を3枚入れて、出品リストや食事会メニユーを紹介しているので、これのカットにも時間がかかる、いやはや、75部引き受けたのは間違いだったかな。

 昨日の花粉症が恐くて、外出を躊躇した。


March 29, 2003 

家内と用事で出掛けた。風は強いが絶好の行楽日和、京都はまだ早い感じだが、新幹線の車窓から観るとそろそろ桜の見頃かと思われる。しかし、二人とも花粉持ち。帰宅してから、くしゃみと鼻水が止まらなくなった。寝るのに差し支えるありさま、さて、困った。しかたなく、花粉症の錠剤を飲む。すぐに効果が現れるだろうが、それまで、この『日録』を入力。-----

 『documents cafe Man Ray』の製作は恐ろしく時間がかかる。印刷や用紙カットに神経を使いつつ、工場労働者をやる。

 来週パリに旅行する横浜のY氏と情報交換。彼の成果を期待しつつ道中の無事を祈る。


March 28, 2003 

今週は通勤のお供に、白水社から刊行された著名な画家の対談集を読んでいる。しかし、どうも、会話の場に入れない。それで、何故だと自問した。そして、これは「対話」ではなくて「一問一答形式のインタヴュー」であると理解した。二人の間にはリズムが欠如している。問いと答えの断片の集合。著者が手を入れすぎているのだろうか。わたしにとって関心ある話題に、明晰な思考と記憶力で返答する孤高の画家。でも、しっくりしないんだよね。


March 26, 2003 

How are you, PHOTOGRAPHY?展実行委員会による「第7回展 PHOTO PARTY報告」を見ていてウナッタ。各画廊での「芳名録一覧」人数まで確認していないけど5頁にわたる。展覧会を観た人をドキメントとするアイデアは誰が出したのかな、上手い。フォトパーティの集合写真も良く撮れている。しかし、「顔にしまりがなくて、酔っぱらているのがバレバレ」あの時、最前列にいたんだと思い出した。総括をし決算報告書をきちんと作っていく姿勢。これが大事な事。今年の第8回展も期待できる。作家デビューをしたいと思っているけど、忙しくてどうなるかな。


March 25, 2003 

印刷しながらも細部が気になって、写真を取り込んだり、テスト印字をしたりで、13セットしか本文印刷が完了していない。30部製作してから注文を取ろうと考えていたけど、15部製本した段階で発表することにしよう。注文の様子をみながら作っていくのが現実的だろうね。さて、どんな反響となりますか-----


March 24, 2003 

北海道立帯広美術館から『マン・レイ写真展』のポスター到着。国内巡回中の展覧会は4月4日~5月21日の日程で開催される。「4色印刷 艶消しインク使用」でシックな黒で表現されたキキのシルエット、マン・レイと云えば『アングルのヴァィオリン』なのかな。「知っているマン・レイ、知らないマン・レイ、たっぷり559点」のキャッチコピーが期待させる。この時期、北海道まで行く事は出来ないけど、昔ちょっと帯広に旅行した事を思い出した---ワインが美味くイクラの醤油漬けで飲むのは楽しい。六花亭のお菓子にも眼がないけど、ジャガイモも特別の味。マン・レイを求めて空の旅って良いだろうね。


March 23, 2003 

昨日の『日録』を読んで下さった方から、早速に注文が入り、朝から元気付けられた---感謝。それで終日、印刷オペレーター。10セット出力するのに3時間かかっても終わらない、カラーのインクカートリッジが経たって手持ちが無くなり作業は途中で中止。コストがどれだけ掛かるか不安になってきた。

 通勤のお供に
飯沢耕太郎氏の『写真評論家』(窓社 2003年)を読んでいる。最後のインタビューが残っていたので、就寝前に読む。氏は窓社の西山俊一氏からの『写真を売買する市場は必要ないか』と云うキーワードに答えて「美術館の壁、あるいは立派な家の壁に飾られることで写真が生き延びるということに結局なってしまう。写真の持っている八方破れで変ちくりんなエネルギーのようなものというのは、その中には絶対納まらない。どちらかと言えば雑誌とかポスターとか、写真集や写真展も含めてメディアの中で流通している写真の在り方のほうが僕は好きなんですよ」と発言している。写真の現場や写真集に影響されてきた者としては、氏のこの発言は良く理解できる。

 作業が中途半端になってしまったが、しかたがない。J&Pが開いている時間に帰宅出来るか、明日の段取りが気になってきた。


March 22, 2003 

『documents cafe Man Ray』書影
銀紙書房刊 限定75部

 

 

 




昨年末の「カフェ マン・レイ展」ドキメントが、やっと完成した。従前の銀紙書房刊行物とは、誕生の経緯が異なる一冊となったが、後世の人々はどんな評価を下すだろう。当日の雰囲気をどれだけ再現出来ているのか、それが本書の目的。 28頁の洒落たページネイションになったと本人は自負している。わたしのテキスト「194∞年のドアノッカー」と吉川恭生さんの食事会メニュー解説「ONE NITE ONLY」を中心にカラーのスナップ写真を多数入れた。
 これから量産工程。あと74冊製作となると何日必要になるだろう。職人から工場労働者にシフトさせる日々が始まる。過去の銀紙書房本の製作のたびに、気が狂いそうになってきた事を思い出した。修行僧の生活となってしまう。それと同時に営業マンの側面も発揮させなくてはいけない。どうぞ『日録』を読んで下さっているみなさん、ご注文願います。本人の励みになります------- 

 

March 21, 2003 

『documents cafe Man Ray』用の原紙を選びに河原町へ出る。錦を通ったが観光地化していてビックリ。そこそこで街を切り上げ帰宅、テレビ報道を観る。


March 17, 2003 

『documents cafe Man Ray』の制作継続。


March 16, 2003 

雛飾りの後片付けが、大掃除となった。午後からは降雨で、印刷特性と使用用紙の関係をチェックしつつ『documents cafe Man Ray』の制作。


March 15 , 2003 

パリを11日に出て本日、書留郵便で『シュルレアリスム革命』誌が到着した。疲れ切った表紙でがっかりする部分があるものの80年程前の雑誌、しかも創刊号であるのだから、入手出来るだけでも奇跡。赤煉瓦色の大判表紙にシュルレアリスト達の会合を捉えたマン・レイの写真3点を配置したしゃれたタイポグラフイ。序文の頁から「イジドール・デュカスの謎」と題した写真。続いて「理性の回帰」の1シーン等、多数の写真が紙面を飾っている。フランス語が理解出来ないのだから「猫に小判」だけど、幾つかの日本語訳部分を取り出して原書と確認。楽しく午後を過ごす。

 夕食前に義母の知人からてっさをいただき、即席の宴会となった。透明感と歯ごたえが良い、それで、ひれ酒を長女と数杯。食卓には湯葉と天ぷら。次女も河豚が大好きで笑顔が気持ち良い、酔っぱらって早めに就寝する。


March 14 , 2003 

最後の数頁となっていたので、下車してから自宅まで二宮尊徳をしてしまった。歩きながらも街灯がないと読めないので、立ち止まり--「できるだけ一般的な方法でそれを「遅延」させること、「遅延」のほかの意味ではなく、あいまいな集合の意味で、それをおこなうこと。」(マルセル・デュシャン 481頁)などと。 今晩は家に帰って食事の後の読書というのがいやだった。悴む手で頁を捲り、最後の頁、あいまいな一時を街路と共に過ごすことが必要だった。書物からの引用を予告していたけど、これについては、折り返してからの読書にゆずることにしたい。とりあえず、とり急ぎで。


March 12 , 2003 

前田さんから校正到着『documents cafe Man Ray』やや前進。わたしのMACの先生であるS氏の助けで、オークシヨンのDVDを観て興奮---わたしにとって青春と同義である、あの人のフォンテーヌ街のアパルトマンが映し出される。そして、大槻鉄男さんの訳書も刊行されているラジオでのインタヴューも再現出来そう---すごいぞ。 DVDプレイヤーが欲しいな。電気店をのぞこう。


March 11 , 2003 

オークションの事を考えていたら、アイデアが幾つか湧いてきた。この準備もしなければと、本造りを中断。週末の返事で作業再開か。


March 10 , 2003 

先方が3日に送り出しているオークション・カタログがパリより到着、8分冊、プラスDVD。佐川急便扱いだが非常に重い、ダンボール箱に10.50Kgの表示。アイテムが多すぎて、作戦を考える事が出来ない。


March 9 , 2003 

NHK新日曜美術館でインタビューを受ける
森山大道氏。

 

 

 

 

テレビで森山さんがリコーGR21を使った取材撮影の様子を見る。---NHKの番組でタイトルに『写真とは光と時の化石である』とある。今日、世界で注目される日本の写真家はこの人と荒木経惟。学生時代に名古屋で入手した氏の写真集『にっぽん劇場写真帖』や『写真よさようなら』を久し振りに書棚から取り出しパラパラ見る。
 氏の写真は、わたしにとって心にしみ入る日とそうでない日が交錯する、ジョン・コルトレーンが演奏するジャズとの関わりに似ている。中央公論社の刊行していた映像の現代シリーズ中の『狩人』 これに癒された日々が昔あった事を思い出した。こうした写真によって乗り越えてきた人生の部分がわたしにもあった訳。

雪に濡れた庭先に陽がさす。

 

 


わたしの撮る写真、寒いからと外出せず、庭先に向けたカメラというのは---。客観的になってしまうのは人生に何をもたらすのだろう。

 読売新聞の書評で伊藤俊治氏が『マルセル・デャシャン』に言及している。氏の解説は、わたしの興味とほぼイコールである。「………しかし何よりも本書のハイライトはデュシャンをめぐる女たちの愛憎劇である。」云々。それぞれのエピソードについては読みながら、都度、報告したいと思っている。


March 8 , 2003 

終日冷たい雨。午前中に校正用のテキストを出力して前田さんと吉川さんに郵送する。午後からデュシャンの本。マン・レイとの関係に注目しつつの読書だが、頁を進むのは出口に近付くこと事。終わってしまうのが残念で、ウダウダ、遅延する読書となる。著者は「マン・レイが生涯をつうじてデュシャンに尽きぬ魅力を感じたのは、生まれつきふたりが何から何まで対照的だったせいもあるだろう。150センチそこそこで野心満々ながら、才能にはいまひとつ自身のもてないアメリカ生まれのマン・レイは…………」(マルセル・デュシャン 167頁)と言及する。そして、今日は「同世代の無数の同胞を死に追いやった戦争を、デュシャンの言うように、「腕組をしたまま」何もせずにやりすごすなどということが、ほんとうにできるのだろうか。」(マルセル・デュシャン 212頁)と云うところで手を止めた。でも、困ったことにデュシャンに娘がいた話(マルセル・デュシャン 224頁)などの方に興味が行ってしまうのだよね。この本は、繰り返し読むことになるだろう。

 4月にパリで開催されるオークションの情報が、インターネット上で準備されてきたので、これを熱中して検索する。1ユーロは130.41円かと何度も換算する。夕食では「蓮根饅頭」の吸い物を美味しくいただき、鰹のお造りでビール。御飯のお代わりもしたので、苦しい程の満足。ヨッパライながら「日録」を書き込む。


March 7, 2003 

デュシャンは男前だね、いよいよ面白くなってきた。

 

 ベルギーの田舎町でマン・レイの写真展「個人的なマン・レイ」と云うのが開催されていた情報をつかんだので早速、カタログとポスターを注文する。120頁、図版96点との事、どんなカタログか楽しみ、未見の写真が何点含まれているか、それが問題だ。


March 6, 2003 

デュシャンには、育ちの良いフランス人によくあるように、処女性に対する敬意が深くしみついていた」(マルセル・デュシャン 99頁) ピカビア夫人のガブリエルとデュシャンのロマンス、ジェラ山中のアンドロ駅のエピソードなんて興味引かれる。この本に関連して京都新聞の朝刊に宇佐美圭司氏が『デュシャンの生涯に思う/表現もリサイクルの時代に』なる文章を寄せていた。しかし、わたしは「評伝」の中で生きている男の話が好きだ。若い時と異なり、芸術のイズムについては、重要じゃないと云う気持ちになっている。


March 5, 2003 

足が冷たいというか、風にあたっているような感覚で、左足脹ら脛のシビレがきつくなった。50肩のように年齢的なハード部分の衰えだと思うけど、自由気ままな街歩きに影響したらイヤダなと怯える。そんな訳で反省的一節「デュシャンに関する有数の権威の多くと同じく、アルトゥーロ・シュワルツもとことんユーモアのセンスに乏しく、そのためかえって文章がすこぶる滑稽になることがある」(マルセル・デュシャン 56頁)


March 4, 2003 

簡単な事務手続きに2時間以上かかってマジ切れてしまった。帰社すると机の上はメモだらけ、昼に「マルセル」とも会えず、食事は3時となるありさま。


March 3, 2003 

冷たい雨の一日だったが、雨粒が冬木立に付いて光っている。これが、蕾の様に見えて春の訪れを感じる。冷たいけど真からは冷えないんだね。会社入口の黄梅も芽を吹き出し始めている。それで、デュシャンの本の事だけど「通勤のお供」だけじゃなくて、「昼休みの友人」となっている。その頁は蕾が開くのと同じ速度で「花嫁を意味するフランス語の"MARiee"と独身者の"CELibataire"のはじめの三文字を連ねると、"MARCEL"になるのも、なにかの縁だろうか」(マルセル・デュシャン 20頁)とか、「本書はいったい何なのだろう。ほかでもない、忘れないでいることの長い連なりのひとつの環、それもまた遅延であるにちがいない」(マルセル・デュシャン 20頁)等とあって、東野芳明氏の事を思い出した----


March 2, 2003 

良い天気になったので、午後、自転車でブラブラ。烏丸三条の大垣書店に寄り、念願のカルヴィン・トムキンズ箸、木下哲夫訳『マルセル・デュシャン』(みすず書房 2003年刊)を購入する。話題の新刊書コーナーにあった。本文489頁、注記等160頁の大作。価格も9,700円で久し振りの投資。さて、何が書いてあるか、明日からの「通勤のお供」の楽しみである。興味惹かれたフレーズについては、又、紹介したいと思う。

 その後、知人のN氏とバッタリ、立ち話を少々。友人が計画する飲食店の場所を確認し、現店舗の写真をパチリ。骨董品の店を覗き、ギヤラリー16で井上さんと世間話。三条に戻り同時代ギャラリーで立命館大学写真研究会の展覧会を拝見。力と個性がある人、楽しい写真達。花粉症に怯えながらの数時間だったが、眼が痒くなった程度でおさまった。

 帰宅してうがいと洗顔ホタルイカの酢みそ和えでビール、春の訪れを感じる。木村拓哉ドラマ 「グッドラック !!」をみんなで観ながらも、気分はブルー、日曜日の夜はニガテだ。


March 1, 2003 

3月に入って、今朝から禅宗の若い僧が托鉢で市内を回り町内にも。家内は「おーさんが来はった」と言う。朝、寝床で、何人もの「おーさん」の声を聞くのは、京都らしくて面白い。

 朝からの雨が夜にはドシャ降りに。その為、終日こもってテキストを仕上げる。さらに個別写真のコメントに進む。疲れたので、夕食後はビールとテレビ「エネミー・オブ・アメリカ」で気分転換。