2003.4.1-4.30 マン・レイになってしまった人

April 30, 2003

ロラン・バルトは「私ががまんできる唯一のもの、私が愛し、親しみをおぼえる唯一のものは、奇妙なことに、写真機の音だけである」「写真機は、要するにものを見る時計だった」(ロラン・バルト箸『明るい部屋』花輪光訳 みすず書房 1985年刊 25-26頁)と心象を吐露している。


April 29, 2003

15冊分のパピヨンかがりを仕上げ、午後からは自転車でブラブラ。良い天気。三月書房に寄った後、ATHAの吉川シェフと寺町二条の角で遭遇。4時過ぎに自宅までのガソリン補給。土曜日に有田恭子さんのポラロイド作品をしっかり見ていなかったので、ゆっくり拝見する。壁面に33点が留められている。彼女の写真は心象風景でありながら、自身への客観的な態度が滲んでいる。ズレというか、日常の中に、一つ別の階段があって、みんなもわたしも見過ごしてしまっていたのに、彼女のポラの中で気づかされた。対象との良い距離感だ。新生児の産着から飛び出した元気な足が象徴する様に、彼女は場を変える可能性にあふれている。

 
店に宅急便が届けられ「ATHA」のショップカードが出来上がった。池田裕美さんにコレクターアイテムとして最初の一枚を頂いたので、紹介する。


April 28, 2003

ホームページの目次に『documents cafe Man Ray』の刊行案内を載せる。反応はどうだろう。人それぞれの3,000円 酒を飲む人、フィルムと現像代に消える人、映画館に入る人、ビデオを抱える人、携帯電話の補填に入れる人、パンツを一本ゲットする人、そんないろんな人達の中で、本に3,000円を使う人は例外だろうな。人生を決定的に変える力が書物に有ると信じられた時代を生きてきた者として、最近の状況とのギャップを思う。しかし、何時でもこうであった。少数派であることにも、意味があるだろう。早く申し込むまないと無くなるよと、老婆心ながら案内する。今回のドキュメントが街の雑踏に消えた後、探し求めるのは大変だよ----


April 27, 2003

朝、友人からの電話で「ブルトン旧蔵の書籍と肉筆をオークション会場に陣取り競り落としていた人物(4人?)はフランスの政府機関関係者だった」と聞いた。国立図書館だったら、もう市場に出ることはないだろうと落胆する。楽しませてもらったが、オークションに掛けず妥当な対価で最初から纏め、ブルトンの書斎を再現する方が筋だろうな、しかし、国家がシュルレアリスムの思想を買い取ると云うのはいかがなものか、そんなヤワな思想じゃないぞと思いつつも、事の成り行きが気に掛かる。

 午前中は本造り、午後、京都市美術館での開館70年記念展『うるわしの京都いとしの美術館』を観る。北脇昇の「眠られぬ夜のために」に再会して青春の日を思い出した。第2会場のポスター展示の方法がちょと面白くて点検(?)、野村仁氏の卒業制作、崩れゆくダンボール彫刻を記録した大全写真4枚組の「Tardiology」(遅延学 1968-69)と植松奎二氏が1973年に美術館で撮った「水平の場」「垂直の場」「直角の場」に感心。どちらも、発表時には遭遇出来なかった。雑誌等での知識、記憶との再会。北脇昇との出会いにも近い感覚であるのだが、30年も昔の出来事。


April 26, 2003

「HAND TOOLS」出版を祝う会

関西日仏学館

使えるフランス語は------



 

 

 

フィリップ・ワイズベッカー氏

関西日仏学館でのフィリップ・ワイズベッカー作品集『HAND TOOLS』の出版を祝う会に長女と連れだって出席。案内状のイメージから小津安二郎を連想していたのだが、ワイズベッカーが日本で見たもの、見ようとしたものは鎌や鋸や鉋といった金属の厳しいエッジをもった道具類。氏の優しそうな眼差しの背後に、厳しい現実を見定める強い意志の力が感じられるドローイングである。デッサンに使われたノートをそのまま再現した作品集はアムズ出版によるもの、長女は氏にサインをいただいき喜んだ。わたしも作品集の感想を伝える。その後、旧友の濱田信義氏と展覧会のスケジュール確認を少々。京都写真クラブの中村きょうさんと写真集出版に関する話も少々。テラスでプロカメラマンに写してもらうのは楽しい。改装された日仏学館はおしゃれで、さすがにフランス、センスの良さが光る。

 寺町二条下ルのATHAで二次会。カウンターで立ち飲み、店は大繁盛の様子。書肆山田の鈴木一民氏と出会う。小笠原さん達と今年の「HOW ARE YOU PHOTOGRAPHY ?」展の話に盛り上がって、店を出たのは12時を過ぎた。

 

April 25, 2003

つらい電話を一つ----


April 24, 2003

間奈美子さんが雑誌『LE CARROSSE D'OR』(黄金の馬車)第6号を送って下さった。発行元の書肆啓祐堂も知らなかったし、雑誌も初見。しかし、上品で面白いエッセイが多く、彼女の連載「詩的遊戯術」や、北園克衛、ジョン・ソルト氏のところなどをパラパラ拾い読み。


April 23, 2003

食卓に春の味覚の筍づくし「わか筍」「独活と筍の酢味噌和え」ビールをグビグビ。北脇昇の「独活」(1937年)だから京都に住んでいる実感を感じる。


April 22, 2003

担当学芸員と送金方法の調整にとまどい、入手までに1ヶ月半経過したが、シャールロアの写真美術館から『マン・レイ 親友』展のカタログとポスターが到着した。(ベルギー発4月17日) メインのイメージに「星食のヴィーナス」を使用。絵本風のハードカバー装幀のカタログには未見の写真が多数含まれる他、エリュアール、エルンスト、ブルトン、ペン・ローズ、ピカソ等の友人がマン・レイに宛てて送ったポストカードがカラー図版で紹介されていて楽しい。洒落たレイアウト、写真配列と力が入っている。

 新聞の夕刊でニーナ・シモンマルセイユで死去した事を知った。享年70歳。昔、河原町にあった「ムスタッシュ」というジャズ喫茶で、インストルメンタル・ナンバーからダイナミックなピアノ・プレイの後、静かに入っていく「サマータイム」を聴いて参ってしまったことがあった。それで、熱心に彼女のナンバーを追っかけた。わたしには女性のある音域に恋いこがれるところがあって、ニーナの音質が琴線に触れたらしい。当時のスクラップ・ブックにチケットが貼り込んであるので、今、取り出し、ライブを聴いた夜の事を思い出す。「ニーナ・シモン ジャズボーカルの真髄」1973年10月24日 主催はFM大阪で、会場は大阪、フェスティバルホール。A席2,200円。1階I列11番とある。切なくて、胸がキュンとなる。


April 21, 2003

刊行案内に簡単なメッセージを添え何通か投函。郵便ポストへは自宅から20秒。


April 20, 2003

終日降雨の為、ギャラリーココで開催中の「フィリップ・ワイズベッカー」展を観るのを断念。朝8時から夜11時までかかって15冊分の本文、別紙、表紙の印刷を仕上げる。今日は順調に作業が終了。就寝前に「日録」へ書き込む。疲れた。


April 19, 2003

『documents cafe Man Ray』を12冊仕上げ、梱包する。続けて急いで造りますので、待って頂いている方、今しばらくの時間を下さい。何処にも出掛けず、こればかりの内職ですよ。

 大先輩とブルトンのオークションについて話をする。氏は「ブルトンへの献辞が無い書籍を何冊か狙った。ブルトンが自ら買い求めた本の方にこそ意味があるんだよと」と教えてくれた。わたしなどは、シュルレアリスト達との交流と云う視点で物を観てしまうが、大先輩の博識に感服。


April 18, 2003

パリ、ドルオーでのアンドレ・ブルトン、オークションが終わった。写真の最終セッションは低調な様子。ロンドンやニュー・ヨークでのオークションと較べるとどうだろう、プロミナンスは最高だが、マン・レイの写真としては大人しい絵柄のものが多かったということだろうか。休日にゆっくり検討してみよう。(午前7時18分書き込み)

 
フォンテーヌ街42番地の住まいにブルトンと共にあった品々。重要な物をポンピドゥー・センター等に入れた後のオークションとの噂だが、本や原始美術の募集品や一級の油彩達が相互に関連して対話した空間、瀧口修造氏が1958年秋に訪問した折、「これこそミューゼ・ド・ロームではありませんか」と感じた空間は完全になくなってしまった。せめて、人々の心の中に残る事をとも思うが、オークションは総額として邦貨(1ユーロ130円換算)で51億38百万円の商い。---ロット数は別にして書籍(524百万) 肉筆(399百万) フォークアート(88百万) 絵画(2986百万) 写真(579百万) 原始美術(562百万)といった内訳。ブルトンの業績と評価に対して、この価格をどう考えるかは意見の別れるところだが、ビットして落とせなかった身として、わたしも複雑な心境である。わたしのコレクションにブルトン旧蔵品のマン・レイが入ったら、どんなに素晴らしい事だろうと、4ヶ月間、夢みた。残念な結果で終わったが、いつか、出会いたい。

 それにしても、オークション出品の品物を実施に検証する為、パリに飛んだ土渕信彦の情熱、自身にかした使命のようなもの。彼に瀧口さんのこんな言葉を贈りたい。

アンドレ・ブルトンの募集はすべてが彼自身の思想と行動の歴史を物語っているのだろう。おそらく持主が日々、それらを呼吸しながら生活と対応させることによって、絶えず検証してきた独自のオブジェなのであろう。不安で脅やかすような風情を示しながら、すばらしく挑発的な魅惑をたたえているこの壁面は、そのひとつひとつに持主の刻印が押されてあるのだ。そしてそれは二〇世紀美学のもっとも典型的な壁面のひとつであり、同時にそれは詩人によって書かれたものでもあった。」(瀧口修造アンドレ・ブルトンの書斎」本の手帖 1966年11月号 33-34頁)

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<わたしは、こんな生活を>

 好天が続く1週間。田んぼのあぜには菜の花。自転車で銀行へ行く道すがらの中島堀端町の辺りにはチューリップや椿、珍しいハナズオウ等が咲き乱れている。愛宕山常夜燈が建つ中島会館前の邸宅も手入れが行き届いている。各家の生垣が整然としているのは、竹中造園があるせいなのだろうか。
 会社が郊外に移った為か、季節の花々に関心を持つようになった。春の初めに咲いたサンシュウに続き、事務所の北側にはハナズオウ(3) レンギョウ(10) ツバキ (8)があって眼を楽しませてくれる。わたしは何も知らないし、図鑑で花々の名前を特定するのは難しいから、家庭菜園をやっていて園芸に詳しい同僚のKさんに、名前等を教えていただいた。

<インターネットによる豆知識>
サンシュウ(ミズキ科)----早春に黄色い花を線香花火がはじけるように咲かせ、秋に赤い実をつける。
ハナズオウマメ科)----葉が展開する以前に、紅紫色の束生した10個ぐらいの花を幹や枝から直接出す。
レンギョウモクレン科)-----細長い枝を地際からたくさん伸ばして、枝いっぱいに黄色い花を咲かせる。

 Kさんは、西側の一角に3種類の「ひまわり」を植え、昼休みの楽しみにしている。「前の人が好きだったのか、椿も珍しい品種、樹勢の良いものがそろっている」と説明してくれた。


April 17, 2003

花粉症がきつくて朝方目が覚める。さて、昨日の写真結果なのだが、もし、写真でビットするなら、マン・レイ作と推測されるものの、エリュアールとのフォトポエム『ファシール』に使われていた写真のポストカード(8x13cm)であるLOT-5120「手袋」が500/600のエステイメートだったので、狙おうと思っていたのだが、結果は7,000ユーロだった。当然の事だが、写真のイメージが価格と直結している。コレクター達が何に惹かれたのか、カタログを観ながら推測するのも、---楽しい。そう思わなければ。(午前7時25分書き込み)


April 16, 2003

起床し直ぐに油彩と写真の結果を確認。今後の「傾向と対策」をいろいろ考えながらの出社となった。

 帰宅し。ケーキにピールだから趣味が悪いのだけど、家族みんなで「菓子職人」のケーキを食べる。「ホワイトショート(270) ザッハトルテ(250) グランクリュ(350) ミゼラーブル(330)」娘達の批評を聴きながら、ウィスキーも飲む。午前零時、写真の5087からのロットは現地パリで16日の14時30分からなので、今、盛んに競り合っていることだろう。明日朝、確認しよう。


April 15, 2003

通勤のお供に先週からパトリシア・モリズロー箸、田中樹里訳の評伝「メイプルソープ」(新潮社 2001年刊)を読んでいる。彼の初期オブジェは好きだけど、全体的にはニガテ。しかし、写真にまつわる業界の話題に興味がある。例えば、こんな箇所メイプルソープは、ワグスタッフにたよらずに自分でポラロイド作品をライト・ギャラリーのハロルド・ジョーンズのところへ持ちこんだ。2年前、弁護士のテニソン・シャッドがマディソン街1018番地に開いた画廊で、以前ロチェスターのジョージ・イーストマン・ハウスのキュレーターを務めていたジョーンズは来る週も来る週も野心に燃えた若い写真家たちの作品を見て過ごしていた」136頁や、「近年写真を募集しはじめていたポール・ウォルター、もとCIAエージェントで、ワシントンDCに画廊をひらいてアンセルー・アダムスのプリントを買い占めているハリー・ラン」179頁など。

 日本時間の午前3時からアート作品のオークションも始まった。結果速報を午後10時にサイトで確認。マン・レイのロット。 作者がニューヨークから携えパリでの初個展リブレリ・シスに出品したガラス作品のIMPOSSIBILITE DANCER/DANGER(不可能 踊り子/危険)は予価800,000/1,200,000ユーロに対して1,400,000ユーロのハンマー。130円だとすると邦貨で1億8,200万円。必要経費を入れれば2億以上の買い物、すごいよな。


April 14, 2003

友人とオークション情報の交換。大先輩の結果も入り、日本からのFAXビットは、知っているすべてのケースで、一騎打ちの後、玉砕の様子。落とす相手は誰だろう、シンジケートをつくってやっているのだろうか。「他の者には絶対渡さないぞ」と使命感に燃えているのだろうか。それとも、商売として大金持ちかの資本を背景に落としまくっているのだろうか。パリからのメールでも、"Absentee bids"組は健闘するものの、毎日会場で陣取る"かぶりつき"組にしてやられるとの報告。それで、先日からのブルーな気持ちもわたしだけではないのだと、慰めている。でも、スッキリしないな。「恋愛」とおなじだね、いや、恋愛以上かな。


April 13, 2003

友人のオークション結果を彼の午前6時30分のメールで知る。彼も一騎打ちの後、玉砕した。


April 12, 2003

成城大学大学院博士課程在学中の木水千里さんから「AZUR」第4号到着。彼女の論文「写真から言葉へ---ロラン・バルトマン・レイを巡って---」を読む。審査報告に「今後のいっそう優れた論文を予感させる在る種の強度」とある。わたしには、バルトの「温室の写真」についての知識はないが、彼女の指摘で興味深く読んだ。「バルトが知ることのできない幼少期の母の写真」に「母とよく似た母ではなく、母そのものを見付ける」とし、「写真は対象の表象ではなくなり、写真は光の旅となり、対象の使いとなり、対象へと導く」と彼女は論考する。彼女の思考から、わたしの母親の事を考えた。自宅の古い写真。長刀を持った女学校時代の母親。戦前のわたしの知らない彼女であるのだが、「母そのもの」がいる。写真は時間の記憶。時間には思い出と、時間ならではの可能性、希望があるとわたしは考える。バルトは「光の旅」を経て、自分自身に辿り着いたのだろう。写真は鉄道旅行のキップみたいなものだね。記載された乗車区間と日付。こいつが大切だと、元鉄道ファンのわたしなどは、感傷にふけってしまう。

 『documents cafe Man Ray』の制作継続。昨日の写真を現像に出して、ホームページへアップ。


April 11, 2003

「ATHA」の店内でセルフタイマー
店のイメージだからと橋本隆さんが手を挙げる。

 

オークション結果にブルーな気分を引きずったままの、感傷的な一日。

 夜、昨日オープンした吉川恭生シェフの店「ATHA」へ出掛ける。オープンは前日の10日。80人程が来店し、みんな立ったままで、飲んだり、しゃべったり、食べたりしたと云う。今日も知った顔が多く『documents cafe Man Ray』の注文も幾人の方から頂いた、感謝。生ビールをクビクビ。店の様子をスナップしたり、知人といろいろ世間話。真面目な話も少々。

12時が過ぎ「ATHA」の前でパチリ
雨があがっている。

 

「ATHA」は「手」を意味する言葉である。手フェチのわたしとしては、とても嬉しい。開店案内の葉書に

「私達のATHAは、あらゆる枠組みを超えてそこに集まる人々をつなげていきたいとの思いから出発しました。手はものを造り、人をいたわり、あいさつをし、愛する人を包容します。手は心を率直に表現しているのです」

と吉川恭生さん達は書いている。

 店の住所は京都市中京区寺町通二条下ル妙満寺前町466 えちごやビル1F  電話は075-211-9378 定休日; 毎週月曜日 営業時間; 16:00-24:00


April 10, 2003

出勤前にブルトン・オークションのサイトをチェック。マン・レイエフェメラ類には強大な競争相手が登場した様子。一騎打ちだったのか100ユーロ上で取られてしまい、ショックで立ち直れない。---(7時25分書き込み)

 

April 9, 2003

冊子小包を手配したら手持ちの『documents cafe Man Ray』がなくなった。量産の続きをシコシコ続ける。


April 8, 2003

午後はドシャ降り。こんな日に冊子小包を手配していたら悲惨だろうね。郵便配達の現場を想像する。高校時代に郵便配達のアルバイトをしていたから解るけど、配達途中に降り出した雨は、対応出来なくてたちが悪い。自転車に備え付けた籠の中。書物は紙で出来ているから、湿気に弱い。だから、配送手配をする時には、何時もお天気を心配する。

 夕方になって雨が上がった。花びらが散ってしまった桜の後を受けて日に照らされた欅の葉が生き生きと輝いている。

4月2日朝のRue Ferou

 

 

 

 

 

 

パリから戻った横浜のT氏がフェルー街の写真をファイル添付で送ってくれた。友人は朝の散歩でルクサンブール公園からブラブラと通りを探索。マン・レイの油彩で街の様子を知っていたと云う。


April 6, 2003

京都円山公園
満開の枝垂れ桜

 

 


街中が薄ピンクに彩られ最高の花見日和。木屋町高瀬川の桜。松原橋を渡って鴨川沿いの桜も最高。気分が良いので久し振りに八坂通りを法観寺の塔まで上がる。観光客だらけだがお祭りみたいで、これも楽しい。下河原まで下がってから、石塀小路を高台寺へ抜ける。自転車を押しながら、片手でパチリ、パチリ。円山公園の大宴会もすごい。父親が生きていた時、平野屋の「いもぼう」で一杯やった事を思い出した。ビールを飲みたくなったが我慢。知恩院から岡崎公園へ。ギヤラリー16前の疎水の桜も満開で、どこから湧いてくるのか、カメラマンがウジョウジョ。品がなくてこの人種はどうもニガテだ。


「ATHA」店内
寺町二条下ル

 

 

  ギャラリー16の井上さんと坂上さんに注文頂いた本を届け、開店準備中の「ATHA」で京都写真クラブ理事会の人達と合流。いろんな出会いが予感出来る楽しい店になりそうだ。

 

April 5, 2003

昨夜から午前中にかけて、沢山の注文メールを頂いた---感謝。お礼のメールを書いたりしながら、製作を続ける。用紙を買いにJ&Pに夕方出掛けた以外は大人しく過ごす一日となった。限定番号とサインを巻末に印すのでペンのテストを少々。明日は郵送で刊行案内をお送りする方達への文案を考えなくてはと、ビール後の頭で、ウトウトする。

 

April 4, 2003

午後から降雨、夜中には強雨に。外出していた家内が疎水の桜が満開で綺麗だったと報告してくれたが、こんなに降ると花見も台無しだと心配する。

 昨年の展覧会+食事会の出席者の方達に『documents cafe Man Ray』の刊行案内をメール配信する。さて、何冊の注文が入るだろう。

 
April 3, 2003

ロバート・メイプルソープの恋人 パティ・スミスの生立ちについてのこんな逸話を知った「彼女は父グラントを尊敬していたが、彼は仕事をしていないときは必ず聖書かUFO関連の本に没頭して何時間もぶっ通しで読みふけっていた。スミス家の子供たち、特にパティは、父親の歓心を買うことはできないと感じていた。何にをしようと、彼の心を占めている超常現象には対抗できなかったからだ。父親が自分の世界に引きこもるほど、パティには彼が近寄りがたい神のような存在に思え、なんとか意思を通じ合わせたいと切望していた。」(『メイプルソープ』パトリシア・モリズロー著 田中樹里訳 新潮社 2001年刊) 55-56頁4/3

April 2, 2003

雨上がりで会社前の欅並木が一斉に芽吹く。こげ茶の樹木に緑色のドローイング。一晩で描くなんて素敵だ。

April 1, 2003 

帰宅途中にMさんとバッタリ。日曜日まで日本画テンペラ画の初個展をされていたそうで、拝見出来なかったのが残念。花粉症に立ち向かって熊野神社まで出掛けたらよかったと後悔する。本の話題を少々。 『documents cafe Man Ray』7冊完成。