June 30 2003
今日は6月末日で本決算日。昨夜、梅津フジオの撤収指示にしたがって、早くATHAを出たのだが、酒が残っていて、しんどい。
June 29 2003
京都写真クラブ第二回総会
東華菜館
懇親会後の集合写真。
「マン・レイ写真展」の最終日。若い女性の鑑賞者を撮ろうと許可をいただき、会場でカメラを取り出す。美術館のSさんの話では「今回のマン・レイ展は男性の来館者が多い」との事で意外に思った。通常は9割以上が女性という実態らしい。美術館では会いたい人とタイミングが合わなかったが、4時から京都写真クラブの総会があるのでそちらに回る。会場は鴨川の四条大橋西詰めにある東華菜館。ゴトゴトと趣のある、例のエレベーターで会場まで上がり、いろんな人といろんな話。 今、日録を書き込んでいるのは朝の6時。喉が渇いたので、目が覚めた訳。ここまで書いて眠くなった。中断。
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寺町三条下ルの
梅津フジオ氏。
看板の上にカメラを載せ
二人でセルフタイマーでの記念写真。
ヨッパラッテおかしな写真。
いや、これが面白いはず。
June 28 2003
夕方、コレクターのTさんとお会いして展覧会の里帰りについての話を伺う。
June 27 2003
今年は律儀な梅雨で、今日も夕方から強く降り始めた。帰宅して初物の鮎の塩焼きを頂き、ビールをクビクビ。眠くなって、そのまま---
知立の旧友Yさんからのメール続編「若い女性について話すときは、自分の年齢に近い女性も,若い女性の中に含まれていると思います。マン・レイの作品に囲まれて,若い女性になる。おじさんもまた,マン・レイの作品に囲まれて,若い女性を愛することが出来る。マン・レイに魅せられた女性こそが若い女性といえると,おじさんは考える」
「自分の年齢に近い女性も」というのは引っ掛かるが、「マン・レイに魅せられた女性こそが若い女性といえる」というのは好きだな。最近の写真を取り巻く、若い女性の進出状況に興味あるのがわたしの立場。30年前とは異なり「自己実現の為の内的要請」といった動機というのは流行らないだろうね。
June 26 2003
知立の旧友Yさんは「若い女性の鑑賞者」の表現に引っ掛かっている。表現というより「何回も会場に足を運ぶおじさんがいるので、華やいだ雰囲気を壊してしているのだろうとコメントする皮肉屋さんいたほうがいい。若い女性に囲まれてこそ、いい人生といえるのかどうか?会場入り口付近の写真は、若い女性たちがいると言うことを伝えていない。」とメールで手厳しく指摘された。30年間続けて、この部分での良い成果は一度もない。わたしはお気楽なコレクターなんだね。何時も、若い人達(女性であればなおさら)にマン・レイの仕事を紹介したいと望んでいる。
横浜のTさんから「修造さんははなやぎ」のニュアンスについて意見を承る。この場合も、わたしの読みはお気楽だと反省。
決算最終日まで営業日数が残り二日となった。会社の空きスペースに植えられた向日葵が随分と育っている。ゴッホの向日葵、マン・レイの向日葵を連想し、わたしもカメラを向けた。
向日葵をスナップ
June 25 2003
京都駅で途中下車し「マン・レイ写真展」パート2の展示風景をカメラに収める。今日も若い女性の鑑賞者が多い。
June 24 2003
通勤のお供ではなくて、わたしの方が『後方見聞録』(学習研究社 2001年刊)の鞄持ちとなっている。文庫書き下ろしの「点鬼簿追懐」には西脇順三郎、横部得三郎、加藤郁乎の三人で洗足池近くの山中散生氏宅に行った報告がなされている「シュルレアリスム関係のコレクションの山のなかからブルトン、ダリとガラ、エリュアールなどからの来かん、こまかな字でびっしりと書きこんであるベルメールの手紙、「ミノトール」の創刊号、マン・レイのヌード写真ほかを肴に盛り上がった。この折、「童貞女受胎」と「Ambarvalia」の表紙の色が酷似しているのに気付き、先生は暗合の妙にしきりと感心された」(235頁) 先生とは西脇氏の事だが、この初対面がいつ頃であったのか? 「童貞女受胎」の所在を確かめたい山中散生氏の研究者の幾人かは知りたいと思うだろうね、もう、知っているかな。
書き下ろしの第3部、「矢川澄子の巻」には彼女の詩集『ことばの国のアリス』から、こんな引用がある。わたしは詩を読まない人なので、孫引きで
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一穂さんは悲しく
順三郎はさびしい
修造さんははなやぎ
由紀夫さんはあわれ
詩人たちは貧しく
男たちはよわい
子供たちはたわむれ
そしてたがいに傷つく
わたしは女の子
母たちはさかえ
石女だけが
美しくほろびることができる
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「修造さんははなやぎ」のニュアンスをもう少し知りたいと思う。瀧口さんの研究者であれば、すぐに、メールをくれるかな。期待しよう。
June 23 2003
佐藤佳穂さんからメール返信に「この夏の祖母がいなくなった風景や、五山の送り火を撮っていきます」とある。彼女のさらなる写真営為に期待しよう。決算前の忙しい週。段取りを考えながら仕事を進めよう。
June 22 2003
終日、スクラップブックを制作。写真を現像に出し昨日の出来事を「日録」に書き込む。
June 21 2003
庭に朝顔が咲いている、季節に早いのか、四個の赤く小さな花。休日なのに何時もの時間に目覚めたので、家人に遠慮しつつ、昨日フランスから届いた古書目録を再読(?)。常連のベルナルドの店には「天使ウルトビーズ」や「1929」が載っているけど、高価なため付箋を付けるだけ。後者は6,000EUR(邦貨で84万円) で限定番号175。昔買い求めたわたしの所持本は184番。高騰している現在ではこの本を購入することなど不可能、古きよき時代と思わずにはいられない。他の一冊、南仏モントルーにある未知の古書店(わたしの住所、どうやって知ったのだろう)から送られた一冊はタンギーのデッサンで表紙を飾った418アイテム。シュルレアリスムを専門にする古書店のようでラインナップも見事。ギィ・ロゼーの「アンドレ・ブルトン」など欲しいと思うのだが、1937年刊の限定135部ではやはり高い。新しい店だから、挨拶代わりに注文しなければと検討をしたのだが、資金不足というのは致命傷だね。
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昼から京都駅に出て「マン・レイ写真展」ブルーな気分だったので、写真の表面をなぜたのみ。それでも、ヴァル・ド・グラース時代に大判の絹目印画紙にプリントした夜景、パリ・ヴァレット通りの前では立ち止まる。パート2の楽しみはこれと『贈り物』、サイズと調子を変えた3点のアイロン。現存しない品物が写真に残されている。マン・レイが撮ったオブジェの写真は、写真の問題を考える絶好なテーマである。
ホワイトキューブKYOTO
Field Notes Vol.4での
梅津フジオの展示スペース。
作者の姿も見える。
その後、三条新京極下ルの「詩の小路」に最近出来た展示スペース「ホワイトキューブKYOTO」に行く。午後の目的はこれで、京都写真クラブの梅津フジオさん、中村きょうさん達が出品している。面白い空間、三つの部屋での個展。旧友の梅津氏に写真の批評を求められる。新作のモノクロ写真。でも、わたしは彼の営為に対し、客観的な見る人となれない。印画紙に表現された映像行為ではなくて、彼の肉体に留まっている、写真との付き合いの残像と接する視点から解放されないでいる。彼と同じ時代を写真を触媒として生きてきた、戦友との対話であるような場。南方戦線へ送られる輸送船団の一隻。わたしの乗船している船と彼の部隊が乗る船とは別々だが、相手の船影は確認でき、向かう方面は一緒。昨年、再会した時は、旧作を展示していたのだが、今回は東京で取材した近作写真。氏は「めったに東京へ行かない人だけど、もう、こうした下町の写真は撮りたくない」などと自虐的に自作を解説する。今回の仕事に対してどんな言葉を用意出来るだろう。「彼は風景にカメラを向けたのではなくて、心象にレンズをあてている」これは、自閉的な写真ではないか。いや、写真というのは、選ぶ行為である訳で、シャッターを切って造られるのではなくて、暗室の赤い光の中、浮かび上がるモノクロの画像は、作者の青春であるような。でも、わたし自身にも共通する、青春時代の呪縛、50を過ぎての呪いからの脱却。写真を辞めてしまう事の出来ない、こだわりといったもの。彼がモノクロを続けるのは、暗室に居続けたいと云う欲望と思わずにはいられない。
梅津フジオの新作『日録 2003春へ』の
展示マケット。
でも、梅津フジオよ、会場の床を即席会場にした貴方の初カラー作品『日録 2003春へ』は明るい。肩の力が抜けていて、見るわたしの、今朝からの「ブルーな気分」を癒してくれる。貴方の奥さんや息子さんや高校生のお嬢さんが日付入り写真の中に登場する。わたしの写真を続けている友人の多くが、破綻した実生活を抱えている状況で、貴方が表現者で有りながら、まっとうな社会人でもある事を嬉しく思う。自身にこだわりつつ、外部とも折り合いを付ける能力。38枚の写真には不吉さを示す、肺のレントゲンや大阪のツインタワーなどを忍ばせているが、現実を受け入れ、その空気感の中で、撮られる写真。現実と対峙するのではなくて、現実と共にある事。暗室を後にした梅津フジオに幸あれと祈る。
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中村きょうさんから同時代ギャラリーで開催中の佐藤佳穂個展『祖母からもらったもの』の事を聞き、早速のぞく。驚いた、不思議な距離感が漂う写真が並んでいる。作者の祖母が倒れ病院のベットで看護を受けている情景。酸素吸入器や点滴。ベットのシーツや病院の廊下。病人への付き添いを自身が献身的におこないながら、写真では、肉親に近寄りすぎる事なく、さりとて、離れてしまう訳でも無く。戸惑いと悲しみと「祖母が私に伝えたかったことは何だったのか」と云う自問に応える力を写真の間に、静かに張りつめている。
板張りの床を持つ独特の画廊空間に、絶妙な高さでパネル貼りしたマット調の写真がぐるりと巡る。わたしが写真を観るときは、近付いて細部まで確認する事が多いのだが、ここでの観客は、ある距離から先に足を踏み出すことを、留まらせてしまう。それは、わたしたちそれぞれに待ち構える老いの問題であり、先延ばしにしたい衰えへの態度として表れている。多くの写真家は、現実を突き進み、老人の死へ激突するアプローチを選ぶ。しかし、佐藤佳穂のカメラは、病院に向かう道や、病室から望む街路を等価で収めつつ、写真を撮ることによって客観的な位置関係を獲得した。祖母を見る眼、祖母の世話をする手はシャッターを切る手でもあった。
作者は来場者に37頁にわたる記録を手渡しているが、写真と共にある人の物語、肉親にしか意味を持たない物語であるのに胸を打つ。これは、わたしたちの情緒にからまる「私小説」を写真でやった結果だと思う。写真が真に写真らしくあるのは、このアプローチだとわたしは納得する。言葉の側で「私は、タオルで顔を拭き、口の中を洗浄し、目に目薬、口にリップを塗り、肌の乾燥を防止するクリームをマッサージしながら塗り込む」とある。看護する具体的な事物を回避しつつ、さりげなく、写された日常の光景が、言葉の表現とは違った写真の特質を表している。作者が写真をやっていたおかげで、作者だけでなく孫に写された人も力を与えられたと。今日の写真を見ながら元気付けられた。
この展覧会に、何故か惹かれたのは、わたしにもこうした状況があり、名古屋の病院へ見舞いに行ったりした時。病院で目にし、自宅で手にする現実を想うわけである。嵯峨野に住む作者の様子、文章で目にするものも、梅津に住んでいたわたしには、特別に気に掛かる情景である。
「祖母は、自分がどの位置にいて、過去に生きてきた先祖がどんな暮らしをしてきたのか自分なりに調べ」と云った言及が記録の中にある。同時代ギャラリーの奥まった小さなスペースに祖母の遺品から過去の家族アルバム、女学校のクラス写真などの色あせた古い写真が並べられている。わたしたちは木のまたから生まれた訳ではなくて、どこかの位置に選ばれて誕生したのである。それを写真を撮ることによって確認できた事は、作者の幸せであり、その会場に偶然出会ったわたしの幸せでもあった。世の中には、どの位置にいるかわからない人。わかりたくても手掛かりを失ってしまった人が沢山いる。この事も心を痛める現実である。
June 20 2003
昼休みにパルスプラザで開催中の「京都大骨董祭」を覗く。ちょっとしたオリジナルの感はあるけど、表紙だけを外して額装された1920年代のエルテによるハーパース・バザー誌があまりの高価格でびっくり。骨董市をブラブラ見る時は、古い雑誌やブリキのおもちゃ、そして、フランス物を探す。今日はアイロンの面白いのを3点発見。マン・レイが靴鋲14本を膠で張り付けた『贈り物』鉄製のアイロンの現物。日本でよくあるのはお湯を入れて暖めるタイプだけど、今日のはマン・レイのイメージに近い。それで、買うか迷った。値段も手頃で、一つの店など安くしてくれると云う。店主によれば「イギリスのはぼてっとしているけど、フランスものは小ぶりで装飾もあり綺麗です」との事。でも写真で知っているマン・レイのオリジナルは武骨な感じ、「LE PARISIEN No.4」は華奢な女性のよう、他の店にあった「MONOPRIX N.5」がいちばんぴったし、又、「D.W. No.5」は持つところがカーブしていて、70年代の作品に多く登場する物に近い。
でも、しばらく会場で物色しながら考えた。わたしのようなコレクターが、アイロンその物を所有することの意味といったもの。創造には二つの物が必要と云ったマン・レイの、神聖な手仕事へ無神経に介入するような態度ではないかと感じた。万人によって造られるべき『贈り物』としても、実際にそのオリジナルを所有している者にとっては、素材としてのアイロンと、作品としてのアイロンが同居するのは、潔いとは言えないのではないのだろうか。メトロノームを見付けた時も、こんな風に感じてパスしてしまった。物を買う事は難しい。それが、マン・レイの創造活動と不可分に結びつく品物の場合、清らかな態度が求められると、自分を戒める。
June 19 2003
朝はあったのに-----
地下鉄、四条烏丸駅。
朝はあったのに、帰宅時には地下鉄、四条烏丸駅に掲示してあった『マン・レイ写真展』のポスターが無くなって、伊藤園の大判「これが、お茶。」に変わっていた。歩きながら横目で楽しんでいた6枚の「キキ」だけど、寂しいな。展覧会も後半に入った、名残惜しいがゆっくり観なくては。
阪急を降りて地上に出ると、台風は日本海の北側を進んでいるようで、帰宅途中の道すがら、早く流れる厚い黒雲と、東方にのぞく青空、あいだからもれる西陽が美しい。こんな時にカメラを持っていればと悔やむ。雨が心配で早めに会社を出たのも幸いした。カメラが無いからスケベ心が芽生えず、景色を楽しむ事ができるんだね。
美術団体の事などが気になった瀬木さんの本が終わったので、文庫をパラパラ始める。昔、熱中した加藤郁乎氏、今回はどうだろう。
June 18 2003
会社は6月末が本決算。経理担当は準備作業でバタバタ。
June 17 2003
美術館「えき」KYOTO(ジェイアール京都伊勢丹7F)での『マン・レイ写真展』パート2、本日スタート、早速に夕方覗く。
June 16 2003
瀬木慎一氏の『日本の前衛 1945-1999』(生活の友社H12年刊)を読んでいる。
June 15 2003
京都駅ビルの大階段
左手7階から美術館に入る。
再会はもうないだろとキキの臀部を撮らえた『祈り』を観る。良くしまった黒色だけどフランスの黒よりもアメリカの黒に近いと思った。そして、ブルトンの肖像で彼の二重瞼が気になった。パート�最終日の午後、大盛況の会場。
七条河原町から高瀬川沿いに自転車で上がる。幾種類もの紫陽花。恐い建物もあるけど五条楽園のあたりは随分と整備されている。丸善、メデイアショップと覗き、三月書房で学研M文庫が2001年に刊行した加藤郁乎氏の『後方見聞録』を求める。書き下ろしの「点鬼簿追懐」等楽しみ。ATHAによってビールを一杯。パート�を観たと云う有田さんと会場の様子についての話を少々。
June 14 2003
終日の降雨。どこにも出掛けずスクラップ・ブックの制作を続ける。マルマンの廃版となったNo.579はA3変形で48頁。1頁に5枚として240枚整理出来るが、36枚撮りのフィルムで約6本。2003年6月に追いつくには、何冊も仕上げなければならない。もちろん、楽しい想い出作り。場面と時間との再会。終日続けたので疲れた。明日は伊勢丹の『マン・レイ写真展』パート�の最終日なので、外出したい。
June 13 2003
結婚記念日に知人から頂いたユリの花が、甘い香りを玄関に振りまいている。
June 12 2003
読売新聞の夕刊に「うどんは きつねVSきざみ」と云う記事が載っていた。そこに宇佐見辰一さんの『きつねうどん口伝』の一節が紹介されている「あっさり、こってり、まったりが三位一体になった『はんなり』した味が出ていないとあきまへんな」---新聞によれば「あっさりは口に入れた時の品のよさ、まったりはコクと舌触り、こってりは余韻」
わたしは名古屋の出身だからベースは「きしめん」。でも京都に来た時、同僚のH氏に祇園の「権兵衛」や木屋町の「大黒屋」で「釜揚げうどん」の美味さを教えられた---蕎麦湯を飲んでの二度の楽しみ。寒い季節には「あんかけ」だった---これには生姜が入って、身体が温まった。
June 11 2003
朝、竹田の畑に水が入って、田植えの季節の感触。日本は水の国だと思う。若い時、新幹線で名古屋から帰へる車窓から、湖国の水田に映る青空、西日の美しさにしばしば見とれた。地表のすべてが鏡になっている。そんな午後の遅い時間にはアンドレ・ブルトンの「地の光」(Clair de terre, 1923)を連想した。思い返せば、マン・レイに捧げられた詩の表題は「楽園全体が失われたのではない」というものだった。「日録」を書き込みながら人文書院の『アンドレ・ブルトン集成3』を手に取ると62頁、一部を引用すれば「天上の接近と後退とのために整えられた野には / 回転非難所などありはしない / それはここだ」(入沢康夫訳)。
June 10 2003
左肩が挙がらない廻らない。寝違いなのか五十肩なのか。いやはや。帰宅すると氏神様から人形が来ていた。「元祇園椰の宮神社大祓人形」名前を書いて小さな紙製の人形に息を吹きかけ、けがれを清める。梅雨の季節が始まった。
June 9 2003
過去に引きずられた収集家。「リタイアしたコレクター」と云うイメージはステキだと、勝手に想像していたが、本人にとっては、これが難しい。研究者という道には心がときめかない、「オマージュ人」としての生き方、「マン・レイへの愛を語る」語り部、愛を結実させる展覧会や出版物へのアプローチに騒ぐ血。眼と精神が、指先で繋がっているコレクションをする醍醐味が無いままの「オマージュ人」に意味はあるのだろうか。リタイアせねばならぬ現実に悶々とする。「わたしは、リタイアしたコレクターですから」と発言する時の空洞が全身に拡がり始めている。検索エンジンを使いながらパスする事の連続。「悲しいオマージュ」では読者の心を打たないと思っている。「希望のあるオマージュ」を実現させたい情熱の強度によって、マン・レイよこの指に降りたまえ----
June 8 2003
ジェイアール京都伊勢丹から
西第一駐車場のあたり
10時の開館に合わせて展覧会へ。洞窟の写真を撮る。マン・レイへと続く「アリアドネの糸」となる写真を期待。日曜日の午前中で若い女性客の多さにびっくり。一人で観ている人も何人か、熱心に写真の人物を紐解く人、解説を読む人も多い。中年のおじさんは近づいて、作品の説明をしてあげたいと思うのだが、そんな訳にもまいらず、人が途切れるタイミングを見計らってパチリ、バチリ。28mmのレンズで展示情景を記録する事に専念する。帰宅し、現像した写真は、「アリアドネの糸」とはなっていなかった。久し振りにミノルタの一眼レフを使ったのだが、レンズ性能が悪いのかな---
June 7 2003
ジェイアール京都伊勢丹7階
美術館「えき」KYOTO
「マン・レイ写真展」
昼からゆっくり京都駅へ出掛ける。自転車10分で京都駅なのだから、抜群のロケーション。今日は展覧会のカタログと作品を対比させながらの鑑賞。アイメックス・フアインアート制作による今回のカタログは、作品をカタログに転載する過程で、修正が随所に入っている為、印刷された写真は綺麗に仕上がっている。ここには、原版の汚れやトリミング、写真自体の改作といった問題が発生しているが、カタログはもともと資料であってオリジナルとは別物と諦めておこう。
カタログに簡単なメモを書き入れての検証作業だが、昨年のBunkamura会場で見落としていた箇所もいろいろあったので、楽しい。京都会場での一番は、ポスターに使われている写真も含めた「キキ」の4点を飾ったコーナー。左から「祈り」「アングルのヴァイオリン」「ベールをかぶったキキ」「体形」 ヴインテージ・プリントとは表示していないが「祈り」の左下には「MR」のモノグラムでのサインが認められる。光沢印画紙で黒のしまりも良く、臀部のボリュームが神々しい。この他にはモダン・プリントだが220番の「アンドレ・ブルトンの肖像」に惹かれた。読者としてイメージするブルトンに一致する。マン・レイの写真が観客を魅了するのはこの点にある訳。モダン・プリントでもシュルレアリスト達の肖像を集めておけばよかったかと、反省も少々。
わたしの「マン・レイ写真展」の楽しみ方を紹介しておきたい。
1) 画家や作家の作品からわたしが連想した作者のイメージと、写真から受けるそれが一致すると楽しい。
2) 美しい女性達の肖像から、カメラマンと被写体との関係を推測する(恋人、モデル、依頼された肖像写真)
3) コンタクトプリンに印されたトリミングの指定や原版の修正指示等がマン・レイの手の痕跡を意識させる。
4) ヴィンテージ・プリントにおける経年変化から時間の流れを実感する(作品プレートに「V」と表示、印画紙表面に銀の浮き出す場合あり)
5) 使われている印画紙のタイプを分類する(特にヴィンテージとモダンでの差異、写真を斜めから観て印画紙表面の反射で確認)
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古い友人のY氏から、『日録』6月2日に書き込んだ「知的で美しい女性」に変わる、良い表現はないのかと 先日からメールでやりとり。氏から以下の書き込みがあった。有り難い、読者に感謝。氏がホームページを開設する日を期待する。
石原輝雄様
どういう表現がいいのか?私の感想はあくまでも、文章の斜め読み。文脈からの意見ではないのですが、マンレイとの関係を強調すれば、自由な女性、自由のある女性、自由な関係を作る女性、関係性が自由な女性、性差から自由な女性、或いは、ケーキを贈りたいと思う女性、有難うと素直に言える関係にある女性、一緒にビールを飲みたい女性、日録ですからその日の気持ちが優先すると思います。信頼関係があれば、毒舌家の女性!です。
June 6 2003
今日は21回目の結婚記念日、ケーキを買って帰宅する。「マトリックス」を観ながら子供達と一緒に頂く。ビールを飲んで良い気持ち。家内には迷惑ばかりかけている。
June 5 2003
地下鉄の車内ポスター
「べールをかぶったキキ」
地下鉄の車内広告や、駅構内の掲示板に「ベールをかぶったキキ」の写真が貼られている。先日、美術館から送ってもらったポスターが生き生きと街に栄える。1920年代の初々しい少女「キキ」 成熟した女性となる前の、瑞々しさが漂っている。京都駅で途中下車し、今日も美術館を覗く。
『マン・レイ写真展』の展示風景を写真で紹介できないのが残念。会場はちょと迷路の雰囲気。作品保護の為に照度を落としているせいもあって、洞窟で観ている感じもする。さらに、作品の展示位置を低く設定している様なので、わたしには見づらい部分もある。しかし、マン・レイ じっと、しっかり拝見する。やはり、その日によって作品の印象は異なる、新しい発見が続く。
June 4 2003
京都伊勢丹の大階段に面して
美術館への入口がある。
美術館「えき」KYOTO(ジェイアール京都伊勢丹7F)で『マン・レイ写真展』が始まった。
June 3 2003
昨夜はこれっきりにしようと最後まで読んで就寝。後味の悪い読後感となった。
今日は楽しい話題を。 間奈美子さんが「魔王 第二号」(2003年5月30日書肆不死者画報発行 限定300部)を届けて下さった。彼女の個性あふれる造本で輝いている評論誌。早速、硫酸紙のカバーをして読み始める。加波都るみ氏の「青い手袋の婦人」は『ナジャ』狂いのわたしとしては、先のブルトン・オークションにも登場した「プロンズ製の手袋」の話なのだから、興味を持って読み進む、図版前後の記述に「面白いのは、ブロンズ製の手袋によって視覚と認識とのあいだに引き起こされた錯覚が、ちょうどこの違和感に具体的な手応えを与えている点である」と筆者が印しているので、頷いてしまった。筆力と関心の持ち方、対象との距離に臨場感あふれる34-42頁だった。面白い人がいるなと楽しい発見。
序文として巻頭に置かれたA・ピエール・ド・マンディアルグの一文に「シュルレアリスムとはブルトンのものであり、他の誰かの才能や天才がいかばかりのものであろうとも、ブルトン以外の誰のものでもなかった」(宮川尚理訳)という重要で本質的な指摘が置かれている。読み始めたところだけど、グイグイ引っぱられている。これこそが、本を読むこと。未見の雑誌を送って下さった間奈美子さんに感謝。
June 2 2003
マン・レイに関する本を手にして怒り狂う事など考えられないわたしだが、『マン・レイ 写真と恋とカフェの日々』(白水社 2003年刊)には、怒りの感情まで生じている。校正間違いも散見されるが、それはお互い様というやつだから良いとして。236頁に「マン・レイはその年の八月に、二十三歳のジャクリーヌ・ランバと結婚した。------略----マン・レイ夫人とは名も同じジャクリーヌ・バルソッティ嬢は、----」とある。唖然とした。原書(Harry N. Abrams 2001年刊)の201-202頁にあたるけど、そんな記述はないぞ、わたしが未見のフランス語版にあるのだろうか? それにしても、まさかの世界。バルソッティ嬢については、調べてみないと分からないけど、ジャクリーヌ・ランバは、水槽での裸体の美しさに、わたしも魅了される知的で美しい女性。彼女は1934年8月14日にブルトンと結婚している。この事は、シュルレアリスムに関心を持つ者にとって、常識の範疇だろう。語学が不得意な者にとっては、訳書に助けられる部分が大である訳だが、この本の日本語のすべてを疑ってかかる事になってしまう。「なんとかしてよ」の心境である。
June 1 2003
『シンプル・ビーズ&カルチャー・ビーズ』展は今日で最終。スザンさんの作品は見るたびに新しい発見。これが良い作品の条件である。雑誌のページには左下に小さく「224 QVEST MAGAZIN」と印字されている。キャンバスの様な視覚が得られて、やっぱり、ウナッテしまった。赤や黄色の可愛いチョコの中には地の黒色が認められるものもあって、これも楽しい。台座の上のパンテイの構造を今日は想像。そして、又、北ギヤラリーの映像インスタレーション、アーニヤ・クネヒトの「LOVER BEADS」ネックレスの呼吸に眼球が吸い込まれる。不思議にリズミカルなエロス。引用されている「泥棒成金」の会話。ケイリー・グラントの「You know as well as I do. This necklace is an imitation !」に応え、グレース・ケリーが「But I am not !」 暗い空間にネックレスの輝きが上下し、さらに声がシンクロする。単純な仕掛け、たわいのないセリフなのに、心がときめいてしまった。