2004.1.1-1.31 マン・レイになってしまった人

January 31 2004

 

朝、M氏からのメールは入っていなかったが、オークション・サイトでのメンバー・プロフイール欄に同氏が"Great transaction"と書き込んでいたので、ひと安心。アメリカから物が出る場合には日数がかからないと思うが、早く到着しないかと、またしても、ソワソワ。

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 色の音楽・手の幸福 ロラン・バルトのデッサン展チラシ

 午後、百万遍京都大学総合博物館で開催中(2月15日迄)の『色の音楽・手の幸福---ロラン・バルトのデッサン展』を観る。氏の抽象的デッサン、デッサン=エクリチュール、彩色を施された文字等の絵画的作品を知らなかった。もっとも、氏のテクストについても読み込んだかと云えば、立ち止まったままの状態。しかし、何故か気になる人である。写真の本質をとらえた精神の指先が残した物。そんな期待を持って二階の企画展示室へあがった。フランス語が判らないので、プレートを参照しながら、美しくデザインされた言葉を見る。

京都大学総合博物館
企画展示室エントランス

     
     
     
エクリチュール、それは手でありしたがって身体である。その衝動、その制御、そのリズム、その思考、その滑り、その錯綜、その逃避である。ようするに魂(筆跡はどうでもいい)ではなくて、欲望と無意識をになった主体なのだ。」 
    
    
    
     
     
     


 
カメラ・ルシダと氏の著作を照らす光の正体が上記の赤い文字であるような導入部。展示されているのは49点の小品デッサン、松島征氏宛の5通の書簡、著作、肉声の再現。1976年7月9日の日付で「64670ユルト」のレターヘッドがある緑色のクレヨンのデッサン等を良いと思ったけど、全体の印象としては、エクリチュールの説明にあるような「書くこと、書かれた言葉、書き方」といった三段階の品物であるようだ。対象に近付き、思索し、浮かび上がって手許に戻ってくるような三段階。凹型とも云えるかな。手許に戻らせる、はねたように力のある物がわたしは好きなように思う。
 会場を何度も行きつ戻りつしながら。瀧口修造氏を連想したり、ミショーの事を思ったりと、わたしは幸福な手の系譜に近付いていた。でも耳元でその人達がささやく「幸福なんて、どこにも無いよ」と。

 尚、同展ではシンプルなカタログが用意されているのでお勧めしたい。30 x 20cm、70頁で900円。


January 30 2004

幾つかの仕事が重なりバタバタとした月末。段取りが総てと思いつつ朝の数時間しか頭が働かないので困ってしまう。

 ところで、帰宅し確認するもアメリカからのメールが入らず不安になってきた。いろいろ調べてみると、昨年の12月12日から「テロ事件に伴う措置である物品を内容とする郵便物 バイオテロ法施行に伴う通関検査」で送達遅延が発生しているらしい。郵便の窓口でこれを説明し、了解された場合のみ受け付けるよう指導中との事だが、そんな説明がなかったし、いつものように書留で出してしまった。EMSや他の送金方法で対応すれば良かったと悔やまれる。丁度、メール機能に障害が出ていたタイミングでもあり気が付かなかった。早く現物が欲しくてソワソワしていたのだ。明日の朝には、到着の知らせが入っているの期待しよう。


January 29 2004

昨夜もヤフーのメール機能に障害。朝、メイン画面を見ていたら「22時から約3時間、Yahoo! JAPANでログインするサービスがご利用しにくくなっておりました。ご迷惑をおかけいたしましたこと、お詫び申し上げます」とあった。これが表示されてからでは遅かりしだと苦笑する。
 さて、別件だが、どなたか海外へ少額送金する時の良い電子決済の方法をご存じないでしょうか? 「ペイパル」を使おうかと考えているのですが、身近に利用者が居ないので、ちょっと躊躇。いきなり、ネットサーフィンで見付けたサイトにカードの番号なんて書き込めないからね----


January 28 2004

今橋映子(編箸)『展覧会カタログの愉しみ』(東京大学出版会 2003.6)を読んでいる。「比較芸術論」的なアプローチなので興味深い。山屋真由美氏の「瀧口修造の造形的実験展」や千葉一幹氏の「写真展シュルレアリスト山本悍右--不可能の伝道者」などを取りあげた論もあり、あちこちと眼を通している。論者による温度差やアプローチへの共感度によって、躊躇したりもするのだが、日本美術についての情報もいくつか吸収できた。今日はこんな引用を「周知の通り自伝や回想記には、誤謬や誇張が付きものであり、特に1920年代パリについては伝説化の傾向が強く、それが従来研究者たちを悩ませてきた」(今橋映子78頁)。


January 27 2004

夕方、急に寒くなった。同僚と共に退勤の暗い田舎道を急ぎ足で駅へ。帰宅し冷え切った身体にかがり湯もそこそこ、浴槽へつかる。そしたら、太股の内側や腹部から背中にかけて、無数の微細な気泡。体温を維持してくれていた空気が所在なげに浮き上がってくる。掌で撫でてやると、こちら側にからまってくる感じ。温まって、ボーットする、それからぬるいビールを一杯。

 ニューヨークからメールが入ると良いのだがと心配している。現地では仕事が始まったばかりの時間帯。明日朝にチェックしなければ。


January 26 2004

アメリカ宛の郵便物がテロ対策の影響下で遅延状態。それで、送金が未着だと先方から問い合わせがあった。事故にあっていない事を望むばかりだが、ネット上のプロフィル100点満点のわたしとしては、メールを入れる時の言葉のニュアンスに苦労する。それで英語の勉強。わたしの英語の先生、ネイテブのT氏に相談。覚えるより慣れろだけど、この歳では道は遠く先は崖っぷち。校正を受け、急いで送信する。


January 25 2004

昨日撮った写真を現像に出し『日録』にアップする。そして、終日、出品作品をいろいろ検討。マン・レイがこの企画に参加するとしたら、彼は何を望むだろうかと考える。


January 24 2004

のぞみ157号の切符を持ってたけど、最終の東京21:18発の159号に乗って京都まで戻った。楽しく呑んだ後、アルコールも消えてしらふでこの『日録』を書き込んでいる、久し振りの東京日帰り。

写真集専門の古書店『魚山堂』は
地下鉄神保町駅A4出口より徒歩1分。
谷地ビル2階 踊り場にも商品ケースがあり
期待が膨らむ。 

   
   

朝、神田の「魚山堂」へ突撃して一日を始めるつもりだったのだが、10時30分、11時、12時と階段を上がったのだが扉は閉ざされていた。それで版画堂を覗いたり、山田書店や古書センターの梓書房、田村書店や一心堂、悠久堂等へ寄って展覧会カタログを色々物色し、なんとか午後、伊藤俊一氏と話をした。写真集専門の古書店として注目しているのだけど、今日は欲しい物を見付けられなかった。マン・レイの版画『マルガリータ』70/75など購入したいアイテムもあるのたが、そこまで入れ込むのはと躊躇した。とりあえず、店の雰囲気を覚えた数時間。その後、源喜堂でアパチャーの古い号を求めた。安い価格でピックアッブできる感覚が源喜堂の魅力。2時から急いでアルカディア書房へ行き矢下晃人さんと世間話。ダダやシュルレアリスムや、戦前の色々な芸術潮流の古書を物色。この店のラインナップはスゴイ。それぞれ相応のプライスとなって、掘り出し物とはならないれけど、心そそられる品揃えである。以前から気になっていたコクトーの詩集も手にしたのだけど、パスした。インターネットで確認する価格からすれば購入すべきなんたけど、状態が今一つで断念。ビニール袋に入れられ掲げてある雑誌風の『PHOTO』はマン・レイのレイヨグラムが表紙に使われていて未見の書。箸者は外山卯三郎氏で1935年9月20日マタン社刊。この出版社が瑛九の『眠りの理由』を出しているのを奥付頁で知って納得した。しかし、あまりの高値でこれも断念。金欠病はつらい。その後、ツァイト・フォト・サロンで石原悦郎さんと会い上海の写真事情を色々伺う。

  
地下鉄丸ノ内線本郷三丁目駅
アルカディア書房を出て電車を待つ。
時間がせまってあせりぎみ。
(写真上段)

銀座で銀座線に乗り換え京橋へ向かう。
営団のキオスクは機能的で、
最近読んだ宮本陽一郎氏の文章を思い出してパチリ。
(写真中段)

 
中央通りの地下鉄京橋駅B6入口。
ツァイト・フォト・サロンでも話し込み
いそいで階段を降りる。
(写真下段)
    

      

   

   

   

   

   

   

 

     

   

 

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銀座七丁目の並木通りに面して建つ資生堂本社ビル。
四月の文化発信施設の開館に向けて
改装工事が進む。
   
   
   
   
今回の上京目的は6月に始まる、マン・レイ展の打ち合わせなのだが、資生堂のスタッフの方と楽しく真剣に話をした。工事中の会場であるから展示の状態を推測するばかりだが、マン・レイとファッションの関係を提示出来そうで期待がもてる。銀座の並木通りに面した資生堂本社ビル、1、2階に作られる「HOUSE OF SHISEIDO」が会場(開館4月8日)。資生堂が所蔵するマン・レイのオブジェや写真の他、いくつかの所蔵家からファッション写真を中心に構成される。ここに、わたしがコレクションする作品や資料の貸し出しも頼まれていて、昨秋から準備を進めてきた。担当者は美術館での展覧会とはちがった面白い切り口のマン・レイ展を企画していて、展示の方法やカタログの作りやらのアイデアが具体化する過程に参加できて、わたしも一緒に展覧会をしている感覚である。詳細については、順次この『日録』でも報告したいと思っている。

 同展の監修者である写真評論家の飯沢耕太郎さんと同席しての打ち合わせ。氏から新刊の『デジグラフィ』(中央公論新社1月25日刊)を頂いた。「デジグラフィ」は氏の造語との事、「<デジグラファー>たちの多くは画像をプリントアウトすることにはほとんど意義を認めていない。ウェブ・サイト上では、画像がアップされては、いつのまにか消えていく」(191頁) 時代の現象を的確にとらえ鋭く論ずる氏のセンスに脱帽する。

 あわただしい一日だった。2階の会場が想像以上に広いので貸し出し作品を追加せねばと再考しつつ新幹線でもビール。頂いた本に目を通したりしていたら、いつのまにか寝てしまった。
   

東京駅新幹線ホーム
新大阪行きの最終「のぞみ」
土曜日だからゆっくり席を確保できた。
   
   
   
   
   
   
   
   

  

January 23 2004

昨夜は冷えすぎて眼が冴え、布団に潜り込んでから困ってしまった。襟元が寒いから毛布をひっぱっり、布団の中で息をハアハア吐き出して暖かくするんだけど、こいつには息の出来なくなる欠点があって、子供の頃のアンカの暖かさを思い出した。アンカといえば祖母の家のには練炭が入っていて、潜り込むと赤い光が見えたっけ、ずっと、それを見ていたけど、見続けていたら酸欠だよな。冬、思索が深まる布団の中、瞼の内側で時間を数えることが出来る。今晩はどんな映像を観るのだろうか。脳の記憶、光が無くても見える光景。


January 22 2004

今週末の土曜日(24日)には参加したい催しが二つある。兵庫県立近代美術館常設展示「中山岩太」展に関連した連続レクチャー・中島徳博氏による「再考・中山岩太」(14:00~15:30)。もう一つは、大阪・サイギャラリー(電話06-6222-6881)での内藤礼氏と国立国際美術館の島敦彦氏によるトークショー(18:00-19:30)。『日録』の読者の方には興味惹かれる内容と思うので事前にお知らせし企画の盛り上がりを期待したい。

 でもね、催し物はバッティングしてしまうのが常。わたしは、土曜日、関西に居ないんだよね。そんな事を考えながら山崎書店から送られてきた「美術書庫リスト40号」を読んでいる。巻頭から『京都パラダイス』展開催の話題なので、ググっと読み込んだ。山崎書店の二階に展示スペースが開設されるというのだから、スゴイ。そして、なんと2月22日-29日は『SUMUSパラダイス展』「古本に関する単行本を次々に生み出した雑誌SUMUSとは、いったいどのようにしてできたのか? できるのか?」と林哲夫氏の登場。リスト40号での氏の読み物「ちゃぶ台が流行れば喫茶店がもうかる話」を楽しみながら、こうじゃなくっちゃと、納得している。


January 21 2004

今日は「大寒」だが昼間暖かく、家人の弁当を開くと春の息吹が詰まっていた。ちくわ、揚げ、こんにゃく、かまぼこが甘辛く炊いて左にあり、右には金時豆。この土のような色合いを挟んで、さんど豆とウインナーの炒め物。緑とピンクが生き生きとした雰囲気で、その手前にゆで卵が切って入れてあり、白色の上に黄色い花が咲いている。通勤途中に樹の芽の出始めを気付いた日だったので、弁当箱の中にも春がと嬉しくなった。手作り弁当をわたしは毎日持って出勤する。学休期も続けているのだから家人の苦労は大変だと思う。健康の為とは云え、彼女の協力に感謝。

January 20 2004

ジタバタしたが、ヤフーのメール機能は自然復旧。やはりサーバー側のトラブルと思われる。それでも心配なので、わたしのMACの先生であるSさんに教えて頂いたファイル整理をして今後にそなえる。

January 19 2004

土曜日からヤフーのメール機能がダウンして難儀する、これで三度目。こんな時はどこに苦情を持ち込めばと探すが、メールがだめなのだから、電話。でも電話番号ってヤフーのどこに表示されているのかしら。わたしにメールを入れようとされている方、読むことだけはヤフー・ジャパンからバイパスして出来るので安心して下さい。でも、返事を書くのに困った状況。明日には回復しているだろうか-----


January 18 2004

光がさす良い天気となった午後、幾つかの展覧会を覗に自転車で市内をブラブラする。美術館「えき」KYOTOで『幽玄の美 金剛宗家 能の世界展』 舞台の演者から離れ、眼の前に掛けられた能面。越智作になる『喝食』の前で眼が止まった。喝食というのは禅院で食事の世話を大声で知らせる職名の事らしく、12歳から16歳頃の美少年で額に前髪を垂らして現される。頬にえくぼがある少年の顔、これが、よく見るある人の表情に似ているので、眼が止まったのかな。明快な行動力で正義を守る人物として「自然居士」のシテで演じられると云う。なるほど、その人は正義の人だ。
 能面の恐ろしさと能装束の美しさ。「羽衣」で使われる「胴箔地鳳凰文長絹」などは手塚治虫の「火の鳥」を連想させる。舞台を観る時、わたしの眼は正義の人のえくぼに気が付くだろうか。

 次いで京都国立近代美術館の『秦テルオの軌跡』展 輝男氏のデカダンは苦手だが出品作No.174の竹久夢二童子』には惹かれた。もっとも、今日のお目当ては、昨春からの6回シリーズで続く東松照明の写真の方。現在は『インターフェイス』 これを、リハビリとの関連で観ていたけど、1960年代の『われらをめぐる海』の「潮間帯」から続いているアプローチのようだ。会場に東松氏の講演抜粋があり「(インターフエイスというのは)写真家としての私の立場といいますか、スタンデイング・ポジションですね。つまり、対象に付きすぎても写真には写らないし、引きすぎると今度は霞んで見えなくなる、立つ位置というのは---物を定める位置というのは写真家にとって重要になってきます。」と書かれていた。インターフェイスプラスチックス、ブリージング・アースの3シリーズ。クリスタル・プリントによる36点。昔、写真集『日本』で観た「アスファルト」の距離感ともつながるのか、対象とカメラ、自身とのポジションは本質的な写真の問題。東松氏の何時も時代の突端に位置する仕事に関心した。No.28の写真に影となって写っているのは氏自身だろうか。写真の事を考えると、東松氏に突き当たる。わたしはその壁の前で、右や左にぶれてしまう。

 それから、府立図書館へ寄って美術書の棚から数冊取り出す。近くのギャラリー16での「山口啓介展」も覗く。今年、最初の訪問で坂上しのぶさんと世間話。作者の話も聞けた有意義な一時だった。そして、画廊を出たらバッタリMさんと会って、又、世間話。京都のこんな距離感が好きだ。街は日が暮れかかり、買い物をすませ、急いで帰宅した。


January 17 2004

5時前に起きてネットオークションに参戦。休日の朝は早く目が覚めるので、これが苦ににならない。円が急伸し顧客売りでも107.24円となると気も大きくなる。1点は取り逃がしたが5点を落札したので、満足しつつ『日録』に書き込んでいる。具体的な報告は現物が到着してからするつもりだが、やはり、逃げ去った1点が気になる。

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 午後、家人と名古屋に出掛ける。ウツラウツラと車中の人、眩しくて眼を開けると雪景色。関ヶ原を抜けて濃尾平野に降り、振り返ると養老の辺りに低い雲がたなびいている。雪がやんだ後の冷たい雨の街。さびれた商店街。でも懐かしい寿司の味と世間話で安堵した。


January 16 2004

火曜日からの花粉症(風邪)は、うがい・手洗い、たっぷり睡眠、中島薬局の感冒剤3号、甘酒、防寒具、手袋などのおかげで回復。やっと知立のY氏に電話。


January 15 2004

風邪気味で開店休業。10時に就寝。


January 14 2004

マン・レイ資料を観ると欲しくてたまらず、発熱までするわたしの病気をみかねて、旧友のY氏が『カメラ・アート』1936年1月号を譲ってくれた。恥ずかしくもおねだりしていたのです----よかった。この雑誌については昨年『日録』の9月10日に言及した。実物を最初の頁からパラパラ覗くと、特集の一つが「海外作家紹介」なので、こんなラインナップでムンカッチ; 片岡伍郎 ウォルフ;名取洋之助 スタイケン; 木村伊兵衛 ナギイ; 山内光 リッキー;原弘 などなどと興味深い。さらに、金丸重嶺氏の「海外知名作家の人物写真」の項にマン・レイも紹介されているのだが「記者付記--マン・レイの作品は頁の都合で割愛させていただきました」とあって残念。でも、花輪銀吾氏のエッセイは素晴らしい。掲載写真3点の選択も納得できるものである。そして、「写真界便り」には雑報で「なごやフォトグルッペ」例会への言及もあった。----急いでY氏に御礼の電話をしなければ。


January 13 2004

寒気団の到来で荒れ模様、仕事で外出。強風のためか花粉症が出始めた。


January 12 2004

穏やかな成人の日。


January 11 2004

ヴィラ・九条山のエントランス。
   
   

   
   
来日中のロラン・フレクスナー氏を訪ねて長女とヴィラ・九条山へ出掛けた。そこは「すでに実績のある芸術家や作家、研究者等が4ヶ月から12ヶ月にわたって日本に滞在できる施設」でフランス政府が運営する。フレクスナー氏はニューヨーク在中だが生まれは1944年ニース。日本では2002年から2003年に東京国立近代美術館、大阪国立国際美術館を会場に開催された『現代美術への視点  連続と侵犯』展の招待作家の一人として知られている。昨春、氏がわたしのホームページに気付いて、メールを入れてくれたのが始まりで、マン・レイのオブジェ「贈り物」に関する照会だった。シュポール・シュルファスの作家である氏が最初に知り合った著名な芸術家がマン・レイだったそうで、ル・フェールの当時の様子などを伺った。マン・レイに作品を見せたこと、70年代のデュシャンマン・レイ作品の想い出。即興のマン・レイによる講演。------

 フレクスナー氏の近作は、お嬢さんの遊んでいる様子からヒントを得た「シャボン玉にインクを混ぜ、紙に直接固着させる息によるドローイング」で奈良の墨を使ったと云う。偶然が作るイメージ、空気で圧力を掛けたデカルコマニーといったもの。小さなサイズの宇宙だけど、墨の濃淡に色彩の力を感じた。墨流しのような技法の作品もあって、風景画を観る印象である。

 メゾネット・タイプの研究室は広々とした空間で緑に囲まれ、ときおり猿が顔を出すといって笑われた。わたしの語学力では氏のお話の十分の一も理解出来なかったが、いろいろと教えて下さるシュルレアリスト達の逸話にパリやフイラデルフイアへ行きたいと云う思いがつのった数時間であった。英会話の勉強をしなくてはと反省しつつ、こうした実践こそ力になるんだと、坂道を下りながら考えた。
  
  

143号線を降りてくると京都の街に入る。
左; 蹴上浄水場。右; 地下鉄蹴上駅
   
   
   
   

   
   
   


January 10 2004

知立のY氏との約束、東京在住のS先輩への思い、それらをゴソゴソ片付け夕方、冊子小包を郵送。やっと次の段階に進める段取りとなった。

 沢山頂いた年賀状で、幾人かの方から「『日録』を読んでいます」と教えられた。そうした人達のお顔を思い浮かべながら、書き込んでいます。皆さん有難う御座います。
  

January 9 2004

英国のエセックスに新しく開館するシュルレアリスム・センターのドーン・アデス教授からメールを頂いたので、タドタドしく英語で書いて返信する。銀紙書房本がこのライブラリーで活用されることになったのである。彼女のメールには「将来的に協力し合いましょう」とあった。シュルレアリスムは何時も今を生きる思想。言葉の壁は超えられると期待せずにはいられない。


January 8 2004

「S氏」についての情報を「SUMUS」の林哲夫さんからも頂いた。朝日新聞99年10月15日の記事「テーブルトーク」によれぱ「大手都市銀行に定年まで勤めた。行員時代から趣味で集めてきた現代美術のカタログや記事などを整理し、5年前に東京都中野区の自宅を現代美術資料センターとして開放。「戦争と美術」展なども企画してきた。資料は段ボール箱にして約500個、1万点を超す」とある。林さんが送ってくれた記事には名前の記載があり、インターネットで検索すると本名での様々な活動が浮かび上がってきた、それで「S氏」あらため「笹木繁男」さん68才(記事当時)と、この『日録』でも書き込み、重ねての探索を行いたいと思う。いずれお会い出来る日が訪れるだろう。


January 7 2004

長女とバッティングしてしまい『日録』への書き込みが朝となってしまった。4時に起きたので眠い、幾つかメール送信をした後で、今、8日(木)5時30分、睡魔が襲う。


January 6 2004

年末28日に書き込んだ、丸山治郎氏の名前が実は仮名だったと聞いた、本当だろうか。新聞では氏が名前を伏せていたのだから芥川編集委員が仮に付けた「S氏」としよう-----再読すると芥川氏の文章から仮名とした雰囲気がつかめるのだが、まさかね。----ポリシーの元に隠れたコレクター。40年の長きにわたり集められた現代美術のカタログ類は「S氏」が保管しなければ、消え入っていたもの。特別の情熱によって分類された時間と画廊と運動の係数は、氏に固有のもの、同時代的に関わった者が発する光を内在している。氏の蔵書からなる東京文化財研究所の「近現代美術展覧会情報データベース(試験運用版)」のサイトを訪問すると、絶対的な重みに圧倒される。ギャラリー16関係の資料でも故石原薫氏の1963.4.2から始まる742件。マン・レイについてもわたしが1983年にRギャラリーで行った初コレクション展を含めて25件。いや、すごいデータベースだ。未見のマン・レイ関連展を3件発見したので、いずれ調査をしなくては、テレビで一瞬拝見しただけの人「S氏」にお会いしてみたい。



January 5 2004

仕事再開。


January 4 2004

恵文社で平置されている
マン・レイ写真集。
コクトーやコーネルの画集も。
  
   
   
年末から気になっていた恵文社での「冬の大古本市」へやっと出掛けた。自宅から一乗寺まで自転車でとなると、登りとあいまって時間がかかる。こんな時は、カメラのファインダーを覗きながら走ると楽しい。ギヤラリーアンフェールが架空の古書店となるラインナップは海月書林、Glyph、恵文社砂の書sumus、ファビュラス・オールド・ブック、モダンジュース、Luleといったところ。「砂の書」と林哲夫さんの「sumus」となるとチェックしなければと、思っていた。先月23日開店だから当然だけどすでに売れたのか、何も残っていない状態だった。しかし、会場には若い女性が多い。彼女達が好む絵本やグッズが取りそろえてあるので、クスグルのだろうな。わたしもパラパラ、じっくりと観た。小物など求めたくなったが「スーベニールの場所が未定のままだな」と、手から戻した。恵文社は京都書院やアムスが閉店した現在、もっとも注目する勢いのある書店だ。しかし、わたしには遠いのがネック。店内をブラブラしていたら、ヤヌスが1976年にベネチア・ビエンナーレの折に出した「マン・レイ 写真のイメージ」展カタログのリメイク版(2002年の展覧会のカタログだろうか?)が置かれていた。インターネットで書影は知っていたが、手に取るのは初めて。早速に買い求めた。

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 昨日、お送りした『指先の写真集』についての感想を幾人の方からメールでいただいた。ある方は「そのうちマニアが必死に探す本になるのではないでしょうか? それよりも、こうした本の作りはかつてのシュルレアリスムが生み出した幾多の魅惑的な書物に通底するものとしての価値を持つものと思われます」とまで云って下さった。年末からの忙しさが救われた。感謝。


January 3 2004

阪急電車京都線の特急電車が、
淀川を渡る。(写真上段) 
   

   
   

道頓堀の大阪松竹座
建物のエントランスは
アメリカン・ネオルネサンス様式。
大林組の木村徳三郎設計、
1923年竣工。(写真中段)
   

   
   

緞帳「有職麗華」(写真下段)
   

   
   

夜10時過ぎに自宅に戻った、忙しい一日だった。朝、注文を頂いた皆さんに『指先の写真集』を冊子小包で発送。肩の荷を降ろして大阪へ出る。今宵は大阪松竹座での「初春大歌舞伎」の鑑賞。その前に中之島のリーガロイヤル・ホテルにより、日本画家の内田広巳さんの個展を拝見する。昨年は元旦に氏と新年会を行ったが、氏の益々の活躍に頭が下がる。会場には素敵な心安まる花のある風景画が掛けられている。その中で、6号の「源流」に惹かれた。氏の日本画を観ていると日本人の感性がウズウズとする。この絵の場合など、水の流れと奥行きの遠近法が、観る喜びをクスグルのだよね。

 難波高島屋地階の「ざこば」で弁当を買い求め、家族みんなで道頓堀の大阪松竹座へ。夜の部である今宵の演目は「鬼一方眼三略巻」「寿靫猿」「人間万事金世中」「俄獅子」の三本。歌舞伎の世界は今までのわたしは知らないのだが、家内にとっては普通の生活習慣であるようだ。文化果てる名古屋人としてはなさけい。初めての歌舞伎舞台に感激した。古典芸能の世界で単純に感動してしまうのは、シュルレアリスムを生きようとする精神にとっては日和見とみられがちだが、モダンで新しい。洗練された表現の世界なので影響されることが多い。本日は正月公演であり、目出度い演目に終止した感もあるが, 雁治郎と吉右衛門は上手い。初心者が感想を述べるのはおこがましいが、歌舞伎の演者というのはどうだろう、演じられる女の色気。ベルメールのように間接の無い人形のような肉体と云うか、意識、脳が指令を発して手や足が動くのだけど、動く時に関節の自由な動き。関節を介する事によって、分離された腕と手。向こうずねと足。離ればなれの感じが肉体を消して、物語の世界に観る者を誘うのだね。艶っぽい日本舞踊。それと、歌舞伎鑑賞で感じるのは、本日関西初お目見得の小猿を演じる「鳴滝八幡宮の場」での虎之介(中村扇雀長男)など、家を観る事によって、鑑賞者の側が時間を観ていると云うか、襲名によって、引き継がれて行く時間と云った感覚は、長年、観ている家内の言動などからも感じた。
 歌舞伎世界での約束事等いろいろあるのだろうが、永い年月の間に洗練されたそれは、自然で心地良い。水色の布がふわりと落ちて左右に立ち去っていく感じなど、舞台が切って落とされると云う語源だけど、本当に上手い演出なのだ。役者のセリフと義太夫の語り。その間の取り方など日本の文学の総てに共通するなと感じる。まいってしまうね。これを知らなくて52歳となってしまったのだから、文化が無い事は恐ろしい。彼女は迷惑そうだけど。ぼちぼちと家内に連れられ善光寺参りの気分である。
 もっとも、最近の演目の為か「人間万事金世中」の二場面はいただけなかった。第一幕店先で使用人が荷物を運ぶところ、重さが欠落している。第二幕第一場での臼右衛門のお祝いの品。これにも重力が無いんだ。舞台は虚構なんだから、それを感じさせないように演じてもらいたい。

 阪急京都線で戻りながら詩誌「ユリイカ」の特集;ダイアンアーバスをパラパラ。奈良原一高氏の『ダイアンと僕』にはグングンひかれた。「女性写真家特有の対象に密着する、強い不可思議なリアリティもそこには感じられる」(149頁)等の他にテープレコーダーで、公表することを前提としない残された録音を前にして「人間はひとつの成長する生き物であり、たとえ間違いをしても、その間違いの中にさえ生きる問いと答えを発見し続けるものであろう。それは、闇の中に答えを置くことよりは数段とましなことではないか。それに、写真家であるダイアンの真実はその写真の中にあって、言葉はその影法師にすぎない」(150頁)と云う回想は本質的である為に暗いけど、転記せずにはいられない。
 
 帰宅し、家族そろって歌舞伎の話題に盛り上がり、ビールとチーズ、バーボンやらミニあて等でワイワイ。娘達に誕生日プレゼントを貰った。フォルクス・ワーゲンのマイクロバス(1962年モデル)のミニチア・カー。4.7×11.3×5.2cm。チョロキューになっていて気持ち良く走る。彼女達が付けてくれたカードは、100万人の人々が最初に手にしたと云うコダック社のスターフラッシュ・カメラの形になっていて、拡げると「SMILE! it’s your birthday!」とあった。感謝。



January 2 2004

暖かい正月二日。昼にも飲まず真面目に注文をいただいた『指先の写真集』を作る。5時前に表紙の糊付けまで進み乾燥タイムとなった。それで、正月だからビールを飲んで、日本酒飲んで、ミニあてをつまんで、さんまのまんまの「新春大売り出し!」を見る。良い気持ちで『日録』に書き込んでいる。ボーとしながら、風呂に入って、又、冷たいビールをギューと飲もう。銀紙書房の次回出版の準備や、マン・レイに関する頼まれ事を考えたり、こんな、ユッパライの気分がわたしは好きだ。不謹慎なのが良いんだね。注文分の梱包やら納品書の起票やら、事務処理が待っているけど、本にサインする時、ヨッパライの字になったらどうしよう、やはり、そんな心配もしてしまう。茶の間に戻ってテレビを観よう。


January 1 2004

新撰組壬生屯所跡・八木家住宅。
   
   
   
   
   
   
良い天気となって清々しい気持ちでの新年。早く目覚めて、昨夜のノルマに取り組む。作業をしながらBBCのインターネット・ラジオを聴いていると、ビックベンの鐘、バグパイプでの「蛍の光」の演奏。アナウンサーの声。「明けましておめでとうございます」ノルマをこなしてから新年会へ、その後、氏神様へお参りをする。次女と義父とブラブラ歩いて15分。壬生寺を抜け、八木家を横目に見てのお参り、今年はどんな年となるのだろう。家族の健康をお願いする。戻ってからウツラウツラと年賀状書き。萬年筆の字もフラフラとして、酷い賀状となってしまった。それでも、投函する、ゴメンね。
 夜は古い友人のW氏が来宅し、おせちと鳥鍋で宴会。昨夏20年振りに再会し、一杯やろうと約束していたのだ。たらふく日本酒(松竹梅「祝彩」<純金箔入>吟醸)をいただき、いろいろな世間話。「言葉を使わずに現すもの」そんな表現の話が世間話というのも、おかしなものだが。W氏が京都写真クラブに入会されるのを期待しよう。昔、氏と一緒にグループ展をした事があった、家内と出会った頃の想い出である。

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明けましておめでとうございます。
     
平成16年元旦

マン・レイ狂い
石原輝雄


絵というのはひとつの表面だが、それは小部分に細分されており、
それら小部分の形状は絵の主題の命ずるところに従って形を変えうるものである。

マン・レイ・セルフポートレイト(1963) 386頁 千葉成夫訳
   


   

  
 
   
   
   
   

 アンドレ・ブルトンのオークションに一喜一憂して始まった2003年だった。玉砕したのがわたしだけではなかったので、それなりの諦めに納得したが、プロミナンスがブルトンである資料を手に入れたい。ナジャに惹かれて始まったコレクション人生としては、身悶えするような心を曳きづることとなった。しかし、7月と12月に珍品ポスターを粘って落札したので、それなりに、成果のあがった楽しい一年でもあった。年末には『指先の写真集』を刊行し、レクチャーもさせていただいたので、マン・レイ狂いが、拡がっていくような可能性を感じた。

そして、2004年である。今年もマン・レイに関する企画をいろいろ計画しているので、訪問者の皆さんにも喜んでいただけると思う。本人が楽しいのだから、それを、見ている人も、コレクションの楽しみが伝わるよね、と思っている。どうぞ、ことしも宜しく、お願い致します。

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昨年の収穫は、

Catalogues; 
Man Ray "Pour Juliet", Galerie Thorigny, 1991. 
Man Ray, Borusan Art Gallery, 1997. 
documents one day exhibition of Cafe Man Ray, Cafe Man Ray, 2002. 
Conversion to Modernism: The Early Work of Man Ray, Montclair Art Museum, 2003. 
Man Ray intime, Musee de la Photographie Charleroi, 2003.

Posters; 
Man Ray, Galerie XXe SIECLE, 1970. 
Man Ray, Louisiana Museum, 1972. 

Invitations; 
Man Ray, Musee Boymans-Van Beuninger, 1971. 
Man Ray, VAN ABBEMUSEUM EINDHOVEN, 1976. 
Man Ray ELECTRICITE etc, Eaton Fine Art, 2003. 
Man Ray's Paris Portraits: 1929-39, Carosso Fine Art, 2003.

Auctins; 
Perpetual Motive Man Ray, Binoche, 1997. 
Andre Breton: 42, rue Fontaine, Calmels Cohen, 2003. 

Periodicals;
La Revolution Surrealiste No.1, 1924. 
Azur No.4,

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December 1 - 31, 2003

 


マン・レイになってしまった人

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E-mail; manrayist@ybb.ne.jp

 

 


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