2005.1.1-1.31 マン・レイになってしまった人

January 31, 2005
  
休み明けの月曜日が月末となると経理マンとしてはつらい。土・日と飲み続けていたので、なおさらである。

January 30, 2005
  
マンションの踊り場へ出ると、北西方向の遙か先に伊吹山。冬の空気は澄んでいる。朝風呂に入ってリフレッシュし、昼前に美術館へ。今日はゆっくり、しっかりと観る予定である。
 安井仲治は市井の何気ない片隅の日常を独特の造形感覚で切り取り、人間への興味と都市における距離感の鋭さを写真を用いて表現した。「アマチュアをきわめ、アマチュアを越えたところにいる、写真家」観る人であるこの天才は、あらゆる表現の原点を示し、21世紀に至る写真家達のDNAに拭い去れない眼の記憶を植え付けてしまたのである。
  
 エントランスの『水』からし東松照明の「占領」を連想させるし、ブラッサイやナギの眼や手があり、『横顔』はウイリアム・クラインの「ニューヨーク」そして、『蝶』は奈良原一高といった案配。あらゆる写真家の代表作のイメージが重なってくる。わたしは、作品を丹念に追いながら、写真の歴史を追体験して行った。
  
 わたしにとっての安井仲治は、名古屋市美術館で開催された「日本のシュールレアリズム展」で対面した『斧と鎌』の圧倒的なリアリティ、都市生活者が持ってしまう孤独なリアリテイと同義であった。昨日、会場でこの写真と再会した時には、展示位置に不満を持ったのだが、今日は違う。対置した壁の角から『兵士』『機関銃』『花』『水』『秋風』と続く、一連の流れは、視線の動きと画像のバランスを共振させる配置で、納得させられた。これは、学芸員に力量があってこその展示であり、感謝。多くの写真を使って共鳴させながら現す強さは、一枚だけの写真が示すそれとは異なった効果を発揮する。一人の作家の中でこれだけ多様な表現が可能であった事に驚き、黒い色彩からグレーの帯にしたがって会場を巡った。

 これまでのわたしは『犬』の写真を良いと思っていなかったのだが、プリントをじっくり見ていると、眼の表情に惹きつけられた。それに、鉄格子に当たる朝の光も素晴らしい。ニュープリントでこの力なのだから、仲治が焼いたものは凄かったのだろうと思った。こんな見方をした背景には、写真に添えられた「写真家の言葉」
(注)の力があるだろう。病気になったお子さんが回復に向かった時、病院で撮った写真。実験動物に触れながら仲治は「この犬は御覧の通りである。朝の爽やかな光が檻に輝いていて、それはこの犬の眼を一層あわれにみせているのだ。----大人は得てして苦しい事ばかり覚えているが、矢張子供はえらい」と1936年のアサヒカメラ誌に書いている。
 わたしは、会場で『子供』(N9)『横たわる女』(22)『検束』(N14)『海女』(52)『顔』(111)『孤影』(107)等、さらに幾つかの仲治写真に惹かれたのだが、特に『横たわる女』にはまいった。小出楢重ではないか。安井冨子蔵とある1930年代のヴィンテージは、当時の黄色い地色の厚紙が、無造作にカットされたままのマットに入れられ、写真自体も経年変化を伴いつつ、それ故になんとも艶めかしい女性の肢体となっている。昨日も今日も、行きつ戻りつ何度も覗き込んだ。素晴らしい写真である。可動壁の丁度良い位置に置かれているのも有り難かった。重ねて感謝。

 名古屋市美術館の会場は、中央の辺りが吹き抜けになっていて、二階の企画展示室2の様子を下から伺うことができる。二階からも逆に見ることができるわけで、二つの会場が一体としてある効果を演出している。今回の安井仲治展の出口には、愛用のカメラが2台(ライカIIIbとスーパーイコンタ)置かれている。そして、右手の判りにくいコーナーには文献資料と仲治が描いたと云う静物の油絵。書籍小包(?)の上にバナナと卵とペンチが配されたモダンな絵なのだが、近づいて拝見すると、郵便物の消印には「Paris」とある。さもありなん、気持ちが解るよな。
  
 地階の常設展示室3では、丹平写真倶楽部、満州写真作家協会の共同撮影である「他者へのまなざし<流氓ユダヤ><北満のエミグランド>」の展示。仲治の眼の非凡さを感じた。常設展示室では山本悍右先生の『影』、ここでは、モダニズムとリアリテイ、清楚なエスプリと関西人のユーモア。二人の先人の仕事を思って複雑な心境。そして、中に入って河原温の「I GOT UP」シリーズに気付いた。起床時間を示す絵葉書20枚が、壁の丁度良い高さから庇となった部分にレイアウトされている。表と裏がバランス良く示された展示方法と相俟って、この現代美術は仲治の思想をDNAの中に持っている。この示し方は最近、学芸員のHさんが発案されたそうで、見事に作者の意図を観客に伝えてくれている。ニューヨークから伝わる仲治の眼。昨日、森山さんに「もし、安井仲治と一緒に写真を撮りに行ける場所があったとしたら、何処が良いですか」と観客のNさんが質問されていたけど、森山さんの答えは「ニューヨーク」だった。わたしの腰骨の辺りの高さに設定された葉書は、近づいて見下ろさないと知覚されない。何も無いと思ったフラットな壁に近づくと、サーっと現れる摩天楼だったりするもの。安井と森山と河原がセッションしている----
  
-----------------------------
  
 
山本屋総本家
 普通煮込みうどん

   
   
   
   
   

集中して会場を巡ったので、疲れてしまった。それで、遅い昼食に味噌煮込みうどんを食べにプリンセス大通りの
山本屋総本家に入る。名古屋人以外には不評の味だが、わたしの身体はこれを求める。普通煮込みで税込み892円。グツグツ、アツアツの鍋からあせってうどんをすくい取ると真がある。まずは、レンゲで蓋に味噌をすくって、フウフウしながら飲む。しかる後、うどんを食すと、丁度良い柔らかさになっていた。幸せである。

 夕方、母親と世間話。その後に、いつもの店「まどか」で兄と食事。立山を飲みながらの、美味しい一時となった。そんな訳で、京都に戻ったのは10時前。今日は無事の帰宅だった。やれやれ。

   
注)『犬』の他にも『さる回わしのさるについて』『工事場』『相剋』『肌』などに、当時の雑誌で発表された仲治の言葉が添えられている。   

     
January 29, 2005
  
写真上段より;
白川公園の展覧会サイン

 

会場の聴講者
   
「仲治への旅」中の「犬」の写真を示す
森山大道
    
   
      
   
     

   

安井仲治展」を観に名古屋へ帰った。昨年、事前調査中のTさん、Iさんとお会いして展覧会の詳細をお聞ききする機会に恵まれた(しかも、名古屋名物「ひつまぶし」を食べながら)。学生時代、491の出版案内で仲治の写真集刊行を知ったのだが、何年もその本の実現を待ちかね、やがて、音沙汰のない日々となってしまった経緯があり、生誕百年を記念する今回の企画には、待ちかねる身の喜びがあった訳。昨秋、前会場、渋谷区立松濤美術館での展示状況を友人、知人から教えられ、さらに、期待が高まる展覧会となっていた。
  
 モノクロ写真220余点をどんな会場構成で観せてくれるのか?、わたしにとって近しい存在である
名古屋市美術館白川公園内にある。告知看板は『サーカスの女』強い写真だ。真っ直ぐに会場へ進みたかったが、まず、学芸課に寄って挨拶。そして、世間話。午後の講演会の関係で来客も多く、盛り上がっての一時となった。
  
 この美術館の良い所は、会場正面の空間が強いインパクトを与え、観客の気持ちを日常から展示空間へ誘う役割を効果的に演出している事にある。今回は、進むと「水」の飛沫。個々の入場者がそれぞれに抱える問題と作品のイメージがつながる。リアリテイであって信託。写真らしいアプローチである。右に折れて会場に入ると、ワインレッドの上品な色彩の壁に『生誕百年 安井仲治展』の文字、ライティングの効果で「展」の文字と「Nakaji Yasui 1903-1942 Photographs」の表記が反射して、床面に光の揺らぎを作り出している。これは期待できると、さらに進む。今度は黒い壁面に写真が並べられ展開されている。額装された白黒写真は、普通、美術館のニュートラルな壁面に埋没して魅力を失う。本展では黒と赤と青。明るい赤や落ち着いた赤、黒に近い青、あるいは、格調高いグレー。こうした色彩のアクセントで視線を上手く誘ってくれるから、銀塩のしまりやゴム陰画の淡さを、捉えやすくなっている。上手いやり方だ。しかし、残念な事に会場で知人と会ったり、2時からの講演会が気になったりして、更なる集中は妨げらてしまった。
  
--------------------------------
   
今日の講師は写真家の森山大道氏。開演一時間前には人が並び初めて、二階の入口から、すぐに階段を降り一階のフロアへと続いてしまった。それで、わたしも急いで、その列に並ぶ。知っている顔も幾人かあって、関心の高さに驚かされた。森山さんだから当然だね。しばらくして、開門してくれたので、知人と世間話を少々。開演までに30分以上の時間があったので展覧会を再び覗く。会場で黒コートの森山さんに気づき、カッコイイなと見とれてしまった。
 
 森山大道氏の話は、作家である自身の体験を交えて、仲治から受けた影響を真摯に打ち明けたもの。『仲治への旅』と云う写真集も刊行した氏は、スランプだった時期に仲治の「箱一杯のコンタクトを何日もかけ、ゆっくりと見た。そして、目から鱗が落ちた。「写真と云うのはこんなにも自由である」と教えられた」と云う。裕福な環境に仲治はいたけど「写真の本質はプロフェッショナルではなく。アマチュアリズムの中にある。僕の気持ちもアマチアだと思っている」など---「コンタクトを見ていると、僕も写真家だからビンビン伝わる」として、会場に展示されているコンタクト写真の拡大にも言及された。仲治さんは「巨大な山脈であるけど、人を寄せ付けないと云うのではなくて、深くて懐が広いといった印象を持っている。」氏は「天才で、都会人で、知識人である。」「僕は42年写真をやっているけど、何時も追いつけず、気が付くと安井さんの背中を見るばかり」なんですと続けらた。スライド等も紹介されて、森山さんが好きだと云う写真も教えていただいた。『犬』は当然だけど、例えば『ネギの花』(76) 『背広』(88) 『朝鮮集落』(109)  真似をしたいけどなかなか難しいと『斧と鎌』(31) 「 安井さんは極端なトリミングをされる。撮ったものが全てだとは思っていない。ものすごいトリミングをしても平気である」などと、言葉が熱い。
   
 会場は森山ファンで埋めつくされている。一時間程の後、質疑応答となった。10人程の方々であろうか、それぞれの質問に応えられる森山氏に好印象を持った。 終了後、持参した『にっぽん劇場写真帖』にサインを頂き、さらに、ツーショットでの記念写真も撮らせていただいた。感激。

 
森山大道氏と筆者。

   

  

    

   

   

   

   

----------------------------------

その後、Tさんから学芸課で安井仲治氏のご子息、仲雄さんを紹介してもらう。好印象の紳士、都会の人だ。兵庫での展覧会が待ち遠しい。そんな訳で、兵庫県立美術館のK氏とも続けて世間話。
  
 夜は久し振りに会場で会った、知立の友人Y氏と
美濃路名駅店へ。手頃な価格の上、美濃古地鶏使用で上手い焼き鳥屋。わたしの楽しみはもちろん味噌カツ、何本も頼み、ビールもグビグビ、京都では食べられないので、ここぞとばかりの意地汚さ。御免なさい。古い友人は銀紙書房の後見人でもあるので、ちょっとした株主説明会。新しい本の計画やら、経営へのアドバイスやらと、馬鹿話をえんえん続けて、9時半頃、お開き。良い気持ちになったヨッパライ。地下鉄に乗ったら、中村日赤で眼が覚めた。戻るつもりが判らなくなって岩塚まで行き、やっと引き返したら、また、眠ってしまって、あわてて下車したのが新栄町。再び乗ったのは良いのだが、またまた睡魔。今度は池下で起きる。それから、今池に戻り、やっとの事で桜通線に乗り換え、自宅のある桜山に辿り着いた。地上に上がると強い雨。時刻も11時30分となっていた。素面なら20分で帰れるのに、東山線の藤ケ丘と高畑の間を行ったり来たりしていたのだろうか。刺激的で楽しい一日だった。
   
  
January 27, 2005
  
富山県立近代美術館のS氏が世田谷美術館で2月5日から開催される『瀧口修造: 夢の漂流物』展の招待状を送って下さった。長形の水彩紙(?)に瀧口さん好みのラベルで、洒落た仕上がりの一品である。感謝。レセプションに行きたいな、でも、カタログは会期なかば刊行となるようである。京都のわたしは、今日も徳島報告に追われている。
  
  
January 24, 2005
  
横浜在住の友人T氏が教えてくれた「六月の風」誌の特別報告「ブルトン・コレクションの大競売」をUNAC TOKYOへ注文したのだが、本日、到着。ル・モンド紙に寄稿されたオーブの書簡に涙する、それは、こんな一節「父は一個の小石や一羽の蝶にもミロの作品に対すると同じ情熱を注いでいましたから、願わくば名もない慎ましい小さなオブジェも、有名な作品と同様に意味を保って存在しますように、そうしたものもこの場所の魔力をなしていましたから。」(六月の風会レポート178号 23頁 JULY.2003 UNAC TOKYO)
 瀧口修造氏の書斎はいつ頃から爆発的に成長したのだろう、ブルトン訪問の後だろうか、この関係についての疑問が立ち現れた。わたしの部屋で、昨年から膨張のスピードを上げた品物達。その行く末と共に、「マン・レイ」の名前を名乗らないそれらの物達が、慎ましい意味を語り始めている。徳島から戻って、その物達の声が聞こえてしまったわたしは、季節の変わり目の中に居る。

     

January 23, 2005
  
 
園瀬川を渡るシャトルバスから
 文化の森の建物を---
   
    
    
     
   
   
   
マン・レイを巡る旅の最終日は雨。街はどんよりと暗い。美術館は9時30分開館なので、昨日より一本早いバスに乗る。今朝はポスターとは反対側の席で、フロントガラスの表面を膨らんでは流れ落ちる水滴を見ている。昨夜の冷酒が残って頭が重い。二軒屋町の辺りで、白い杖を持った人物の動きをぼんやりと眼に留める。人が降り、人が乗る。園瀬川から望むと趣味の悪い建物は水にけむり、光の反射をおぼろげにして別の表情を示している。親しみやすくて、写真をパチリ。
  
 受付嬢と親しくなっていたので、「今日もお願いしますと」一言かけて会場へ。山梨県立美術館の時と同じ感覚だが、今日は好ましく、作品が良く観える。度の強い眼鏡のせいかもしれない。会場の構造が睡眠中に全身で消化された為なのか。自伝的要素に彩られたマン・レイ作品を楽しむ最善の方法は、巌谷國士氏が監修されたカタログを手にして、会場を歩くこと。各コーナーの紹介文の下部には「解説パネルの参照番号は、図録に掲載しているマン・レイ事典の項目番号です。図録を参照しながら、展覧会を鑑賞されることをおすすめします」と表示している。昨日もカタログを手にして作品を読んでいた人がいたけど、徳島で面白いと思ったのは、入口に5冊のカタログが置かれていること。普通、展覧会のカタログはベンチにあって、パラパラ捲る見本の扱いだけど、ここではカタログに重要な役割が与えられている。正誤表と共に置かれたそれには、次ぎの指示「ここにある5冊の見本は、会場内に持ち込んでも構いません。お帰りのときには、もとの場所にお返し下さい。」
   
 ノートとカタログを抱えて、会場を巡りつつ、昨日のような反発にみまわれる事なく、わたしは、心からマン・レイを楽しんでいる。作品に連れられて欧州や米国へ渡る事も出来ないのだし、次ぎに出会える日の予測もつかない。何年かの後、これらのマン・レイがわたしに対してどんな言葉を投げかけるのか、悲しいけれども静かな別れを向かえている。
  
 これまでの巡回展会場では、映画作品の鑑賞をパスしていた。それは、フィルムからの透過光じゃなければとこだわったのと、ビデオを手許に保管しているからなのだが、時間と心に余裕が出来、改めて見直した。四作品がエンドレスで67分間。何時も『理性への回帰』と混同してしまうのだが、今日のわたしには『エマクバキア』が面白い。キキの偽りの瞼が現れる前に幾人もの女性が、本当の瞼を開き、微笑んでくれるので、わたしは恥ずかしい。上映が一回りするまでの間、一組の観客が6分間のみ着席した。後はわたしのみ。ただ一人の観客であることは、贅沢な楽しみである。
  
 
徳島県立近代美術館ニユース
 No.52  Jan. 2005 
 テキスト執筆; 友井伸一他、
 折り畳んだ状態で25.8x18.3cm.

   
   
     

 

   
   
   
 
   
   
 昼食後、担当学芸員のT氏と立ち話。休息室のチェス盤が気になっていたので「あの配置はどこかで?」と投げかけたら、「判る人がいるかも知れないけれど、「007危機一発」と云う映画の場面なんですよ」と教えて下さった。そして、展示に関して苦労した部分を伺うと「写真、オブジエ、絵画と多岐にわたる作品群なのでマン・レイのイメージが、なかなか浮かばなかった。会場が他館に比べ狭いわけではないが、展示壁面の総延長距離が短いので、つまった掛け方となってしまった。」との説明を受けた(文責: 石原輝雄)。かって、この会場でマン・レイ作品も出品された特別展『亡命者の軌跡 アメリカに渡った芸術家たち』を企画したT氏は、そのカタログ・テキストにアンドレ・ブルトンの思想と言説を紹介、引用し、「俗悪な人間中心主義に終止符を打つはずだった「透明巨人」は、自らを形成してくれる「新しき神話」を見失ってしまった。彼は今、どこをさまよっているのだろうか。」と警告した。今、会場にはマン・レイのアトリエにあった鏡に書かれた「Les grands transparents」の言葉が、宮脇愛子さんのコレクションとして甦っている。わたしは、ここにいる。
  
------------------------------------------

 さて、1時30分。『マン・レイ その謎と不可思議』と題した巌谷國士氏の講演である。会場の二十一世紀館イベントホールは先生の著書にサインを貰いたいと紙袋一杯に本を詰めてきたファンなどがいたりして、加熱気味。先生は「長くなりそうな予感」と例の調子で話を始められた。「カタログは出来る限り展覧会の展示そのものと対比出来るようにと思い、これを持って会場を回る。マン・レイ事典は世界中のどこにも無い物と思って作った。作品の題名やモチーフを見ていて、判らないものがあれば、そこを開けば良い。」そして、カタログ表紙の意匠を説明しつつ、マン・レイ論に入って行く。「同じ物でも、意味や役割、道具としての目的のない物になるとオブジェになる。」不可思議の源はここにあるとの解説。「ジャンルの枠を越え、同時に文学の枠をも越えた越境性が彼にはあると」された、マン・レイ作品の自伝的要素。先生のお話は様々な話題を深く浅く高低差を持たせながら、会場の反応とシンクロさせて続く。五回目となるわたしの耳は、おだやかに先生の話を聞いている。再確認しながらの聴講。それは、再読する書物といったところか。
  
 一時間ほどして、講演はスライドの上映に入る。フィルムケースが置かれたモンパルナス墓地のマン・レイのお墓。先程、会場の最終部分に置かれた先生の写真である。次いで、ル・フェールのアトリエ、さらに、右からの朝陽が照らす石畳の通りと長い壁。いずれも、紀行文作家でもある巌谷氏撮影の写真である。5点目はマン・レイによる『イジドール・デュカスの謎』と題した写真。実作を見せながらのお話なので、ファンにはたまらない。何度聞いても引き込まれる。ゆっくり気ままに語られるので、予定の3時30分を過ぎてもスライドは半分も使われていない様子。後半、急いで映しながらも全79点に至たの頃には。4時17分を回っていた。先生は聴衆に了解を求め、ビデオの紹介へと進まれた。エリック・サテイの音楽とマン・レイを見てもらいたいからと『さいころ城の秘密』、字幕解説をされる弁士が巌谷氏なのだから、楽しい。さらに続けて、リー・ミラーとのプライベート・フィルム。クレーパイプのオブジェ『われわれすべてに欠けているもの』でシャボンが膨らみ、タバコの煙がクルクル回る。先生は「五回の講演の最後で僕も見たかった。マン・レイ自身も映りますが、たぶんリー・ミラーが写しているのでしょう」と言われた。大きなスクリーン上では、リーの指先がブランクーシのトルソを艶めかしく愛撫する。彼女はマン・レイに向かって、振り返り微笑んだ。
   
------------------------------------------
 
 講演は4時30分に終わった。感謝。閉館までのわずかな時間に再度、会場へ。マン・レイ作品に囲まれて微笑む自写像を何点か撮った。急に撮りたくなったのだ。今ここで感じている何かが、わたしの表情を通して定着されるはずだ。

 二日間お世話になったスタッフの方々に御礼を述べ、預けていたポスターを受け取り、会場を後にした。
   
 
  
January 22, 2005
  
夜が明けてきたのは阪急電車京都線淡路駅辺り。昇った太陽を最初に確認したのは神戸線に乗り換え六甲駅を過ぎてからだった。今日は快晴。昨夜は早く床に入り、体調万全での徳島行きに備えた。『日録』の書き出しをどんな調子で始めようかと思いつつの睡眠。朝、5時起床。自分の行動を、自らがどう反応するかと、もう一人のわたしが観ている。暖房が弱い為か、朝の車内では足元が冷える。思考する前の身体は停滞したままである。山並みと海の反射、市街地の高架橋上を走って行く電車の奇妙な感覚。寝床で覚醒前にしばらく続く楽しみが、今は街路で起こっている。
   
 三ノ宮で下車。新聞と温かいお茶を買いJR駅前に移動して淡路エキスプレス51号を待つ。ハイウエーバスのチケットは1号車1番A席。7時45分に発車するとJR徳島駅には9時25分着の予定。鉄道の場合は安心して車内の人となるのだが、バスは苦手である。本日の運転者は西日本JRバスの森本隆司氏。どうか道中無事でありますように。
 駅前を東に進み海側に曲がって高速に入ったバスは直ぐに神戸の街を抜け、明石海峡大橋に差し掛かる。左側の座席では朝の光が逆光になって漁船のシルエットを海に点在させている。開通した頃に仕事先の観光旅行で渡った。その時には、大塚国際美術館を見学したけど、今日は真っ直ぐに神戸淡路鳴門自動車道を走り、大鳴門橋をこえて目的地へ。
 車中での新聞には「最古級 未盗掘ミイラ」(読売新聞13版2面)発見の記事。著名な早稲田大学教授、吉村作治氏を隊長とする調査隊の発見。わたしの小学校高学年から中学にかけての愛読書は「世界七不思議」のたぐいで、消えた大陸や都市、ツタンカーメン王の呪と云ったものだったので、「マスクには鮮やかな彩色がほぼ当時のまま残っている」と写真入りで紹介されるとゾクゾクする。長年の地道な調査と科学的手法、隊員達の情熱による成果だけど、3,600年以上昔のものが現れた。マン・レイだって生涯を捧げる情熱を持ち、科学的アプローチを使って調査、研究を続ければ、やがて大発見がと期待してしまった。新聞には別の記事もあって、こちらには小さく「グッケンハイム美術館 会長辞任」の見出しで「ピーター・ルイス会長が国外展開路線を進める美術館主流派との対立」(読売新聞13版7面)とある。マン・レイの展覧会が日本で数多く開催されている背景や、最近、トラストのL嬢が展覧会情報を更新しない理由等を考えた。そして、初めての街、徳島に定刻到着。ワシントン椰子が幾本も立つ南の街である。
  

 
徳島駅前のバスターミナ
   
   
     


 駅構内で目指す展覧会のポスターを捜すが見付からない。街での展覧会認知度、こいつが重要だと思うのだが。美術館へは徳島市営バスの3番乗り場で市原行きに乗り、終点でシャトルバスに乗り換える30分程の行程。バスは9時40分発車。車内に上がると運転席の裏面に「恋人たち + 裸体とチェスセット」を使った横長のポスター発見。再会への期待がやっと高まった。その前に座って、銀紙書房の新刊表紙に使えるかもしれないと表面をいろいろ押してみるが、100枚も入手出来ないからと、アイデアを断念。
 市南部の園瀬川土手にシャトルバスが上がると山の中腹に指輪物語に出てくるような城が認められた。デコボコとした外見の建物で向寺山に埋没している。橋が一つ、文化の森総合公園は袋小路状態であるような印象を持った。カメラを向けるとガラス面が一斉に反射し、訪問者を拒否しているようである。マン・レイ展の告知看板が認められなくて、不安となった。
   
 
 
徳島県立近代美術館ロビー
   
   
   
   

 幸いにも建物の趣味の悪さは、外形だけだった。21世紀館から二階左手の徳島県立近代美術館のロビーに入ると、ゆったりした空間が用意され、大パネルではマン・レイ展が青ベタ白抜きでシンプルに告知されている。エントランスの明るい壁面にはマン・レイの住まいを紹介するタペストリーが三点。さっそく、スタッフの方に来意を告げ、撮影用の腕章をお借りする。
 会場入口正面上部にマン・レイの眼、その下に間隔を大きくとって、二つのメトロノームが置かれている。左が『永遠するモチーフ』、右が『破壊するべきオブジェ/破壊できないオブシェ』。 そして、会場に入ると、写真、版画、彫刻、書籍で表現された作者の『セルフポーレイト』が、びっしりと並べられている壁面と対峙。同時に視線に入る作品群。この状態で、さらに解説パネルが何点も挿入されているので、個々の作品を鑑賞する読解のアプローチは限定されている。コの字型の対面には「手」にまつわる作品群。こちらの方では高低差が現れ、これまでの会場とは異なる導入部。作品相互の間隔が書物の行間と同じ効果をわたしに与える。マン・レイの一生や、あるモチーフを俯瞰して楽しむ方法もあると気付く。わたしは読書を求められているのだ。

 会場のメイン部分(?)へ進むと、右の順路がニューヨーク時代へ続く。この空間にも、びっしりと作品が置かれている。中央に吊り下げられているのは『障害物』と『ランプシェード』、右の台座にオブジェ2点とツァラからの手紙。奥の台座にはアクリル製の『危険 不可能』と『ただそれだけで�』、視線の先の壁面上部に、わたしが入手したいと望んだ参考出品の『マン・レイのアトリエ ニューヨーク』が掛けられている。これは、アクリル作品の原形である。こんな場面なので、視線を断ち切り油彩の『マドンナ』から見始めるのは難しい。部屋に入った段階で、わたしの眼はパリまで到着してしまった。マン・レイを理解する、新しいやり方ではあるけど、なんとも落ち着かない。
 ロの字にそって、ゆっくり回るなんて出来なくて、すぐに次ぎの部屋へ。しかし、そこはさらに密集した印象で写真を中心とした展示品には三段掛となっている箇所もあり、額の形や色彩のバランスの方が雄弁に語りかけてくる。順路標識やロープで観客の動線を導こうとしているのだろうが、照度の低い広々とした空間と、作品のつまった感じが奇妙な違和感。前室のアトリエ写真のように、ここでも、視線の先の目立つ位置に、重要な写真が掛けられている。宮脇愛子さんがマン・レイから贈られた『愛人たち』。見上げるほどの高さを飛行する唇は、不思議な唇では無くなって、自然な唇になっている。見やすいけれども、魅力に欠ける。下部に近づいて行くと、視線の左端に、次の部屋の全体像が入ってきて、イメージが薄まる。移動壁の大きさが解ってしまう構造なので、これも、いただけない。
 これまでの巡回展会場は迷路と幾つかのコーナーによって構成されていた。しかし、徳島の美術館は個別の部屋を持たず、方形の大きな箱が簡単に仕切られているだけの印象。多段掛けと余白を残せない展示は、個々の作品からパワーを奪う。わたしは全体を観ている。箱の左側へ回って行くとサド伯爵を含む空間となるのだが、そちらに足を踏み出す前の眼球が定まらない。会場の端までが見渡せる一直線の先の上部に『ばら色の画布』が掛けられている。アンテイーブからカリフォルニアを抜け一気にパリへ戻ってしまう視線。しかし、中間部分に置かれた『二つの顔のイメージ』は、その大きさと魅力を充分に発揮して、わたしの足を停めた。『ナチュラルペインティング』と『点』に挟まれた200x100cmの大画面は、高さも程良い案配で。ベンチに腰掛けて、しばらくの対話をわたしにもたらした。ここが落ち着いた空間となっているのは、通路から隔離された位置関係にある事と、オブジェが置かれていない為だろうか。
  
 座ってからの視線に変わると、通路側に掛けられた油彩『視点』が美しく観える。それが照明の効果だとすぐに理解出来た。前に立ってさらに詳しく観ると橙色のベースが知的で、5筋の筆跡が活き活きしている。これまで、描かれた意味が掴めないまま、不可思議な絵画としてあった『視点』が、静かに落ち着き、立ての線が光の揺らぎとして見える。これは、。隣り合った絵画を侵犯する事なく、観客の影も入り込まない計算されたプロによる仕事。会場の様々な制約の中で、個々の作品に精気を与える方法。観るのに必要なのは光、それも、最善の光だと思った。
 次ぎに進むとオブジェが所狭しと置かれた、マン・レイ最晩年の空間。吊り下げられた『天体観測儀』と壁面上段の『銀河』2点との対応は魅力的だが、平面作品と他のオブジェ達との兼ね合いは難しい。マン・レイの手は同時並行的に、それらを作り出していた訳で、会場で再現しようとする時には、視覚と手が離ればなれとなってしまう。ニューヨーク時代のメイン会場へ入ろうとした段階で、この空間も観えていたから、上がり札を開いたままの回遊であった。最後に置かれているのは『イジドールデュカスの謎』である写真とオブジェと版画。鉄道線路の停止器のように、軍隊毛布でくるみ、ロープで縛られた何かが台座の上に、斜めに置かれている。その背後のテーブル(これが本当の最終コーナー)には、このオブジェを撮ったマン・レイの写真で飾られた『シュルレアリスム革命』誌のページが開かれている。そして、巌谷國士氏が撮影されたモンパルナス墓地のマン・レイのお墓の写真で全てが終わる。そこから、ちょこりとロープが張られて、会場へ戻るような動線が暗示されている。出口がまた入口に繋がっていく可動壁の上部には『指示器�』が掲げられているが、これに気付いた観客はいるのだろうか。

 わたしはカメラを持たず、ブラブラゆっくり歩きながら、以上の事を考えた。ロッカーに戻ってカメラを取り出し、二度、三度と会場を巡る。昼食を取ってから再び会場へ。今日は、個々の作品に近づくのではなく、空間の雰囲気を身体で感じる距離の取り方となった。密集した作品群が高低差と共に掛けられている。適切な照明で眼に優しく心に安定感を与える。でも、作品がわたしを襲わないのだから、つまらない。マン・レイが表現したかったものは、何だろうと自問する。「人生の流れを知ってほしいが、近付き、手に取って愛してもらいたかった」はずだと思う。
  

 
美術館の3階ロビーから俯瞰する文化の森、
 シンボル広場、左の建物は図書館。
   
   
   
   
   
   

 今回の企画展が開催されている展示室3はパンフレットによると凸型だが、導入部と映画を映すコーナーにとられている関係で口型になり、これが中央で切られ、仕切によって右に2室、左に3室が作られている。このシンプルな会場には監視員の眼が届かない一部屋があり、普段は休息室として使われているようだが、今日は、展示室。ブラインドを降ろしたつましい明るさの中に入ると、試合中の『チェスセット』が置かれている。駒の動きを眺めていると、次ぎの手が盤上に伸びるようだ。この横に座っていると時間を忘れてしまった。誰もこない部屋でただ座っているだけなんだ。
  
-------------------------------------------------
   
 閉館となって美術館を後にする。日没までは間があるようで、シャトルバス、市営バスと乗り継ぎ徳島駅前へ。予約したホテルに着いた頃には、喉が乾いてビールが飲みたくなった。フロントで繁華街の場所を聞き、街をブラブラ。寿司屋を覗きながら、新町川を越えて紺屋町へ。ネットで調べたり、聞いたりしていても、どの店が最良なのか解らない。ふと、あまから手帖が紹介していた栄寿司に気付いた。外見も客筋も良さそうだ。洒落た箸置き(折り紙)で向かえるカウンターに着いても様子がつかめないので、上寿司とビールを注文してみる。最初は地元の鯛、テキバキとした職人仕事で、素材も素晴らしく旨い。知らない街での一人の夜は寿司屋が一番だね。季節を食べている感触、海に手を突っ込んでいるようだ。勧められてマエソを食す。よく締まって歯ごたえのある食感。小骨が多くて刺身にはあまりしないそうだが、この店の出し物は違う。楽しく調理場を見ていると、のれんが三つ。その一番手前のものは、光の効果で店名の文字が白く浮き出ている。ケースの太刀魚を頼んでみる。表面を軽く炙って出してくれた一貫は絶品だった。温かくて塩味があって、脂がのって大満足。口中もわたしも喜んだ。
  
 さて、店を出ると、若い人、家族連れ、ヨッパライ、飲み屋のお姉さん。元来た道を戻りながら両国橋にかかると、左側は電飾された綺麗な木々、右は河岸に沿った寂しげな青い信号燈。わたしは、その間を歩いている。どちらへ行こうとしているのか、この先にマン・レイは居るのだろうか、左か右か、とりあえずは、この道をと、感傷的になっている。
   
 
両国橋から新町川を望む。 
   
   
   
   
   
   
   
   
   

 

January 19, 2005
  
風邪薬を会社で飲もうとポケットに入れたのだが、行方不明。それが、二日後に出てきた、ポケット内側の角部分に挟まっていたようだ。手袋を取りだした時に気付いて驚いた。随分と捜したつもりだったのに、不思議なポケットだ。なんでも出てくるドラエモンのポケット。ポケットらしくて良いな。徳島行きをひかえて体調を万全にと思っている。
    
    
January 18, 2005
  
横浜のT氏から『瀧口修造 夢の漂流物』展のチラシが送られてきた。2月15日から4月10日まで世田谷美術館で開催される瀧口さんの書斎に残されたオブジェたちを紹介する大規模な展覧会。ビンにフィルムが入っているものなど、マン・レイへのオマージュといったおもむき。会期中にはライブや講演会、デカルコマニーを作るワークショップも用意されている。
   
   
January 17, 2005
  
世界中の古書店が集まる大規模な古書市が東京で開催される「世界の古書・日本の古書」(アカデミーヒルズ六本木ライブラリー 2005年1月28日、29日)。その目録が届けられたのだが、田村書店の出品に「日本モダニスト愛書家蔵書コレクション」説明文には「夜の噴水」や「Etoile de Mer」、それに、わたしも寄稿したことのある「TRAP」が含まれる687点とあり、価格は1,500万円。これは、あのコレクションだろうかとドキッとした。説明はこう続く(こちらはレターの方)「現代の<書物の美>の先端と<詩の前衛>の融合を体現したモダニスト詩人コレクターの、希有な大コレクション。プライベートプレスの出版へと昇華した。一般には知られざる現代日本の書物の美の最高峰の違算。」、現物を手に取って、再び観たい。
   
   
January 16, 2005
  
原稿を書くのに資料が取り出せない。土曜日の徳島行きに備えてマン・レイの勉強を少々、現物で押さえるべき事項を整理する。年末からの写真を近所の店に出し、道中で都道府県対抗女子マラソンを応援。夕食は鱈鍋。淡泊な味にポン酢と柚子七味。ヨッパライながら『日録』に向かう。
   
   
January 15, 2005
  
花粉症大爆発に備えて河野医院へ。待合室には15人もの人達があふれているので、1時間30分待ち、読みかけの読書が随分はかどった。先生に一本入れてもらい「次回は2月の中旬で」との指示をいただいた。こんな調子ではシーズンの到来が怖い。待合室に座れなくなので早めの対策でなんとか乗り切ろうと、飲み薬をいただいた。ジュンク堂を覗いた後、そこそこで帰宅。今日は終日の雨。
  
 買い物に出掛けていた家人が京都鶴屋(壬生の八木さんのところ)の和菓子を求めて戻ったので、長女が抹茶を点てくれた、黒楽茶碗に深緑が美しい。夕食にはよこわの刺身
(黒鮪の魚体の小さいもの)。食卓にはこのわた(真海鼠の腸を材料とした塩辛) も並んだ。それで、日本酒を頂く。
   
 このわたの磯臭さを楽しみつつ、書店で手に取った長島有里枝の「Not six」(スイッチ・パブリッシング 2004年12月刊)が、テレビ画面と眼にオーバーラップする。眼鏡を掛けたゴマちゃんの魅力、スペルマとコンドームのリアリテイーが死のイメージを圧倒的に主張する。警告ではなくて事実。わたしにとっても、過ぎてしまった人生ではなくて、パンツの中では今もかくあるような、なんとも、すごい。私写真の素晴らしい深化と手応えを感じた。
  
 そんな訳で、銀紙書房の次回作に向けて、版型の検討。字数を考えながら全体の構成にとりかかった。

 

   
January 13, 2005
  
 
In Prague. Czech Republic
 Czech total art seminar
 Poster
    
     
   
     

     
    
     
    
    
    

京都芸術センターで怪しげで魅力的な女性が、黒い衣服をバストが現れる寸前まで上げている写真が使われたポスターを観た。プラハチェコ総合アートセンターで5月18日から31日まで開催されるセミナーの日本からの参加者を募集するもの。現地では日本語の通訳が付くらしいけど、もちろん講義の内容はわたしには、解らない。でも、テイアラを着けた東欧(?)女性の魅力にはまいった。ポスターの写真を撮ったけど、それで紹介する前に『日録』に書込たくなった。団体斡旋は(株)エイチ・アイ・エスがしている。ポスターだけみても、フラフラ、クラクラとなりますよ。
  
   
January 12, 2005
  
日曜日に来宅された三木学氏が、バイリンガルでトラベル ライフ スタイルを提案している雑誌「PAPER SKY」を届けて下さった。連載コラムの「In Search of...」の筆者「学と研」がお二人。最新号も面白いが、連載8回目の「「センチメンタルな旅」の連鎖 二世代の新婚旅行」が興味深い。私写真の系譜に社会性、大衆性の別視点を持ち込んだ、上手い事例設定。筆者はコメントで、こんなふうに発言している。
  
 
「そしてなんと言っても、新婚旅行にはいつの時代も記念写真がつきもの。人生の中でもっとも甘い瞬間は永遠に残しておきたい。それはモノクロからカラー、そしてデジタルに変わったとしても廃れることはないだろう。ただし、それらの写真はその後、家庭生活を営む夫婦にはほとんど省みられることはない。子供たちは自分の生まれる前の"男"と"女"の両親に、居心地の悪い感覚を覚え記憶から消している。ましてや他人に見せることはない。つまりそれは、家族だけの伏せられた歴史なのだ。」(77頁)
   
   
January 11, 2005
  
睡眠5時間は中年にはきつい。夕方にはパワーが落ちて仕事がはかどらなくなった。それで、あきらめ帰宅。夕食はハリハリ鍋。ビールを飲みながら、久し振りにゆっくりとした気分。またしても飲み過ぎかな。先日から、就寝前に目が冴えて困っていたので、今宵からしばらくは安泰。充電をしなくては。
  
  
January 10, 2005
  
銀紙書房新刊『マン・レイ展とキーボード』(限定5部、非売、予約受付終了)完成。今1時だけど、4冊の本が、机の横で表紙の糊付けが乾くのを待っている。土曜日に四条烏丸のプリント・ショップへ行って、糸縢り済みの本文であっても「くるみ製本」が出来るとの打ち合わせをし、担当者が出勤される月曜日に作業をお願いしたのだが、えらいめにあった。「自分でも絵本を作っています」と云うSさんに期待したのだが、失敗だった。銀紙書房の本は、そこそこの品質でこれまで読者の方に提供してきたと考えているのだが、これはひどかった。しかたがないので、表紙を全部取り外し、再度、糊付け。年末からインク切れのサインが出ていたエプソンのPX-V600も「シアン」がありませんと、わたしをいじめる。それで、夜、急いでJ&Pへ。「木工ボンドで上手く付きますよ」とのアドバイスもはずれで、奥の手、プリットで作業。最初の一冊を手許において、ほっとしながら、眺めている。最初からやり直し(全頁印刷ですよ)かと、覚悟したので、やれやれ。硫酸紙のカバーを付けて、やっとMさんへ送れるまでの段階となった。
   

January 9, 2005
  
 
「In Search of...」の筆者、谷本研氏と三木学氏
 右に仲人の石川あき子さん。

   
    
    
    
    
    

昨年『日録』で「希望の方に譲ります」とお伝えした駅弁の包み紙を取りにと氏が来宅された。御仲人はカロの石川あき子さん。44年頃(高校3年生)に鉄道写真を撮りに岡山、広島、九州、北海道と旅行した折りに食べた駅弁の包み紙を旅の記念にと残していたもの。わたしは、いろいろな味が楽しめる幕の内弁当が好きなので、そうしたラインナップが多い。一般家庭に、当時だと普通にあった旅行グッズを、来宅した二人は尋ね、当時の様子、世間話を聞き纏めている様子。「ペナント・ジャパン」(パルコ出版、2004年刊)として紹介・展示された仕事の延長線に、新婚旅行の記念写真があり、駅弁の包み紙も、その系列だと云う。個人的な営為が客観化される視点を二人との会話で感じた。
   
 小学生時代の遊びの話から会話が始まったので、中学2年生の「鉄道写真との出会い」を振り返った意味。当時、仲間と出していた手作り同人誌「しいるとびいむ」の事などを思い出して懐かしかった。30年以上(?) 口に出すことの無かった人の名前がよみがえる。結局のところ、10代の行動パターン、関心の持ち方が変わらず、マン・レイに続き、今日までに至った事を再認識した。
  
 最近は、マン・レイ狂いになる前の、わたしに付いて話をする事が多くなった。How are you, での「指先の写真集」--20歳、大阪での「写真集の作り方」--18歳、そして、今回--16歳。遡って行く人生は、わたしから遠い。原点でありながら、新しい自分を見付ける旅の必然性。客観的偶然が訪れる場面を想像する。お渡しした弁当の包み紙は下記の24点だった。三木氏、谷本氏がこの資料を使われ、広く未知の人に情報発信される時には、この『日録』でも、改めて紹介したい。
  
 名古屋の実家で廃棄寸前に助けられた「包み紙」の、新しい旅を、わたしは楽しく見守っている。
   

1. 長万部名物 かにめし有限会社長万部駅構内立売商会 150円 8.29 11時 24x17.2cm.
2. 特製 おたのしみ弁当深川駅構内営業 K.K.高橋商事 200円 44.8.24 29.1x17cm.
3. 御料理 函館駅桟橋 みかど 8.24 25.2x16.2cm.
4. お弁当 日本食堂 200円 44.8.19 18時 29x17.6cm.
5. 特殊御弁当 郡山駅株式会社伯養軒 26.2x17.7cm.
6. おべんとう 鹿児島 株式会社わたなべ 200円 44.3.26 18時 26.4x27.5cm.
7. 特製弁当 新見駅 200円 43.11.24 19.4x19.7cm.
8. 御弁当 品川駅株式会社常盤軒 200円 45.4.12 15時 26.7x19.2cm.
9. ちくわ弁当 豊橋駅 合資会社壺屋弁当部 200円 4.5 6時 25.9x18.8cm.
10. 洞爺名物 お好み弁当 洞爺駅構内立売商会 150円 29.1x18.1cm.
11. お好みお弁当 倶知安駅 清水立売商会 22 12時 30.2x17.6cm.
12. 御弁当 京都駅 萩の家 200円 24 17時 25.7x25.7cm.
13. とくせい御弁当 福島駅 有限会社伊東弁当部 200円 8.25 8時 26x17.8cm.
14. 特製幕内弁当 弘前駅前 伯養軒 44.8.2 25.7x26cm.
15. お弁当 盛岡駅 伯養軒盛岡支店 150円 25.7x18cm.
16. 信州風味山菜 釜めし 中央線塩尻駅 株式会社カワカミ弁当部 4 250円 45.8.18 17.6x18cm.
17. 森名物いかめし 阿部弁当部 80円 8.22 8時 15.2x13.2cm.
18. 飛騨べんとう 高山駅 金亀館 250円 16 11時 20.3x22.3cm.
19. 広島特産 しゃもじかきめし 広島駅弁当株式会社 28.5x18.8cm.
20. 味覚のべんとう 飛騨の栗こわい 飛騨高山駅 美濃屋 250円 44.11.24 21x22.7cm.
21. 特製御弁当 盛岡駅株式会社村井松月堂 200円 24.3x24cm.
22. 御弁当 中央線中津川駅 梅信亭弁当部 200円 4.13 7時 22.7x22.8cm.
23. 鳥取名物 元祖砂丘かに寿し アベ鳥取堂 200円 44.11.24 変形 18.2x19.4cm.
24. 特製お弁当 土浦駅山本弁当店 200円 8.19 21時 26x26cm.

  
 
品川駅 常盤軒 45.4.12   200円

 43.11.24 新見駅 大阪屋

 22 12時 倶知安駅 清水立売商会

 豊橋駅 壺屋弁当部44.5.6 200円

 洞爺駅 洞爺駅構内立売商会 150円

 長万部 長万部駅構内立売商会 8.29 11時 150円
     

 

January 8, 2005
  
表紙の印刷については、HPをあきらめ、EPSONのPS-V600に変更して対応する。エプソンの機種は廉価なもので印字品質等が劣る。しかし、紙のくわえについては問題がおこらない。HPの顔料インクの仕上がりが、わたしの好みなのだが、仕方がない。考え方とすれば職人の手から、機械の手に置き換える話なのだが、これを進めると、銀紙書房の魅力が無くなっていくだろう。弊社の本の手作りの良さを残しつつ、無駄な時間を使わない方法。お金のかからない方法を模索せねばならない。
   
 家人達は朝から大阪へバーゲン攻略。後かたづけやら、風呂掃除、洗濯物の取り込み等でバタバタしつつ、表紙印刷をすませると、3時を回ってしまっていた。それから、必要な買い物をしに大丸百貨店へ。途中「書誌 砂の書」へ。「大袈裟な店名の割りにはささやかな…………」とある「目録」をいただき、書棚を楽しく拝見した。買いそびれた雑誌を今回もパラパラ。
 夕方、電話があり、大阪から戻った家人達と外食へ。娘、お薦めの居酒屋Nで、たこの刺身、カキフライ、あたたかいスープ餃子、湯葉豆腐の揚げ出し、砂ズリ、チジミといった選択でビール。そして、ゴマアイスをラストにいただきホッコリ。バーゲンに入った街路には若い人が溢れている。

   
   
January 7, 2005
  
1月5日付けのナベツマ通信・海外デビューその1】を読み、ダンスク「北欧チックな黄色25cmのポット」の写真に見とれている。eBayナベウララ様おめでとう御座います。マン・レイ狂いは昔「プリキ玩具」に惹かれていた事があって、ブリキの怪しげな質感に心ときめいたものでした。ダンスクをペラペラのプリキと対比させるのは不謹慎ですが、写真の色目がなんとも、心をくすぐる。いったいこれはなんでしょうと、先日から思っていて、今宵も「デイリー・スムース」を訪問して、イイナーと思っているところです。----質感とか色じゃなくて、ダンスクの魅力は重量でしたっけ?  (なにも知らない美術ファンより)
     
   
January 6, 2005
  
使いたい厚手の光沢用紙を買い求め帰宅。しかし、どんなアプローチもプリンターがはじきとばす。まだ完品出来ず、解決策は明日へ持ち越し。背部分ののり付けも解決させねばならない。12時を回ってしまったので『日録』を書込み寝る。
  
  
January 5, 2005
  
表紙の印刷にてこずる。HPのディスクジェット1220Cは給紙機構に欠陥があるのだが、だましだまし使っている職人もあきれるばかり。厚手の220をセットしたときは、ひどいありさま。用紙に巻きぐせを付け、偶然を期待しての印刷なのだから、紙が何枚必要か予測がつかない。限定5部なのに、まだ、完品が一枚も出来ていない。給紙のズレをみこしてページメーカーを2mmほどずらして仕上げているのだが、これでも上手くいかない。グチグチグチだけの『日録』となってしまった。用紙を購入して明日挑戦。こんな夜は寝つきが悪い。
  
  
January 4, 2005
  
仕事始めで経理マンは終日バタバタ。帰宅時に阪急電車で不思議な感覚。先頭車両に乗っていたのだが、乗客はまばらで、夕方なのに対抗ホームも見通せる。大宮で停車する電車の終速が速い感じで、通過かと思われるタイミングから制動。運ばれて行く身体とホームの人影のバランスが幻のように見える。毎日の電車なのに、人が少ないと見え方がちがう。いや、2300系のせいだろうか。西院駅でも同じ感じ。いや、運転手のせいだろうか。いやいや、楽しめた不思議な一時だった。
   

   
January 3, 2005
  
正月休みも今日までで明日から仕事。終日、銀紙書房新刊の準備でコツコツ、職人仕事。本造りは苦行僧の世界だから、早く終わらないかと思う。休みの日にしか物作りが出来ない会社人としては、家族との触れ合いを断って、ひたすらカッター・ナイフやら、糸かがりなどをしている自分の世界が、ここまでしなくてもと反省する瞬間が何度が訪れる。その都度、居間に入ってちょつとした会話をする訳だが、テレビやら恒例の花札会などを観ていると、すぐに、本造りに心がゆれる。満たされない自分があって、苦行をしているのではないのだが、計画したプランを現実のものにする行為に、客観的な喜びを感じるのと、この本が出来たらマン・レイが喜んでくれるのでは、といった期待が、わたしをつき動かす。今回の本はMさんに捧げたもの、マン・レイではないけど、Mさん喜んでくれるかな----
   

   
January 2, 2005
  
遅い出発となったが、家族で名古屋へ。滋賀県に入ると銀世界。2日なのに新幹線は混んでいて往復とも立ち席となった。母も元気で安堵。