2005.4.1-4.30 マン・レイになってしまった人

April 29, 2005
  
6時に起きて結論の部分にとりかかる。なんとか終えてしばらくウトウト。2時間程寝直してから起床した。JR事故のニュースを今日も見る。午後は原稿をバソコンに打ち込んだ(7,500字)。菓子職人でロール・ケーキを買い3時のテイー・タイム。校正をしながら仕上げにかかる。でも、今はビール頭。明日に持ち越しとなった。
  
   
April 28, 2005
  
早く起きて原稿モードのつもりが、そんな訳にはならなくて、ウダウダ寝てしまうだけの夜を数日過ごしたので、『日録』がお休み状態となってしまった。反省(?)
   
   
April 24, 2005
  
朝一番に近くのスーパーへ買い物に出たが、その後は座敷にこもって原稿書き。今回のテーマは「アングルのヴァイオリン」に言及する部分を含んでいるので15枚程を書くことが出来た。でも、花粉症の発作がきつい、テッシュを一箱使ってしまう。クシャミが出るので資料に飛沫するのが怖くて脅えながらの執筆だった。夕方になると鼻栓の為に口パクパク状態でフラフラしてきた。これから風呂に入ってビール頭。もちろん薬も飲むので、バタンとなってしまうだろう。早めに今日の『日録』を書き終えておこうキーボードに向かっている。今、6時20分。
 
  
April 23, 2005
  
午前中は気分転換に庭の草むしり。朝顔の種をいつ頃まくかと花粉対策のマスクを掛けながら考える。午後は、銀紙書房新刊の新しい単元にトライ。夕食前に筆が進んだ。その後は、ビール頭になってしまうので原稿を再開することは出来なくなった。それで、最近購入したカタログ類を整理していなかったホームページのコレクション欄の記述を追加する。
  
   
April 22, 2005
  
映画007を出発点としてマン・レイと「チェス・セット」について論考したのが、先日まで書いていた銀紙書房新刊テーマだった。脱稿はさせたが、チェスの知識がないので困っていたところ、ギャラリー16でイップ・ルービングが個展をする事を知った(先週土曜日)。それで、疑問点を教えて貰らおうと夕方、画廊に出掛けた。

 テキストではこんな記述。

対戦は手前の黒手と、反対側の白手の間で行われているはずだが、ナイトの向きが相手陣営とは別の側に向けられているし、ルークだけを残した黒手側の第一列と、右に動いたクイーンの手筋が、不自然に思われるのだ。もちろん、素人には判らない序盤戦(注1)

 書き直しも考えたが、全体の流れがおかしくなるので、そのままとし、以下の注釈を付ける事にした。「後日、第一回世界チェス・ボクシング大会のチャンピオンである美術家のイップ・ルービングに写真を見てもらい、暗号の存在について尋ねた。氏によると「駒の動きと手首の返しでこのようになるが、ナイトの向きについては問題は無い。試合の局面は、とても面白く、白手の側が何か問題を抱えているように思う。」との事だった。又、佐谷画廊が一九八九年に開催した「オマージユ瀧口修造マン・レイ展」のカタログに掲載されている「チェス・セット」の写真(限定番号は不明であるが、展示品と同じバージョンのもの)については、「升目を跨っている駒の配置はあり得ず、試合では審判から注意を受ける」との説明を受けた。「チェスは戦争であり、いろいろな駒があるが、キングとキングの戦い」と続け、ボードを取り囲んだマン・レイの手書き文字を読みながら、「普通の人がチェスを楽しむのは、とても難しい。マン・レイの冷ややかな笑いがあるね」と、続けた。イップが感じ、説明をしてくれた、マン・レイのメッセージを理解する為の、語学力の無いわたしには「謎」がそのままに拡がって行く。」

---------------------------------------
  
 ボクシングとチェスを同時にやろうと云う彼の試みは、「もっとも思考が要求される競技と、もっとも闘争的なスポーツを融合させるというもので」、アムステルダムで2003年11月に開催された試合のビデオを、興味深く拝見した。会場には、イップの血がついたタオルとか、グローブ、チャンピオンベルトとともに、チェスの一場面が展示されていた。部分だからコンセプトが上手く伝わる。チェスの局面では劣勢(?)のイップが相手のタイム・オーバーによって、かろうじて勝利する。この人のパホーマンスには、エロティックな要素が多い。これについては、いずれ書きたいと思う。

尚、展覧会は4月30日まで、ギヤラリー16(京都・岡崎円勝寺町1-10、電話075-751-9238)で開催中。23日は、会場で眠り続けるパホーマンス「どうしても享受できないものが何であるのか、私はよく分かっている。」が予定されている。
     

 
        
   
April 21, 2005
  
仕事関係のセミナーで昼から大阪へ出た。会場がJR桜の宮・大川端の帝国ホテルだったので、開催前にちょっとブラブラ。造幣局の桜は終わってしまっていたが、気持ちの良い一時を過ごした。システムに関する四つのセッションを受講しながら、いろいろ考えた。オンデマンドのやり方は昔と変わらない、その点からすると、進んだシステムだと思ってよいだろう。でも、新しい方法を模索する。
   
   
April 20, 2005
  
今宵もビール。食卓に筍のさしみ、ぬた、鰈の唐揚げ、それに、ポテト、エビフライ、鳥の唐揚げと続く。デザートは枇杷、甘い物で羊羹。お腹一杯になった。エビフライは名古屋名物。これは、先日、家人の指導のもとに殻むきとはらわた取りをしたもの、初陣だった。これまで、何もしたことがなかったので、手順が良く判らない。その折、「早く手早くと」何度も言われた。コネコネしていると鮮度が落ちるらしい。何事も慣れだよと思いつつ、やったものが、食卓にあるのも悪くない。でも、娘達には見場が悪いと不評だった。いつまでも、食器洗い係かな。
   
  
April 19, 2005
  
資料をざっと読んで、ポイントを整理する。今宵はちょっと、ビール頭になっている。
   
   
April 18, 2005
  
夜に用事があって素面のままだった。調子良く銀紙書房新刊用の資料調にとりかかった。そんな訳で、12時を過ぎて寝床に入ってからも頭が冴えたままで困ってしまった。夜か朝か、毎日続けることは、大変である。
   
   
April 17, 2005
  
たまってしまった家の用事、洗濯やらアイロン掛け等をして過ごす。
   
   
April 16, 2005
  
昨日と同じように5時起きで原稿書き。銀紙書房新刊「それぞれでの一点」徳島編を脱稿。ワードカウントで確認すると6,192文字となった。結語の部分にひねりがたらないとも思うが、このあたりで、次ぎの単元へ進む事とした。昼から資料を府立図書館へ返却する為に出掛ける。途中、京都芸術セターでの「裏・アートマップ」を覗くが、全体的にいまひとつの感じ。三条の「プ」でY氏とばったり。星野画廊、山崎書店、ギャラリー16と定番コースを移動。山崎書店では「第2回 手づくりART BOOK展」が5/1--8まで開催される。出品は29日までとの事だけど、銀紙書房本を出品したいと思いつつ、一点しか残っていないからと、展示を断念。展覧会用に一冊作るのも面白い方法だが、出品本の傷みを危惧してしまう。手に持っての飛び入りと云うのもありかなと考える。しかし、好天の岡崎界隈、顔中コナだらけの案配で帰宅してからの発作が怖わくなった。

 大丸百貨店地階のヴィタメールで買い物。夜は楽しくこれをいただく。良い選択だとの評価をいただき安堵する。女性陣は怖い。9時過ぎに薬を飲んだら、てきめんに眠たくなり、そのままバタン。


   
April 14, 2005
  
今朝も5時前に起きて原稿書き。ビールを飲むから朝型にシフトしないと進まない。昨夜は10時に寝たから快調。そんな訳で、いつもより速い阪急電車に乗った。6801号の座席に座り見上げたら京都国立博物館での特別展覧会「曾我蕭白---無頼という愉悦」展のポスターが車両総ての京都側(裏面の梅田向きは宝塚、星組公演)に掛かっている。バランスの良い二枚組で「円山応挙がなんぼのもんぢゃ!!」と格好良いコピーが、ずっと続いている。4月12日から5月15日までの会期。楽しみだ。
   
   
April 13, 2005
  
5時前に起きて原稿書き。
   
  
April 12, 2005
  
雨降りの日は、花粉症がきつい。熱が出た時のように身体がだるい。薬を飲む。
   
   
April 11, 2005
  
休みの間に、会社前の欅並木が一斉に葉を出して、若い緑が眩しい程である。でも、花粉の飛散がすごくて扉が開いていると、とたんにくしゃみにみまわれ、しばらくすると鼻がグシュグシュしだす。同僚の花見の話を聞きながら、花粉症の身の不甲斐なさを呪いたい気分となった。
   
 スムースの林哲夫氏が京都新聞朝刊の文化欄「創発空間」(11日、11面)に「本は無くなるのか?」と云う一文を寄せておられる。しばらく前のデイリー・スムースでインタヴューに言及されていたので、新聞を注意していたわけである。「本にはさまざまな人々の手が加わっている。電子情報の世界と比較すれば明らかに身体的な存在である。その手間のかかりようが本の限界ともなり愛しさともなっているのだ。」など、同感同感と拝読させていただいた。「未来社会においては書物もまたアートとして伝承されていくだろう。」とあって、この人の書かれるものは、やはり気持ちが良い。冒頭の川端二条の古書店、わたしも自転車をとめて、見るには見たのだが、買うまでには到らなかった。林さんが買うべきものだね、本の一生に脱帽した。「手ずれの本」とは林画伯の事だからね。
   
   
April 10, 2005
  
昼食をすませてから、京都に戻る。昼から飲んでいるので、足元もおぼつかない。資料を鞄に詰め込んでの一泊二日。でもアルコールが入ってしまうので、原稿は進まない。だんだんと焦ってくるけれど、こんなに手こずるのは、どうしてかと、またしても、ウダウダ考えてしまった。
   
   
April 9, 2005
  
ギャラリー16のSさんお薦めの『自然をめぐる千年の旅---山水から風景へ---』(愛知件美術館 5月8日迄)を観た。愛知万博を記念した国宝、重文約70点を含む名品160件。「あんなに集まる事はないですよ」と彼女は強く言っていた。日本画を学んでおられた人の眼だから間違いないと思って会場へ。荷物をロッカーに預けて、取り出したのが眼鏡2種(老眼)にギャラリー・スコープ、さらにメモ用のノートだから、恥ずかしい姿である。
   
 ある教授推薦の「日月水図屏風」(53)は工芸的すぎてわたしには合わなかったけど、「春日鹿曼陀羅図」(11)や若冲の「鸚鵡図」(88)等に眼をとめた。モダンなんだよね。そして、今日、関心を持ったのは狩野正信の「観瀑図」(28)、画面下部に高士と侍童。滝を眺める為の建物に向かう二人連れの姿が面白い。山水画の人物達は、風景の中を旅するシルエット、観る者が画面に入り込んで進む後ろ姿として描かれるものだと思っていたら、この繪の侍童は良い表情でこちら側を観ている。その頬のあたりをスコープで覗きながら、当時の日本人がほとんど行くことの出来なかった中国の風景。実在なのか架空なのかは知らないけれど、繪の世界へ吸い込まれてしまった。繪から抜け出たりする仙人の話を聞いたこともあったな。観る者が画面で遊んでしまうこの感覚は、わたしたちのDNAに染みこんでいる不思議な要素。山水画って、旅する人の心を床の間で共有する事なんだね。理屈ではわかっていたつもりだけど、今日は、実体験となった。
 
 展覧会を観る時は、最初にざっと見回してから、入口に戻り、じっくりと画面を観察。それを一通り済ませてから、再度、入口に戻って、解説文を読みながら確認、この時に再発見する事も多い。その後、メモをとりつつ観るといった何度でもの楽しみ。これに、ギャラリー・スコープが加わるのだから、人が多い時には、こまった観客になるだろうね。午前中から入館したから許してもらえるか。ギャラリー・スコープを使っている、わたしのような観客が他にもいらっしゃった。でも、その人はメモ書きようの紙ばさみを使っていたね。次回の参考になった。
     
 さて、テキストを読んでいて面白かったのは浦上玉堂の「凍雲篩雪図」(34)。「彼は、酒に酔って詩書画を作ることの文人的な伝統を踏まえ、酔った状態で作画した。大作の場合は、何度も酔って仕上げたという。そのためか、細かい雪の降る情景はどこか夢のような幻想的な趣を持つ。」とあったので、まじまじと画面を見入った。川端康成の遺愛品であった国宝だが、わたしの、眼には上手く入らなかった。先入観が強すぎたのだろうか。どこかに物語性が潜んでいるか、モダンな部分、新鮮な要素が画面に必要なのだ、わたしの眼はそんなふうに見てしまうようだ。そんな訳で俵屋宗達の「嶌の細道図屏風」(109)が良かった。 
  
 花粉症持ちは、花見もままならず、美術館で菊池芳文の「小雨ふる吉野」(75)をめでて我慢する。
  
 今回の展示品の中に、神宮道の星野さんが発掘した榊原始更の「路」(151)が含まれているのを知って驚いた。最近、縁があって、この作者の物を手にした事があったので、感慨深い。立ち止まって見入る人の姿を何度も見たので、現代的なのかな、不思議な空間を持つ繪である。黒田清輝の「湖畔」(147)等の有名な油彩も展示されているが、丁度、林哲夫さんの『帰らざる風景』を読んでいるタイミングもあって岸田國士の「道路と土手と塀」にはうなってしまった。こうした感覚の方がピッタリするんだよ。絵葉書も買い求めた。  

 夕方、疲れて実家へ。地下鉄の車内で林哲夫さんの本を読んでいたら、一駅やり過ごしてしまった。名古屋の地下鉄では何度も降り損なってしまう。どうしてだろうと、夕陽に向かってマンションへ。ビールが旨かった。
 
   
  
April 7, 2005
  
通勤のお供に林哲夫氏の『帰らざる風景』(みずのわ出版 2005年)を読んでいる。愛情こもる素敵な本なのでカバーをかけ汚れないように読んでいる。全編、眼から鱗の連続である(現在92頁まで)。感謝。
  
   
April 6, 2005
  
5時に起きて原稿書きをするが、どうも上手くいかない。
  
---------------------

 銀紙書房刊行本の注文をメールでいただいた。喜んだのは良いが、もう残部がない。書棚をゴソゴソしてなんとか見付けたが、急いで該当ページに「品切」の表記をする。有り難いことだ。さて、新しい刊行本も、このようになりますように、その前に原稿を仕上げなければ---

  
April 4, 2005
  
新聞を読んでいた家人が、美術評論家中村敬治氏が3月24日に亡くなられたと云う記事(注)に気付いて教えてくれた。家人は学生時代に中村先生の授業に出ていた事があるので驚いている。わたしもマン・レイの最初の写真集(朝日新聞社刊)の基礎調査等で京都時代の中村先生にはいろいろとお世話になった。いや、先生のおかげで野村仁氏の仕事を強く意識したし、マルセル・デュシャンの事柄も同時代的に吸収する事が出来た。マン・レイの珍しいカタログを衣笠のご自宅で拝見させていただいたのも、マン・レイ狂いとなるきっかけだった。お酒もよくご一緒したし。パリに滞在中の先生が見付けて送って下さった「マン・レイ肖像写真集」等、今では我が蔵書の宝物になっている。コレクションは独りよがりでは築き上げれない。中村先生の鋭い批評眼で、なんど軌道修正をしていただいた事だろう。先生のご冥福を心よりお祈り申し上げる。

 先生は、滋賀県立近代美術館マン・レイの大規模な回顧展が開催された折(1985.3.2-4.7)に読売新聞の展評で「立派な美術館での大回顧展もわるくないが、そっともって帰って一、二点、書棚のわきにでも飾って、時折眺めたりしたいような、刺激の粋さがたまらない」と書かれた。この記事、冒頭が「マン・レイというのはどうも、二流の人に思えてならない。」とあるので、お会いした時「石原君がいやがるかもしれないけど」と前振りされていた。デュシャンとの関連も含めた文章には愛情がこもっていて、わたしは、素直な気持ちで先生のエッセイを読んだ。懐かしい時代。
  
注)  中村敬治氏(なかむら・けいじ=美術評論家)3月24日午後7時5分、胃がんのため東京都北区の病院で死去、68歳。山口市出身。葬儀は近親者だけで済ませた。喪主は妻笙子(しょうこ)さん。 国立国際美術館学芸課長、NTTインターコミュニケーション・センター副館長などを務めた。著書に「現代美術/パラダイム・ロスト」「現代美術巷談(こうだん)」などがある。
  
  
April 3, 2005
  
原稿書きから遠ざかった日が2週間程続いたので、調子が戻らない。気分転換に座敷に移って悪戦苦闘。資料はそろっているのだが、構成が今一つ。ウダウダと一日が過ぎた。
  
  
April 2, 2005
  
展覧会のカタログを見る楽しみは未見の作品や資料に出会うことである。京都から世田谷へ気楽に出掛けるゆとりを持たないわたしにとって(本日の夕方にミク友のオフ会が美術館で開かれると聞いていて、参加したかったのだが)、カタログから展示品を想像するのは大事な事である。テキストに入る前に写真版をいろいろと眺めて楽しんだ。桂時代に持っていた「フーリエの肖像」が使われたポスター(TU-0400)を見て、壁に貼っていたから、引っ越しの時に捨ててしまったなと残念な思いがわいた。先日、名古屋で見たばかりだけど野中ユリの「信号柱・場所と公式」(Tm-d-154)はやっぱりいいな。そして、今日、発見したのは、こんな記載「マン・レイの逝去に際し、同氏夫人へ送った弔電と同じ文章」(RE-197)、宮脇さんに送られたヴーァジョンしか知らなかった「MAN ANRAY AYES」、言葉の意味がやっと判った気がする。昨夜の就寝が2時過ぎだったにもかかわらず、6時には起きなければならない用事があったので、どうも、頭が鈍く、テキストの読解に苦労する。瀧口さんのカタログが気になってしまい、予定していたマン・レイの原稿を進められない一日となってしまった。
  
 友人のテキストに「瀧口の書斎とは、絶えず新たな物語が付加されていく、進行中の書物としての空間であるといえよう。」(253頁)とあって、ウムウムと納得した。総てのテキストを読むのは、容易い事ではないが、杉野秀樹氏の「謎を残したままの、夢の漂流物」では手をとめた。わたしの感じている事に一番近い。氏のように写真を見るし、「瀧口に批評を乞おうとして一方的に送られてきたモノもあっただろう」(281頁)の送り主としては、痛い御指摘を、真摯に引き受けたいと思う。時間の経緯、主人の不在、写真が証明であるのか等と云った「罪のない誤解」、そんな問題提起の後で「瀧口修造コレクションは、問いに答えるすべのない謎を、内に秘めつづけることになるのだろう。」(285頁)と結んでいる。知ろうとしすぎる若いテキストの間にあって、杉野氏のスタンスは適切である。
   
  
April 1, 2005
  
ゆらゆら、若い女性の胸がゆらゆら。帰宅時の西院駅。電車を降りて階段を上がりかけたら、ジャケットの下の薄い桃色セーターがゆれる。顔を見損なった。春である。
   
----------------------------

 楽しみにしていた「瀧口修造: 夢の漂流物」展(世田谷美術館で4月10日迄開催。その後、富山県立近代美術館に移って5月28日から7月3日まで開催)のカタログが届いた。22x15.5cm. 厚さ4cm. 420頁。瀧口さんの再録2本、若い人達のテキスト19本、それに資料が入っている、恐れ入りました。大辻清司氏による未見の位置からの書斎の写真(30-31頁)を楽しむ。主人が座っていた視線になるのだろうか。そして、急いで友人、知人の論文を読み始める。しかし、本の構造上、パラパラといかないので、すこぶる読みにくい。ビール頭には手強いので明日の課題とすることにした。
  
 図録のデザインは梯耕治氏と記載されている。装幀家とデザイナーの違いは、「本を手にして読む行為者」と「本を置いて見つめるだけの人」ほど違う。本を置いて、そのボリュームを経験的に知っているのは、悪しき教育。開かれない本とはおぞましい。これは、瀧口さんが、一番いやがった本ではないだろうか。ブレーンな本の持つ紙の質感と活字の配置、手の喜びと目の至福を同時に獲得できるような世界、それが、書物なんだけど。瀧口さんの書斎にある物達は、本から抜け出て何処かへ行く。あるいは何処かからやってきて本の頁に潜り込む。開け放たれた本であったのに。開かれない本を用意するとは----

 大先輩が指摘されるように、このボリュームなら丸背にしなくては。両手で押さえるのはつらい。手触りが即物的カップ・ヌードルにプラスチックのフォークと云った案配。これが好きな人達がほとんどとなってしまった世相、何かを反映しているのだろうか。

 運送用のダンボールが参考になると発言されていた方もいらっしゃった、確かに本の角が傷まないように作られているのは関心するけど、湿気対策はどうだろう、何よりも開けた時の雰囲気が悪い、そして、テープを切る時のカッターナイフの驚異にさらされる。始めて開ける者は中の構造がわからないのだから。

 テキストを読み始めたら、こうした感情は変わってくるだろうか。これを、書きながら、手と肘と、何か別のもので押さえつつの図録を横に置いている。刊行が遅れていたから、会場写真が使われているだろと推測していたが、重要な扱いではないようである。
  
 苦言となってしまった。明日の出会いに期待しよう。でもね、テキストを読むためには、本を開かなければならないのだが。