2005.10.1-10.31 マン・レイになってしまった人

October 30,  2005

昨日の写真を現像に出して『日録』にアップ。写真がある方が楽しいと、あらためて思う。銀紙書房刊のリ・リュールを4冊行う。先は長い。
   
 
October 29,  2005
  
 
グツグツと美味しく煮込まれたラタトゥーユ
 オレンジ色のル・クルーゼが可愛い。
 蓋の重さ、ホーローの質感。
 頼りになる「わたしのお兄さま、いやいや、息子です」
 といったところだろうか。
 京都パラダイス 会場にて。
  
  


 午前中の雨もあがって、夕方から、京都パラダイス(山崎書店2F)で開催中の『林哲夫装幀展』へ出掛ける。今宵はナベツマ氏からのお誘いによるプチ・パーテイ。 いつもは、自転車なのだが、四条河原町から先斗町をブラブラ上がる。歌舞練場の手前辺りでミニダックスフンドと隠れんぼをしている粋な芸者さんにみとれる。黒いお座敷の着物でチョツト戯れる感じが良い。街は歩かなくちゃダメだね。
  
 さて、山崎書店の二階に上がって拝見する。装幀のやり方については、知っているつもりだったが、開陳されている林画伯の仕事に接っし「ソウカ、ウムウム、ナルホド」と目から鱗と云うか、現場の臨場感が伝わってきて、嬉しくなった。わたしなどがマックのプラグイン・ソフトで太字が弱いな、迫力でないと日和ったアプローチをしている時に、画伯は明治時代の教科書から一文字毎ひろって組み立てておられたのだ、参りました。この展覧会を記念して、ナベツマ氏設計による『林哲夫装幀作品集 SHAPES OF  BOOKS』が刊行されている。(50部限定、500円)。人柄が現れている装幀の仕事の中で、スムースでは9号のあまから洋酒天国が「いちばん気に入っている」と云うのも良いものだ。わたしは、どの装幀に惹かれたかな、御自身の著作の幾つかは当然として、帯との関連から『宮本常一のまなざし』、あるいは、単純に『どんな木』。画伯は人の指先で開かれつつ動いていく書物の動線を熟知されている、三次元から四次元につらなる、ブックデザインの真髄を教えられる感じだった。わたしの友人T氏なら、滝口修造のバーント・デッサンを借用された『夜半翁へのオード』を手に取ると想像されるが、書物はそれぞれのおもいと共にあるもの。そうした、それぞれの読者と著者を結びつけるこの装幀家の仕事は、なんとも、品が良い。

 展覧会の様子については、画伯、御自身のデイリースムースを御覧になっていただきたい。展覧会は6日(日)までだから、急いでね。

 

 さてさて、会場にはル・クルーゼ。ビールやらワインやらで喉をうるおし、バケットに生ハム、幾種類ものチーズを頂いた後での、お披露目である。素敵な色合い、質感は、ブリキ玩具コレクターであった小生とは共感する部分が多い。肌触りは視覚からも入り、可愛い息子のようなのかしら。手に持って走らせ、一緒に動き回るのが、消防車コレクターの楽しみだったけど、ル・クルーゼに野菜や自家製のソーセージを入れ、コトコト、グツグツと煮込む、慈しみ方は、精神に良いのだろうね。身体感覚がつながっていくのだろうと思ってしまう。それで、ナベツマ氏のお誘いで持たせてもらったが重い。この重さがよいとのお話。蓋の重さで密封されて料理も格段に美味しくなるのだと云う。

 ナベ友の輪とは不釣り合いなわたしだが、京都パラダイスのオープン・カフェでワインを飲みながら、京都の額縁屋事情や、画伯が装幀を始められたころの経緯をYさんからお聞きしたりして、楽しい時間を過ごした。人との出会い、これが一番である。感謝。合掌。

 京都パラダイス
 林哲夫 装幀展、文字力100冊のコーナー
 山崎書店の二階に上がると、直ぐに調理場、
 オレンジのナベが、コトコトと……


   
   
   
   

   

   
October 25,  2005
  
昨日の展覧会では、同時開催中の『瑛九 フォト・デッサン』展に言及しない訳にはいかない。100部限定の『眞昼の夢』を見た。キャビネ版程の小さな写真が台紙に貼られている。フォリオになっていて、表紙と合わせて9点。可愛い表情をしている。わたしがフォト・デッサンについて書こうとすると、マン・レイとの関連になってしまうが、この話を書くには『日録』では早い。ただ、メモとして示せば、最後の部屋で油彩の『田園B』と対峙しながら、これは光だと思った。影ではない光の粒子、マン・レイはスーラーが好きだったけど、瑛九のこれは点描だろうか。
   
   
October 24,  2005

今日は昼から後半休をとって、国立国際美術館での『もの派--再考』展のレセプションに出席した。展示会場の一室で当時(1968年)のスライドを前に、それじゃ高校1年生ではないかと思い始めて、昔、須磨離宮公園で見たのが、関根伸夫の「位相-大地」だったのかと、不安になってきた。視覚には土の感覚が残っているのだが、資料が自室のどこに入り込んだのかわからないので、これを打ち込みながらモヤモヤとしている。

 美術の素人には「もの派」があったのかどうかは不明であるが、京都へ来た頃には、今回、展示されている作品の雰囲気があった。いや、名古屋時代に作品を知っていた高松次郎や、ギャラリー16で出会った狗巻賢二、小清水漸、野村仁、吉田克郎といった人達、作家自身や作品と出会った街の様子に魅力があるのだろう。
 再制作とはいえ、写真や話の中でしか知らなかった作品と、今回、出会うことが出来、有意義だった。もっとも、ヨッパラっているので、上手く書けないけど、狗巻賢二と野村仁の作品は好きだ。眼を突きそうな針金の突端やレセプション時点から潰れ初めているダンボールの美しさといったらない。
 そして、何故か分からないのだけど、原口典之の「無題(ワタヤーロープI)」に惹かれた。ビールを二・三杯頂いてから、会場をブラブラすると、足元は危ないけど、視覚のバランスはすこぶる心地よい。過ぎ去った時間のゆるみが、この時間まで続いている。

 「もの派」とは、一つの教義や組織に基づいて集まったグループではありません。1968年頃から1970年代前半にかけて、石や木、紙や綿、鉄板やパラフィンといった<もの>を素材そのままに、単体であるいは組み合わせることによって作品としてい一群の作家たちに対して、そのように呼ぶようになりました。かれらは日常的な<もの>を、非日常的な状態で提示することによって、<もの>にまつわる既成概念をはぎとり、そこに新しい世界の開示を見いだしたのです。(チラシより転記)
  
  
October 21,  2005

 PEINTURES DE MAN RAY
 DU 1ER AU 15 JUIN 1954
 GALERIE FURSTENBERG
 56.1 X 38.1cm.
   
  


ペイパルでの支払い可能と表示があるのに、確認すると、指示は「小切手を私書箱宛てに遅れ」と一回あっただけ。喉から手が出ているわたしは、直ぐに(今月5日)送付。荷物を送りだしたらメールが欲しいと依頼していたのに、なしのつぶて、そんな、ニュージャージ在の売り手だった。

 幸いにも、本日、50年程前にパリ6区のサンジェルマン・デ・プレ教会の裏手辺りにあった画廊で開催された『マン・レイの油彩』展ポスターは無事到着(プリンストン発15日)。ヨレヨレの一品だけど、わたしは嬉しい。これは、コレクションするポスターの一番古いものとなった。そして、マン・レイが作り出している自画像イメージの最初の例だろうか。(1956年のポスターもこのポートレートが使われている)。検討するのも楽しい。
 展覧会の会期と場所の表示がある、カタログやポスターは、わたしが血眼になって追っかけているマン・レイのアイテム。MAN RAYの文字の間から覗く、彼の視線が生々しい。さっそく、額に入れニヤニヤと見ている。
  
  
October 19,  2005

マン・レイの謎、その時間と場所。』を明日、発送するので、宛名書きをしていたら、なんと、限定番号14と15のお二人が同じ町名でビックリ。番地は3と4だから違うけど、こんな偶然があるのだね。ミク友の女性と、VOUの詩人で写真家でもある大先輩。お二人に面識は無いだろうけど、二冊の「本」が、ご近所に住むんて嬉しいことだ。
  
  
October 16,  2005

土曜日の夕方から名古屋へ帰った。帰宅後、直ちに飲みだし最後は焼酎。兄姉で馬鹿話に盛り上がるも、いつのまにか寝てしまった。末っ子はだらしない。翌朝はパソコンのメール設定をちょっとやってから、古書店の探索。昼からお寿司をつまみながらビールやら、白ワインやら。お腹が破裂しそうでも、飲み続ける、のんべはなさけない。
  
 そんな間に、野見山暁治氏の『いつも今日』(日本経済新聞社、2005年)を読み終わる。考えさせられる自伝だ。不謹慎だが「これは手本になるぞ」と思う。あとがきに「肝心なところを避けて語る身の上ばなしほど、いかがわしいものはない」とある。これが、良いのだよね。
  
  
October 10,  2005

ゴミ出しの朝は仏光寺通りに青い花が咲いているようだ。朝の光がビニールのブルーを透すので輝いている感じ、匂いまでは伝わってこないので、ちょっと美しい。9時前に油圧の音がたからかに、町内をぐるぐると回収車が回わる。この時にはディーゼルの臭い匂いが部屋にも漂ってくる。その後、おーさんの声。若い修行僧が辻をめぐる。休日はウダウダと始まった。終日、本造り。ニュースで丸善が今日で閉店の話題。夕方、6時に『日録』を書き込む。
  
  
October 9,  2005

銀紙書房新刊の予定数制作へのプレーシャーで気が重い。午前中に22冊までの限定番号とサインを入れて一息。インクの残量警告も出始めたので、外出。コレクター利岡誠夫の「ぼくのたからもの! TRIBAL ART」(ギャラリー・アール 10/16まで)、三月書房、有田恭子写真展「玄(くろ)」(ATHA 11/30まで)、ギャラリー16、山崎書店と回る。気持ちの良い天気で自転車乗りには最高、しかし、本の制作にしばられている為か写真を撮る気持ちにならない。アタには作者の有田さんもいらっしゃったので、ちょっとビール、そして世間話。黒いマットに入った黒い写真。でも、「明るく見える」、反射に適した黒なんだね、きっと、見るたびに違った見え方を誘う重層的な作品、これでなければ、2ヶ月の長丁場はもたないよな。夜のイメージ、グロテスクな映像ではなくて、明かりに照らされた闇であるような写真達だと感じた。

 山崎書店の2階「京都パラダイス」では、10/28-11/6の会期で林哲夫氏の装幀展が予定されているので、楽しみである。案内状で会うミカンちゃんの眼差しにも興味引かれる。スケジュール帖に書き込んでおかなければ。

 夕陽が美しい時間帯。九条大宮辺りの路地で光の止まった一角を走る。変化する赤や墨色が冥土色といったあんばい。鈴鹿芳康氏の合掌のイメージが何かを発しているのだろうか。ベダルが重いと感じる程に、気が滅入る。ひとりぼっちといった感情になってしまった。会場に入って出会った氏の「合掌マンダラ」は素晴らしい。図像の解釈についての専門知識を持ち合わせていないのだが、鐘の音が入ってくる空間である。それぞれのマンダラには24点のポラロイド写真と、写された人の名前と日付とメッセージが書き込まれている。出品作品の一つである、「#012-1,2003」の左下には、眼を閉じて合掌する2003.7.12のわたしが貼り込んであった。わたしだけではないが、どの人も自我が消えて仏になって行くようだ。同じ作品の上段には有田恭子さんも手を合わせている。地下に安置された「闇の息」。霊の姿を見る恐ろしさと、白い階段の奥にかけられた「精子」の姿でもあるような一点に、なんとも、元気付けられたような、気が滅入るような気分。くよくよしてもしかたないし、呪縛の結界から脱出しなくてはと、振り返らずに急いで帰宅した。
  
  
October 1,  2005

引っ越しで出勤した昼休憩で嬉しい事があった。新事務所から国道赤池の方へ出たところに、懐かしい「はなふさ珈琲店」。京都四条河原町の裏寺にあった頃、よく通った店だ。モカブレンドを愉しむ。--- 思い出の力からか珈琲の飲めなくなった身体でも挑戦したくなった。ストレートで酸味を確認し、半分程頂いた後、ミルクをたっぷり入れて至福の一時。職場環境も改善された上に、「はなふさ珈琲店」を近くに発見して良かった。城南宮の緑と共に琥珀色の時間を手に入れた心境である。次回はカウンターの前に座ってサイフォンのゴボゴボを見なくては。

● はなふさ珈琲店 サウス店  京都市伏見区中島外山町86  075-602-2669