2005.12.1-12.31 マン・レイになってしまった人

December 31, 2005

 
コラージュのカードを10枚追加作成し、海外へ送る段取り。右京郵便局で封書用の110円切手を求めたら無いと言われてビックリ。どうやら切手の種類を減らしている。バタバタとした大晦日。テレビは紅白よりもPRIDEとK-1。ボビーが面白い。NHKは末期的でいただけない、ケーブルさばきが悪くてWaTのマイクが飛ぶ。司会者が出過ぎて反発し、チャンネルを何度も変えた。『日録』を書き込み始めた時間、子供達はジャニーズの全員集合を観ている。エビス・ビールを飲みながら、新しい年を迎える。
 
   
December 30, 2005

 
終日、年賀状工房の職人となり、夕方終了。その間に風呂場の大掃除。ちょっとビールを飲んでから、近況等を加え急いで宛名書き。深夜、ポストに投函。寒くても玄関から20メートルだから街中は便利である。
   
  
December 29, 2005

 
迎春準備を終えた、輪違屋
   
 年末の経理マンは、御用納めの翌日も出勤して雑務を行う。毎年の事なので30分程かかるが自転車で会社へ。迎春準備をしている町中を走るのは気持ちが良い。今日は島原を抜けたので、大門近くの現存する置屋輪違屋の前を通る。それで簡単にスナップを一枚。先日の五條楽園は、島原の飛び地でスタートしたんだよね。

 帰宅してから年賀状の制作。今回はコラージュなので、パソコン出力等をして材料を複数枚用意する。以前は年に一回の作品発表と云う意識でやっていたのだが、銀紙書房本刊行に追われたり、京都写真展に参加したりして、随分と位置付けが変化してきた。ネットでの挨拶が適している友人、知人も増えてきたこともあり、いずれ考えねばと思っている。

 写真屋に現像を出し、『日録』に数点アップする。夜11時に年賀状の第一陣を投函。明日は年賀状屋さんだな。

   
   
December 25, 2005

 
舞台の出し物の幾つか、
 中段は森岡パパの視線、
 下段は「GR三兄弟」で、
 舞台から撮ったスナップ。
 兄さん達の写真はどんなんかなー

   
      
   

  
   
   
   
 京都写真展の搬出をしてから五條楽園歌舞練場を会場に7時からの「THE PHOTO ENKAI」へ。参加者は約40名。組合長さんの説明によると五條通りと七条通りをはさんで東は鴨川、西は河原町通りにはさまれたこの一角は、島原の飛び地として250年前に営業許可の出た地域で、昭和33年実施の売防法施行以前には年間12~13万人が遊んだと云う。現在は貸席20、置屋6、芸者20。建物は大正4年に建てられたが、近年はほとんど使用することがない為、傷みが激しくなっているとの説明であった。
    
 急な階段を上がった二階の舞台には花道もあって、おどろおどろとロマンチックな空間。中央に二台、大型ストーブを置き、小さなやかんに日本酒を入れて直接お燗を付ける作法で、宴を始める。日本酒を湯飲み茶碗になみなみと注ぎ、鳴海餅本店の赤飯弁当に胡麻塩をふっていただく。てんでに世間話をする間もなく、舞台では若きダンサーのドイツ的踊り、彼女は雨からダンボールで身を守りながら、街路に飛び出して行く。舞台の両袖、花道と踊り狂う様ではあるが、知的な抑制がきいているようで、酔客を欲情の世界に誘うことはなかった。森岡パパがときおり「踊り子さんには手を触れないで下さい」とアナウンスするのが微笑ましい。一幕、終わるとダンサーはインストラクターに変わって、参加者の一部を舞台に招き、畳の人達も取り囲んで、楽しくステップを踏むワークショップとなった。

 Kさんのエレキギター、I先生のアマポーラ独唱、写真家T氏のメガネ人論議、写真評論家H氏の昔話などなど、盛り上がる演目が続く。なかでも圧巻はチャーミングなSさんの太極拳。こんな時、舞台に上がるのが好きなわたしは、「GR三兄弟」と飛び出すありさま。この夜、持っていたカメラはなんとI氏(長男)がGR1、O氏(次男)がGR1s、末っ子のわたしがGR1vといったラインナップ、舞台で並んで撮りあう。踊り子さんの撮影会といい、写真好きの集まりだから、可笑しいね。
 いろいろな世間話をしながらも、深酒する人もなく---わたしも含めて、楽しい一夜となった。

 その後、T嬢と連れだって裏路地をブラブラと木屋町までランデヴー。古いなじみのKAZABANAで、ウイスキーとバーボンを飲みながら昔話を少々。月曜日からの仕事を考慮し、そこそこで店を出た。
  
  
December 24, 2005

 
ゲストをお招きし自宅で楽しいイブ。チーズ餃子、焼き鳥、海老フライ、とんかつ、おひたし、ポテトサラダ等々が食卓に並び、ワインとビール、それにチュウハイで良い気分。女性に囲まれ手作りケーキをいただき、神に感謝する。
   
  
December 23, 2005

 
京都写真展レセプション前にギャラリーカト二階を覗くと、鈴鹿芳康氏。京都造形芸術大学の写真学科生達によるポストカードイメージの展示。額装されているので、カードの雰囲気はなく、話を具体的に聞くまで、カードであることが判らなかった。ポストカードセットが500円とリーズナブルなので喜屋武愛子、西下智与、井上雄太の三氏を購入。会場に喜屋武さんがいらっしゃったのでCYANOTIPE PRINTの一点にサインをお願いする。コレクターはこうした時、浅ましい人種だと反省。その後、ヤマモトギャラリーで有田恭子さんの「眼前の壁(家1)」を、ギャラリー射手座で坪口晄弋さんの「P*IN HOLE Vol.1」を観る。参りました。
 
 ギャラリーマロニエのレセプションはいつもながらの楽しい雰囲気。シャルドネシャンパンで乾杯。美味しくてお代わりをお願いしてしまった。それぞれの作品にまつわる話やらをいろいろお聞きする。マン・レイのバッチを頼まれたり、「不在について」のきびしい感想をちょうだいしたりの、酔っていく時間。木下憲治氏から18日のパーテイの写真を頂いた。感謝。
  


   
December 22, 2005

 
東京の友人が慶応義塾大学アート・センターで開催されていた「瀧口修造 1958 --- 旅する眼差し」展に関する小冊子、案内状、出品リストを送ってくれた。感謝。
   
  
December 21, 2005

 
シンポジウムが無事に終わった(と、本人は思っている)。簡単な打ち合わせの後、マロニエ5階の会場へ。若い女性達を中心に多くの人達が集まっている。京都写真クラブ代表の森岡誠氏がHow are you PHOTOGRAPHY ?, 京都写真展、シンポジウム等の様子と見通しを説明し、続いてわたしが、三人のギャラリストの経歴を簡単に紹介。続いて、それぞれが自己紹介を15分程の持ち時間でする。ギャラリーマロニエの二代目である西川勲氏は1966年からクラフト・ショップの運営を始め、1970年代に入って工芸を中心とした画廊の性格を作られる。工芸と現代美術とのはざまをやってきたと言う氏は、写真の出品を行った実績もある作家の一面も持っておられる。綾智佳氏は外資系生命保険会社のOLからギャラリストに転進した経歴を持つ知的好奇心と情熱あふれる美形の女性。The Tird Gallery Ayaは1996年大阪駅前第3ビルでスタート、開廊展は石内都。好きな作家の展覧会から始めたいと作家にコンタクトし、運良く開催できた強運の持ち主。スライドで示しながらの説得力のある話である。Gallery OUT of PLACEを開廊したばかり(2005年3月)の野村ヨシノリ氏は、1989年写真表現大学に社会人として参加し、自己表現の世界に見せられ、それまでの生活を捨ててしまった人。誠実な話しぶりのなかから、写真への情熱が伝わる。南仏のエクセ・マルセイユ大学で勉強され、アルル国立写真専門学校への受験にトライ。パリに拠点を移し、写真作家の道を模索されたあと、ギャラリストを志向。本年10月に展覧会「堆積する視線」(海岸通ギャラリー CASO)のディレクターも努めた。奈良の町家を改装した自身の画廊ととりあげた写真家をスライドで説明された。---ここまでで、7時。

 わたしは、司会進行の役目だが、それぞれのお話を、聴衆の視線と気持ちのまま興味深くお聞きする。みなさんギャラリストと云う職業だが、アーティスト、表現者、作家と云った性質を強く持っておられるように感じた。職業であるけど、お金儲けではないもの、不思議な世界である。

 

 「作家とギャラリストとの理想的な関係」についての意見を尋ねた。西川---作品の良し悪しではなく、作家本人の思い入れの強い人が面白い。初個展の会期中に一皮むけていく人が沢山いらっしゃる。野村---OUT of PLACEは「場違い」と云う意味ですが、自分だけの思い込みでやっている人に興味を持ちます。売っていくのは難しいが、得意な物があれば伸ばせばよい。綾---何故写真が好きなのかと思うと、写真を斜めから見て「この銀いいですね」と云った細かいディテールが気になる、ギャラリーでやっていることは、作家の一番近くにいて、思わず自分がやりたいと思えることと一致するのです。
 続いて「画廊経営の損益分岐点」に切り込んだ。綾---展覧会の会期中よりも、その後が重要。野村---額を統一したりして経費を抑える。展覧会は一ヶ月で終了するが、作品を預かり直接見せながら、コレクターを開拓し、美術館や企業のメセナのようなものも射程においている。西川---日本の作家を売っていくのは、非常に困難である。インスタレーションのような実験的な表現はコレクションにはむかないが、企画展などで作家を呼び、作品を作り、費用が持ち出しになっても非常に面白く、何か楽しいものが見つかって、採算とは別のギャラリストとしての喜びを感じる。

 この後、参加者からの質問を受ける。「写真表現に女性作家と男性作家の違いがあると感じるか」「1960-70年代の版画を取り巻くの状況と、現在の写真が似ていないか」「写真のエディションとサインの関係」等々。最後の質問については、司会者の専門領域なので、つい熱く返答してしまった。

 ギャラリストそれぞれの来年以降の展望やHow are you PHOTOGRAPHY ?、京都写真展への意見を最後にお聞きし、シンポジウムを締めくくった。過去に何回かレクチャーをされている綾さんのThe Third Gallery Ayaは来年で開廊10年、「How are you PHOTOGRAPHY ?と共にあるような10年であった。関西生まれの関西育ち、やりたいようにやっていきたい。写真の好きな人が集まって活動している京都のこの雰囲気は素晴らしい」とのお言葉を頂いた。

 ここで予定の時間となり、立花常雄さんの説明の後、用意したクリスマス・プレゼントを参加者にくじ引きで渡す。偶然が作用するプレゼント。欲望が強く動かすもの、作品を作る動機もこのあたりにあるのではと、わたしは思っている。三人のギャラリストと、プレゼントを手にされた人の新しい縁。

 参加者それぞれの仕事に、何かのきっかけを与えたシンポジウムとなったのではと、司会進行者は自画自賛。みなさん有難うございます。(ギャラリストそれぞれの発言についての文責は石原輝雄)。 会場をかたづけた後、何人かの参加者とアジアンテイストのZAPPAでビールと食事。有意義な一時だった。
    
   
 パネリストの皆さん、左から立花常雄、西川勲、筆者、綾智佳、野村ヨシノリ氏。
   
   
December 20, 2005

 
通勤のお供で数日楽しんだ田辺聖子の「田辺写真館が見た"昭和"」(文藝春秋 2005)を読了。我が両親も岡山なり、同感する部分多し。手許にある戦前の家族写真を久し振りに見る。

 写真展初日であるが、出掛けられず。夜、明日のシンポジウム(21日(水) 18:00--20:00  ギャラリーマロニエ、5階)準備にとりかかるも、「ビール頭」故、進まず。ウダウダとする。
 テーマは「関西の写真ギャラリーの現在」。わたしはギャラリスト3名(綾智佳(The Third Gallery Aya:大阪) 野村ヨシノリ(Gallery OUT of PLACE:奈良) 西川勲(ギャラリーマロニエ:京都)のお話をお聴きする、司会進行の役をいたします。ご興味おありの方はどうぞ、ご参加願います。尚、参加費は 500円(ワンドリンク付)です。
   
   
December 19, 2005

 
「不在について」の展示作業。
  
昼から有休をとって、第六回京都写真展(ギヤラリーマロニエ25日迄 電話075-221-0117)への作品搬入。希望通りの三階壁面に並べる。題は「不在について」。隣に展示することになった有田恭子さんが、良いタイトルだねと言ってくれた。彼女のクリシュベールのような作品も面白い。ワクワクする搬入の感覚は特別だね。会場の雰囲気、参加者の気迫におされて、こんな作品で良いのだろうかと、心細くなるけど、計画したスタイルで仕上げたので、皆さん観にきて下さい。お待ちしています。21日夜はレクチャー、23日夜はレセプションと続きます。

  
  
December 18, 2005

 
飯沢耕太郎氏の記念講演
 「「荒木世界」の成立」
 同時代ギャラリー

  
  

   
酔っ払って帰宅しているので、報告もあやふやだけど、今日は2時頃から出掛けて、第10回のHow are you, PHOTOGRAPHY?展の各会場を覗いた。丸太町から寺町を下がったルートで、江寿画廊、小林祐史写場、ギャラリーTerra、同時代ギャラリー。最初からなんとも卑猥な中村さんグループ、この世界はにがてだが鈴木沙恵子の「夜明けの夫とカモとコイ」と陰茎から覗くパノラマ鈴木雅也の「私的投影機p.t」が面白い。小林祐史写場の参加者はちょっとパワーが落ちたか、でも立花常雄の「瞳とともに、瞼を与えよ」は、氏の光学的な哲学が現されていて面白かった。同時代に戻って木下憲治さんの「かって私はそこに居た」や、写場に出していた森岡誠さんの「I've loved my aunt/ May be, ----」のイメージが残って畑育奈さんの「私だった」に興味を持った。これは映像的な事ではなくてタイトルとのかかわりだろうけど。
 飯沢耕太郎氏の「荒木世界の成立」と題したレクチャーを3時から同時代ギャラリーでお聴きする。私写真の日本的展開。襖の持つ日本家屋の空間にみられる他者との関わり方を興味深く聴いた。質問の時間に荒木と陽子さんの関係、エネルギーを吸い取る写真家の性をたずねた、いくつもの表情を見せた陽子さんの魅力と共に、その人を失った時の荒木の生き方はすごいと思ったとの事。最愛の人を失った時、ダメになってしまう写真家を沢山見てきたけど、荒木は違って、陽子さんをなくした前後の一年くらいの写真は傑作であると言われた。70年代の友人達が恋人の写真は意図的に撮らないといった風潮があった事に対しては、愛する人と写真とのかかわり方は人、それぞれなので、なにも云えないと言われた。

 この後、ギヤラリー・マロニエにてパーテイ。麻谷宏さんのプロデュースによる空間だけど、靴を脱いだ宴席に紅白の垂れ幕で、なんなとも気持ち良い。剣菱をメインに、焼酎は白波、ビールはキリン大瓶、京野菜各種、祇園石段下いづ重のいなり寿司、三条小橋大野屋の巻き寿司、錦市場の祝い鯛、錦げんちゃんのうなぎ白焼、だし巻き卵、錦小路珍味屋の紅白蒲鉾、神戸屋のサンドイッチ等々。麻谷さんは木箱などがみつからなくて苦労したと云っていたが、演歌もかかり、楽しい一時だった。

PHOTO PARTY 1013×157=10 会場と総監督 麻谷宏氏 
    
 帰りがけに靴を間違われて困っていた方がいらっしゃって、もし、これを読んでいたら連絡してほしいとの依頼なので、電話番号等を掲載する。会場の整理番号99番でUマークのある靴、下側に白いラインが入ってユーバランとか云うそうで、靴のサイズは26cm。左右異なる靴を履いて帰って行かれた。まさか主催者がこれをねらったわけではないのだけど。 心あたりの方は、どうか、この連絡先へ御一報を 090-8206-8207
  

 ちぐはぐな靴

  
December 12, 2005

 
通勤のお供でチャールズ・シミックの『コーネルの箱』(柴田元幸訳、文藝春秋、2003年)を読むが、どうも上手く入れない。あとがきに「コーネルは生涯クリスチャン・サイエンス(信仰によって病気を癒そうとする、いわゆる信仰治療主義の一派)の敬虔な信者でありつづけた」(153頁)とあった。そして、彼の作品世界を評しながら「子供のころ誰もが親しんだ玩具を連想させる一方で、どこか神秘的で、霊的とさえいえる拡がりをもっている。誰にでも真似できそうでいて、その荘厳な郷愁ともいうべき雰囲気は、この芸術家にしかないオーラをたたえている」(153頁)、確かにそうなんだが、挿入された図版をしばらく眺めていたが、シミック散文詩世界と波長が合わなくて、本を閉じた。
   
  
December 11, 2005

 
午前中に名古屋市美術館の図書室で調べもの。鶴舞公園へむかう郡道を自転車で走ったが京都とは、随分印象が違う。名古屋の街中には自転車が似合わない、日曜日のせいだけではないが、街が死んでしまっているようだ。昼頃に戻り名古屋市博物館で「写真家寺西二郎の見た昭和 表現と記録」を観る。昭和30年代から40年代の名古屋の街。この時代には人間が多い。わたしも、そうした内の一人だった。年月が経って美味しくなる写真。チラシに使われている名古屋駅前の風景に金城学院の女生徒達、入場券にはテレビ塔を俯瞰して椙山高校の女性徒達。懐かしいのだよね。作者から博物館へ膨大なネガが寄贈され実現した企画だそうだが、壁に貼られた写真と額装された写真の関係は、こなれていないと思った。見せる為のセンスがないのだね。資料であるけど、作品でもある。そんな事を発言したくなった展示である。

 ワインと寿司、最後に山本屋の味噌煮込みうどんといった昼食を楽しむ。味噌は名古屋人の心に安らぎを与えてくれる。50歳を過ぎた兄弟で馬鹿話しをするのは楽しいものだ。

 京都に戻ってHow are you PHOTOGRAPHY ?展のメモリアルコンサートの最終部分、井上章一さんのジャズピアノを聴く。京都文化博物館別館ホールに置かれたグランドピアノのさりげなさが良いな。さすがに京都だ。名古屋ではこんな調子にはならないな。感謝。
 
  
December 10, 2005

 
3時に京都を出たので、着いたのは5時だったが、名古屋の実家でエビス・ビールを飲みながら、 夕食前に兄のノート・パソコンでウダウダと遊んだ。 新幹線の車中で、稲葉由紀子、稲葉宏爾の「須賀敦子のフランス」を読む。マン・レイを巡る旅へのアプローチの手本と思いつつ、美しい写真とともに楽しんだ。


December 8, 2005

 毎日楽しんでいるデイリー・スムースが、店主のトルコ旅行でお休み、そんな訳で読者であるわたしのペースが乱れている。林さん早く返ってきて下さい。そして旅行の報告を読ませて下さいね。

 銀紙書房新刊については、やっと全セットのカットが終わった。これから孔開け、糸縢り、くるみ製本の表紙カット、表紙接着、カバーと帯のセットと続く。年内の終了が絶望的になった。新刊案内はその後の予定なので、年が変わってしまうぞと、焦っている社主であります。


December 6, 2005

 事務所の窓から西側にある城南宮を見ると、外は寒そうに落ち葉が舞っている。内勤者はお茶を入れて身体を暖めるが、直ぐにトイレに行きたくなる。また、冷えるといった繰り返しで冬は困る。
  
  
December 5, 2005

 RROSE SELAVY
 1947 Broadway N.Y. City
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 VOUS POUR MOI?
 7 x 12cm.



在仏の友人が、ポンピドゥー・センターで開催中(2006年1月9日迄)の
『ダダ展』のカタログを送ってくれた(パリ発11月24日) 電話帖のようなカタログだと事前に聞いていたけど、すごい。重さは量っていないけど、1,000頁を超える28.4 x 21.2 x 4.5cmのサイズ。表紙のデザインはイマイチと思っていたけど中身は楽しい。最初の図版にマン・レイの「コート・スタンド」、最後が「ニュー・ヨーク・ダダ」となっている。アルファベット順に並べられた各項目は重層的で興味がつきない。急いで頁を捲っていても1921年4月とあるデュシャンマン・レイのチェス対戦の記録があって興味ひかれる。『マン・レイの謎、その時間と場所。』を上梓する前に知っていたら、原稿にもっと奥行きが出せたなと思った。このカタログには今回の展覧会自体が明確に入ってきていて、生きている運動体の感覚をつかむ事が出来る。「紹介」の項には、実現させたポンピドゥー・センターでの展示プランが示されている。出品作品や資料等もそれぞれの項目になっていて、一般的なカタログ形式---あの啓蒙的といったやつ---と違っている。そして、とくに嬉しかったのは、写真で紹介する荷札が挟み込まれている事。こうしたものが無償に好きなんだ---きっと、数年の後には、ほとんどがカタログから抜け落ち無くなってしまうもの、その「あやうさ」が、なんとも魅力的である。デュシャンは何時も展覧会会場で不在だ。そして、この度も。
  
  
December 4, 2005

 今朝はセロニアス・モンクからの職人仕事。雨降りなので仕事がはかどった。12時をまわって就寝。
  
  
December 3, 2005

 朝からソニー・クラークスタン・ゲッツを聴きながら銀紙書房の職人仕事を行う。ある美術系大学図書館から『マン・レイの謎、その時間と場所。』の注文をいただいたので、発送手配に郵便局へ、午後からはウトウトしてしまい仮眠。結局、7セットの本文カットをしたところで打ち止め。京都写真月間に合わせてホームページの修正等を行う。
  
  
December 2, 2005

 小椋三嘉さんは、パリの住まいの話で「この地区では珍しく視界が開けていて、大きな窓からは通り二本先のサン・シュルピス教会が見えた。 すると、そのとき教会の鐘の音が華やかに鳴り響き始めたのだ。私の胸は高鳴った」(162頁)こんな記述を読みながら、20年以上前だけどマン・レイのアトリエでこの鐘の音をわたしも聴いたなと思い出し、手許の地図を拡げている。
  
  
December 1, 2005

 昨日の『パリを歩いて』には「サン=ジェルマン・デ・プレ教会の裏手には、喧騒とは無縁のフュルステンベルグという短い通りがある。まるで時間が止まっているかのような雰囲気が漂っているためか、アーテイストたちにも人気の場所だ」(130頁)なんて記述も、これは11月18日にも書いた画廊があった通り、想像がふくらむ。でも、新聞によると欧州はひどい寒波にみまわれているらしい。