マルセル・デュシャンの油彩が2点

manrayist2007-07-28

 14日から始まったフィラデルフィア美術館展「印象派と20世紀の美術」は名品が揃っているとの前評判で新聞社も大がかりに宣伝している。それで、人混みに怯え9時過ぎに美術館へ、幸い予想よりゆったりした会場だった。お目当ては2点のマルセル・デュシャン、「画家の父の肖像」と「チェス・プレイヤーの肖像」。わたしは何時も、ざっと会場を巡り、展覧会の全体構成を把握してから、入口に戻り点検するように画面を観る。その後、先の解説プレートの文言など忘れて、イメージだけを見る。興味が深まれば、喫茶店に入り、再訪するパターン。今日は再入場まではしなかったが、良い作品のパレードだった。
 空の王様、ウジェーヌ・ブータンの「トゥルーヴィルの眺め」は中学生時代を思い出させたし、エドガー・ドガのブロンズに本物のリボンとスカートが使われているのに気付いて面白い。「まあ上手いか、でもな」とこれまで思っていたルノワールの「アリーヌ・シャリゴの肖像」の視線、眼球の光に接して画家の力量にうなった「上手いな」。ピカソの「自画像」、マティスの「青いドレスの女」も上手い、でも、惹かれたのはジョルジュ・ルオーの「薔薇を持つピエロ」。ガラスケースに入れられたデュシャンは、横に掛けられたキュビスム絵画に影響を受けて見にくかった。デャシャンも、その時代の作家だなと思ったが、キャプションに「目に見えるものより、その奥にある精神を描こうとしたデュシャン。生涯を通して消えることのなかった彼のこだわりは、本作以降、更に深まっていくことになる」とあった。でもな「こだわり」って、そんな言い方したら個人の課題にすぎなくなってしまうよな。ジョアン・ミロの「月に吠える犬」のユーモア、ドロテア・タニング「誕生日」の肉体の美しさに見とれた。
 今日はどんなふうに、作品を見たのだろうか、デュシャンを青い色面としてとらえながら、その先には行けなかった。きっとガラス・ケースのせいだ。今日、発見したのは石灰石の素敵なオッパイ。コンスタンティンブランクーシのきらきらと光る彫刻「接吻」の魅力を感じた。やはり、美術品は展示によって変わるのだ。臨時のミュージアム・ショップの売り子達の呼びかけの煩わしさといったらない。作品の余韻をだいなしにしていた。

 山崎書店によった後、林画伯ご推薦のそば処、桝冨(三条白川橋)で鴨せいろそばを頂く、とても美味しい。これから岡崎に出たらここのそばだな、ビールを飲みたいけど、自転車での飲酒運転となるので我慢。ビールを飲まなければ、美味しさが素朴に入る。幸せなことだ。満足してから、ギャラリー16へ。Sさんと世間話。これが大事だ、本質的なことは世間話からしか始まらない。感謝。

 三条京阪のブック・オフ、アスタルテ書房、メディア・ショップを覗く間に、写真を現像に出し、イノダコーヒーに入る。久しぶりに本店の旧館で新聞を読み、いつもの甘いミルクコーヒー(?)アラビアの真珠を注文する。モカ・マタリをベースに普通より強く煎ったこのコーヒーがイノダの定番。クーラーが効いた部屋に光が差し込んでいる。銀紙書房本の刷取りを出して、ちょっと校正。

 京都は暑いが、ここは天国だね。