感動的な色彩

 山口路子さんの『女神』を読了した。一般的な恋愛小説といった印象なのだが、映画を観るように楽しんだ。わたしの関心の為だが、主人公の背後のスクリーンに写し出される写真家の生態や街の様子を丹念に観るやり方となった。作者が使用した小道具のほとんどが判るので、そんな読み方。モデルを頼み、好きになり、写真集を創り、別れた自分史と重なる部分も多かった。そして、マン・レイ、キキ、リー・ミラーといった黒子と語り部たち「追憶のマン・レイ、追憶のパリ」なんて題名の写真展が青山の画廊で開かれた。キキの写真が六枚、わたしにはだいたい想像できる。そして、エリが買った三冊の本。作者はキキが衝立の蔭から手で前を隠して出てくる素敵な写真を知っているだろうか、マン・レイの『肖像集』に載っている、その写真がわたしは好きだ。この本は作者の自伝的小説なんだろうか、パリのカフェで、あるいは軽井沢で、これを書いている女性は幸福だろうな、ミューズである自分を客観的に観る写真家(小説家)の眼を手に入れる訳だからな。終幕におかれたフレーズを引用しておこう。

「モンパルナスの街が、色を変えてゆく。深いブルーから、やがて濃く鮮やかなブルーへと。感動的な色彩というものがあるならこの色以外にない、と思えるほどに、それはあまりにも美しく、両の手を広げて飛び込みたいほどだった」(215頁)

 深夜、残り少ない頁でここを読んだ時、「感動的な色彩」に再び出会いたくなった。パリへ行きたいな、小柄で美しい女達がキールを飲んでいる。