エーデルワイスとミッドランド・スクエア

 京都駅で若い友人と別れ、帰省。マン・レイ・オブジェの基礎調査を行う。作品の状態や限定番号、素材の製造元等の確認。地道な作業の積み重ね、これが大切なんだ。昼前に終わりテレビ塔の辺りを散策。名古屋時代にワンダーフォーゲルをしていた兄に連れられ何度か入ったエーデルワイスに気付き、40年ぶりにドアを押す。昔のままの店内、木彫りの彫像がいくつか置かれ書棚には山の本。お願いしてスナップを何枚か撮る。昭和29年開店(テレビ塔が建った年)のこの店は、当初・コーヒー・テレビと云ったそうで、店内に設置したテレビに鈴なりの人だかりで繁盛し、昭和34年(伊勢湾台風の年)に鉄筋のビルに建替えて今日に至ったとの事、内装はほとんど変わっていないと横位置リックを背負って山歩きをしていたと云う店主が教えくれた。小倉トーストを注文したかったが昔風のピラフで簡単な腹ごしらえ、焦げたコーヒを飲みみながら、時間について考えた。
 愛知芸術センターのライブラリーで、アトリエ・タリカ資料を閲覧。ヒルゼンベックの「DADA ALMANACH」(1920年刊)やブラック・サン・プレス版の「シュルレアリスム」等を出してもらう。一回の請求で6冊、三回お願いして、全18資料となった。古い書物のいいようのない香りが鼻につんと来る。気持ちが良いんだよね。タリカはサントノーレにあった画廊でマン・レイの油彩を扱ったりしているので、親近感があるんだ。シュワルツのダダ展カタログ等も楽しむ。ライブラリーは現在も美術資料を積極的に収集しているようでリプリント版だが、ブルトンが序文を書いたピカビアの個展カタログ(1922/1996)やキャバレー・ボルテール誌も閲覧、ネットで資料を探すときに、イメージがわいて助かるんだよね。ところで、資料のデーター・ベースにはリプリント版の表示が無かったように思う、裏面や欄外に小さく印字された再版元の記述。オリジナルが大好きな者にとっては、この先を知りたいな。
 地下鉄を上前津まで移動して古書店へ。海星堂書店南店でペギー・グッゲンハイムの自伝「20世紀の芸術と生きる」(みすず書房 1994年)、三松堂書店で「フォト・ミニュアチール」誌を購入。先の本は高価(8240円)な為に買いそびれていたもので、状態が良いのに2800円だったから助かった。ついで求めた写真のハウツー本は1917年にニュー・ヨークで刊行されたシリーズ本のひとつ、マン・レイが写真の勉強をした技術書はこうしたものかもしれない。

 6時を過ぎたので、荒畑まで出てから郡道をぶらぶら、途中の古書店にも寄ってから兄姉と合流。今日は母親が帰宅できなかったので、三人で外食、地下鉄はセンター試験が終わった高校生であふれている、愛知県は制服が残っているな、26分乗って名古屋駅へ、ミッドランド・スクエア41階へ上がる。冬の空気は凛と澄み渡って綺麗な夜景。ブルー・エッヅでカクテルを飲みながら世間話をいろいろ。ハッピー・バースディーの弾き語り、カウンターで花束を受け取る若い女性。つられて拍手をした。店内の壁面を水が流れ落ち、夜の灯りに反射している。その後、四階に降り紗羅餐(さらざん)で蕎麦を食す。天麩羅は今ひとつ(背わたが残っているのか生臭い)だが、二八のざる蕎麦は美味しかった。山葵を擂ったので香りもいける、本吟醸もよろしい。最後のそば湯が濃すぎたので不満を感じた、名古屋風なのかな。兄が頼んだ桜海老の掻き揚げは、いけたので、次回はそちらにしよう。地下鉄で戻り、自宅近くのコンビニでつまみを仕入れ、ビールを幾杯か。二時頃お開きとなった。