冊子「シリーズ80年代考」

 ギヤラリー16の「シリーズ80年代考」を読了した。150頁程の小冊子だが中身は濃い。同画廊で今月開催された中原浩大と福嶋敬恭の展覧会を通して、あの時代を考え発言している。注記もふくめ神経のいきとどいた構成だが、わたしには中原の「松の絵ではないことに端を発する返礼」が特に面白い。「ここでいうPine Treeとは能舞台等の背後の壁面(鏡板)に描かれた松のことです。しかし、能舞台の松を主題にした作品でもありません。タイトルはPine Tree Insatllationであって、Pine Treeではありません。Pine Tree Insatllationとは、描かれたものであるにもかかわらず、実物の松の木が生えているかのように扱われるという存在の仕方、あるいは存在のさせ方の比喩です」なるほどな。
 当時、Rギャラリーでの「INSIDE-OUTSIDE 絵画と現実空間の活性化へ」に参加したりした、この冊子が懐かしい画廊の名前をいくつか、思い出させてくれた。でも、その時、わたしはどうしていたのだろう、70年代後半からひきづっていたものがあって、世代としてズレている感じが強かったな。小コレクターには買いにくい大サイズの作品が多かったのも一因だろうか、よく判らない。共有できるものがなかったのだろうか。その場には居たので、記憶をたどるのは有意義だ。

 坂上さんのこんな発言「だからあのアトム、アトムを見ながら描いているわけじゃなくて、記憶の中からこんな感じだったかなって」---中原が応えて「そうそう、何も見ないで頭の中にあるもの描いている」

 坂上さんの編集された本書を読みながら、いろいろと考えた。わたしの80年代を思い出せばマン・レイに熱中していった時期にあたるな。自己の確認を必要とした70年代とは、違っていたのだろう。

 今回の仕事を最後に、東京へ移られる坂上しのぶさんの、益々の活躍を期待する。彼女が作ったいくつかの冊子は、本来なら美術館の学芸員が長い準備期間をかけた基礎調査から積み上げていく性質のものだし、情熱的な編集者でなければ成し得ないものだろう。孤軍奮闘のギヤラリストに、連帯の挨拶をおくりたい。有難う。そして、又、お会いしましょう。