クーリエ書体を変更せねば

暑い一日。9時に堺町通り三条のイノダコーヒー本店でネイティブのD氏とお会いする。氏は30年程前によくこの店を利用していたそうで、当時の思い出や文化人類学的な日本人の見方、サッチャーを嫌って本国を後にした事などを旧館でうかがいながら、1年間準備してきた「マン・レイ展のエフェメラ」の説明に入る。英語の判らないわたしは、資料表記のイロハからタイポグラフィーの事柄(モニターの書体と印字書体の違い)まで、貴重なアドバイスを沢山いただいた。深謝。刊行の目処がたってきたが、直すべき箇所は多い。力仕事が続くな。クリヤーでグレードの高い、氏の英訳を期待しよう。

 昼過ぎまで打ち合わせをした後、次の約束がある氏と別れ、街をブラブラ、俵屋など祇園祭の装いになっている。晦庵河道屋で昼食をとり、府立資料館まで移動。大正14年昭和4年、11年の市内1/3000の地図を閲覧・複写。戦後の詩誌の必要な号も調べ、詩人の住所も確認、合わせて昭和33年の住宅地図も閲覧。資料館を出たのは4時過ぎだったが萩書房、恵文社と覗く。しかし、暑くてフラフラ。白川通り、今出川古書店を巡るコースをあきらめ、帰り道にあたる、詩人旧宅を二カ所確認し帰宅。風呂に入って冷たいビールをグビグビ。疲れてしまった。

 D氏にファイルを送らねば。