ギャラリーテラ「家の記憶」と家垣鹿之助

期待して京都国立近代美術館で始まった「京都学 前衛都市 モダニズムの京都展 1895-1930」を観に出掛けた。岡崎の地で開かれた「第四回内国勧業博覧会」を起点として構成される展覧会。琵琶湖疎水工事を含めた岡崎の明治後半から昭和にかけての雰囲気が判るかと楽しみだったのだが、期待はずれだった。時代背景から推測すれば当然だが、国家がチラついて、わたしには抵抗感が強い展示となっている。工事の様子や建物の図面、輪郭が全面に出て、そこに居たであろう人が不在なのだ。美術館のコレクションを中心とした展示のためなのか、どうも、今ひとつなんだよね。産業の発展からモダニズムを繋げるのには無理があるかな。インターナシュナル建築やマキノ映画への展開でもしかり。京都府立図書館の1909年の様子を知ったのは。有り難かったが、会場では陰画、カタログでの確認とった訳で、釈然としないな。でも、コレクションギャラリーでの関連展示は見応えがあった。川端彌之助「京都駅」(1929年)、伊藤久三郎「皮膚」(1934年)「失題(蝙蝠傘)」(1937年)を知ったのは有り難いし、東松照明の「京まんだら」シリーズもよかった。おどろおどろした妖怪の住む町だな、化粧や仮面に本性を隠し、振り向いた一瞬に現れている魔性、怨念のようなものが蠢いているな。東松さんとこの地で何度がお会いした時に撮っておられたシリーズだったなと、合点がいった。関連企画をひきたたせるために、「モダニズムの京都展」が準備されたと云うのは、言い過ぎか。

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 さて、水明洞、中井書房、三月書房と回って、寺町を下がっていてギャラリーテラでの展覧会「家の記憶」を思い出した(京都写真クラブの森岡パパがメール配信されていた)、とりあえずと二階に上がっビックリ。昭和モダニズムの写真が展示されているではないか。キャラリーテラの前進は70年前、写真館だったという。そして、家主の家垣鹿之助氏はライカをものするアマチア写真家として知られた人。むかし、わたしの所に送られてきたニューヨークのフォーク・フリードマン画廊(マン・レイのビンテージ写真も扱っている)の展覧会案内状があるのだから驚いた。まさか、こんな身近に家垣氏がいたとは、不思議な出会いだ。それで、画廊オーナーの小林亜里さんに、驚きを伝え、お話をお聞きした。そして、貴重な写真や資料を拝見させていただく、有り難い。家垣鹿之助や小寺不二夫の事を古い写真雑誌で確認しなければ、戦前京都の詩人達に関する銀紙書房の次の本は、ギャラリーテラを終着点とする事になるのかな。



テラ10周年記念企画展「家の記憶」
会期: 2009年6月9日--6月21日 11:00-18:00 月曜休
会場: ギャラリーテラ
京都市中京区寺町二条下ル榎木町98-7
電話 075-257-1755

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イノダコーヒのガーデン席で一服しながら、大正・昭和のモダニズムについて考えている。国立の美術館で準備されても良いような展覧会が、街中で静かに始まっている。モダンボーイの銀行家、ライカの使い手か、そして、この展示をしたいと思った小林亜里さんの事、彼女は展覧会の案内状に、
このたび、この家が生まれてから「テラ」と呼ばれるようになるまでの物語を紡いでみたいと思います。70年前、ここは写真館でした。この家を建てた方、写真館を営まれた方、写真を撮られた方、ここで暮らした方、そうしたゆかりの方々の写真を集め、お話を伺い、同じ空間に蘇らせる写真展を開催します。これは、この家に惚れ込み、ここでギャラリーを営むようになった私の「家へのオマージュ」です。
と書いている。