「第七章 ダダの揺籃---マルセル・デュシャンとマン・レイ」

朝晩の通勤電車内と昼休みの20分程がわたしの読書タイム。細切れになってしまうので、エッセイ風のものを読む事が多いが、ここ数日は比較文化論に裏付けされた田野勲先生の「祝祭都市ニューヨーク---1910年代アメリカ文化論」(彩流社 2009年刊)を楽しんでいる。帰りの車中で「第七章 ダダの揺籃---マルセル・デュシャンマン・レイ」(201頁から)に入ったので、下車してもやめられなくて、阪急西院駅のベンチに座り、シャーペンで印を付けながら頁を捲る。「リッジフィールド・カズーク」の背後を著者の指摘で読み進む。氏は表紙を解説されて
ピカソの存在は絶対的なもので、その影響は宇宙的と言っていいくらいに普遍的なものであった。マン・レイも例外ではなく、ビカソの影響を受けて「戦争」や「マドンナ」などの作品を制作してきたのである。だだここで注意すべきは「ピカソのサル学」がape-ologies to PIcASSo」と表記されていることで、このアイロニカルで批判的な表記の背後には、ピカソからの影響を振り払って自分の独自性を発揮したいというマン・レイの意志が秘められているものと思われる」
と指摘されている。関連事項への目配せがきいて、するどく面白い本だ。何本かの列車が出発していった2009年の京都で1915年のニューヨークに思いをはせるのは、時代への考査が普遍的であることの証なんだろうな。

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 帰宅すると京都写真クラブから総会の案内が届いていた。今年は7月5日(日)16:00--17:00 その後、懇親会が17:00--19:00の予定で開催される。会場は洛遊クラブ(京都市中京区寺町夷川下がる東側 路地の奥)。
「新会員の方、これから会員になろうという方、とりあえず見てみようと思う方々もお誘い合わせの上お越し下さい」
と代表の森岡誠は呼びかけている。