心斎橋から梅田、古書のまちをブラブラ


仕事で午後から大阪へ。フリーになってから古書店めぐりをと計画したが、画廊主にも若い友人にも振られまっすぐに帰宅。心斎橋--ここはホームの雰囲気がモダンでちょっとよろしい---から御堂筋線へ。しかし、ちょっと寄り道(治りません)し、梅田で阪急古書のまちをブラブラ。すると戦前の写真関係資料が大量に積み上げられているので、驚き熱心にチェック---書名をあげないがしばらく前なら買い込んでいただろうな。弊宅の事情が悪化し、もう書物を購入することが出来ない。蔵書の処分作業を休日毎に続ける身では、あらたに買うなんて恐ろしいと、悩まされる日々が続く。
 京都までの車内で飯島耕一の「シュルレアリスムという伝説」(みすず書房、1992年)を読む。読書体験の拡がりが精神の航海のようで興味深い。「エリュアールという純粋な詩人を駄目にしてしまったのはこの良心のくびきだった。マルクス主義という「良心」は二十世紀の詩人をもまた苦しめ、ある場合は殺してしまったのである」(68頁) 「戦後のブルトンの周辺、シュルレアリスムの周辺には、一人のラカンも、一人のアルチュセールも、一人のフーコーも生まれなかったことは認めておかなくてはならない」(99頁)  飯島耕一については、マン・レイ写真集の訳者という視点から、これまで誤った人柄、思想を見てしまっていた。氏の書いたものを注意深く再読しなくてはと思う。