躍動する魂のきらめき「日本の表現主義展」名古屋市美術館


名古屋の伏見通りは暑い、まだ、夏が続くな---白川公園に入り名古屋市美術館で25日から始まった「躍動する魂のきらめき「日本の表現主義展」」を観る(10月12日まで)。http://www.art-museum.city.nagoya.jp/tenrankai/2009/hyogen_shugi/  このところの関心領域とドンピシャなので期待して会場に、正面に飾られた満谷国四郎の「杏花」(1920年)から良いね。名前の知られた大正デカダンの夭逝した作家など、興味深く面白いが、わたしには未知の作家である河野通勢の「風景」(1916年)が楽しいし、京都の星野画廊所蔵になる津田青楓の「風景」(1911年)も画面をひっかいた手業の若さが後に続く下郷羊雄を連想させるし、実家に小品を持つ榊原始更の「甲斐庄観楠音像」も気に入った。個別に取り上げると切りがない---二階に展示された萬鉄五郎のフォーヴ以前の一連の作品には再認識させられた。今展には文献資料も多く、エフェメラ好きにはこたえられないラインナップ、特に斎藤佳三による「デア・シュトゥルム木版画展覧会」(1914年)の入場券と目録にはシビレタ---実際の交流がなくては入手不可、一般のコレクター・アプローチではダメだなと見入ってしまう。もっとも、期待していた写真のセクションは、先週、野島康三を観た目にはコロタイプも含め写真印画の魅力に不満を感じる結果となった。展覧会の構成は、わたしのような偏ったファンには面白いと思うが、一般の美術ファンにはどう映っているのだろう。観客がまばらで会場は静か、観る側には有り難いが運営は大変だろうなと心配させられる様子。多くの学芸員達は1910年代、20年代、30年代といった年代からのアプローチから、都市を絡めた目線へ、そして、最近は個別イズムの深掘りに移行している。専門的になりすぎて、時代の雰囲気がかえって伝わりにくくなっているのではなかろうか、美術展での訴求力は常に作品の魅力による訳だがらね。

 その後、市内の古書店を回るが、本山のシマウマ書房が夏期休暇でガッカリ。絵葉書を捜そうと思った鶴舞の亜希書房も16日で店舗を撤収され、今後は目録とインターネットにシフトとの張り紙。暑い街を歩き回わっても、成果を得られなかった。疲れた分、夜のビールが美味いから良いか。---桜山のわびすけで鶏を堪能、コラーゲンスープなど肌によさそうだ。