バタヤンを偲ぶ会


本年2月に古くからの友人が病気で亡くなった。川端祥治。仲間たちは親しみを込めて「バタヤン」と呼んだ。とても愛らしいニャンコのデッサンを得意とし、中国骨董のスペシャリストとして活躍した。わたしが最後に会ったのは、アートサロン山本で開かれた「中国古陶磁展示即売会」の折だったから、1年半ほど前か「また、ビールを飲みましょう」と云って別れたのだけど、今宵、写真の「バタヤン」と飲む事となってしまった。古本、骨董、画廊関係者の他40-50人が集まり、その中に美しい女性が多くて、改めて「バタヤン」はもてたなと思った。大阪や神戸に案内され、いろんな人と知り合えたのもバタヤンのおかげだった。いつも、ビールを飲んでいたな。思い出すことは辛いけど、生きる力を与えられる気分だ。悲しい集まりの夜だったけど、懐かしい顔のいくつもと再開出来て有意義だった。ーー有難う。
 記念に配られたリーフレットから「バタヤン」の言葉の一部を引く、「ニャンコ族の華麗にして神秘的な美しさは驚きで、猫以外の物でも驚きは美しく偉大なもので、日常のこの生きている時空間での出来事は、すべて驚きにおいて進行し、または後退していくのです。驚きは現在形で、驚きはいつも発見において自己の魂の起爆剤になりえる。」

春巻きに、ビールは「バタヤン」の定番だったな。



「バタヤン」が病床で聴きたがった山本夫人の「蘇州夜曲」がなんとも心に響く、