親友記


本を読んで久しぶりに泣いた。それも近鉄電車名阪特急の車内、緑豊かな青山峠を抜け名古屋線に入った辺り、津駅に近づいていた。

「未決監は三畳ほどの独房で、ぼくは二階に入れられた。すぐ下の房には岬絃三がはいっていたらしい。房のすみに水道の配管のようなものが階下につうじていて、夜なか、そのパイプを叩くと下から叩き返す音が聞こえた」
 そのとき、亜騎は目を閉じた。『青騎兵』以来の詩友はそんなかたちでも結ばれていた。(241頁)

竹中郁への関心から興味を持った足立巻一だが、神戸詩人事件をもう少し知りたいと、先日、古本ソムリエ氏の店で求めた一冊「親友記」新潮社1984年2月刊。貧しい少年たちが、楽しみで続けた同人誌、「自由に詩が書きたい、ただそれだけだった」少年たちの思いが、大戦前の時代状況によってねじ曲げられてしまう。親友たちが次第にページから退場していくと、じわじわ涙がとまらなくなった。引用された詩のなかでも亜騎保は別格かと思うが、それを綴る足立の語り口が素晴らしい。読み手のわたしも年をとり弱気になっているのか、また、重なる部分が多いのか、まいったな。戦前京都の詩人たちに言及するこんな書物があると、泣いてしまうけど、あるのかな。

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 さて、近鉄電車に乗っていたのは、三重県立美術館で開催されている「橋本平八と北園克衛展」を拝見するため。ジョン・ソルト氏所蔵の資料が多数展示されると先日詩人のS氏から聞いていたので、気になってしかたがなかった訳。未見資料が多くて圧倒されたが、先程、読んでいた詩人達との差異が目立って、感情が入らなかった。展覧会については、改めて書きたい。