写真集的表現

日本の写真家の中心的表現形式は写真集かと思う。世界的に成功したのも、体質や社会に合致したのも写真集だと思う。頁を捲る身体的動作と、連続して現れる映像の連なりが物語性をともない、指先から伝わる物質性が、視覚を超えて直接的に肉体化を誘う。印刷し数百、数千の部数で市中へ流布されていくイメージ、造本や印刷の網点・インクの濃度によって現前する物質性。ここでは、インクジェット・プリントをファイルに入れた写真集的表現について考査したい。大げさだけどね。
 実は、古い友人が上洛し、イノダコーヒ本店のガーデン席で新作写真群を拝見した。それはA4サイズに出力された写真がファイルに入れられ、書物の形で示されたもの。単体シートと異なるイメージの連続、その物語性、リズムに驚いた。映像の言語があるように写真集の言語もあるのだと実感。対象となった知的で美しい女性が、寄せる波のように右側へ動き、しばらくすると左側へ返されていく。動作や角度が頁の進行に合わせ、リズムとなって視覚の動きを誘発させる。最後には飛び出してわたしの側に迫ってくるのだ。
 涼しい季節の8時前のテーブルで、アラビアの真珠を飲み終え、写真集となったファイル・ノートをつくづく眺める。友人の作品は荒木経惟と比較しても遜色なく、金子隆一の写真集コレクションに合流しても納得される一品であると思う。印刷し複数制作される写真集ではなく、個人的にファイルに入れ、写真集的頁言語で示す、モデル女性と作者との距離、作品に込めた作者の思いを、ひさしぶりに堪能させていただいた、有難う。

 いつもは、イノダコーヒ本店の情景を写真に撮るのだが、友人の写真に圧倒されて忘れてしまった。閉店間際の店内は次第に人の姿が消え、明かりだけが空間を照らしている。街中の不思議な寂しさに、ぐっとくる気分。近くの居酒屋で一杯やってから、烏丸通りを南へブラブラ、その辺りでやっと写真を撮った。


烏丸通蛸薬師辺り