今年の京都写真展作品『対談 ENTRETIENS』の基本コンセプトは、「写真展に写真を出さない」と云った気分かと思う。展覧会を冷ややかに観ている訳ではない、先輩諸氏の力作に圧倒されながら、わたしの出来ること、身の丈にあった仕事を模索した結果なのである。「写真力」は時と場所と光を捉えた視点の身体反応を、まったく異なった空間に運ぶ器の用意に役立つ。その器の一つが印画紙である訳だが、暗室の仕事からずいぶん遠ざかってしまったわたしは、印画紙への置き換えをせずに、「視点の身体反応」をとどめる方法はないのかと考えた。残像は電気信号で脳内に格納され、平面的でありながら、立体化し、時間につられて変形していくもの。印画紙などの平面から立ち上がるにしても、印画紙である必然はない。印画紙的に観てしまう習慣があるにすぎないと言えるのではないか。それを示す方法が、画廊の白い壁面に具体物を並べて展示する事。京都写真展の諸作品、印画紙を介して具体性を想起させてきた観客は、わたしの作品を、印画紙のように処理して脳内に格納するのではないだろうか。手業が残った道具立や、トリックではなく、ありふれた品物どうしの関連性を読む作業は、きっと面白いだろうと思う。
作品搬入の日に、京都写真クラブの森岡誠氏が、このあたりのコンセプトをズバリと指摘されたので嬉しかった。やはり、判る人には判るのだな。
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ありふれた品物には、物語が必要である。マロニエ画廊に展示した品物の「時と場所と光」について補足することは有意義だと思う。このブログでこれから五日間(21日-25日)にわたって紹介しますので、お楽しみに。
[フィレンツェ書店の書留小包]
世界中の古書店が参加するサイト「AbeBooks」で注文したマン・レイの展覧会カタログが入っていた書籍小包。消印は2007年5月31日、差出人はフィレンツェのフィレンツェ書店。到着した日の事柄はこのブログに書いているが、荷造りに使われたテープの印刷された青い色彩はやはり美しい。イタリアの青い空を連想させる品物で、自室天井近くの壁面に、開封した日から掛けて楽しんでいる不思議の詰まった現代美術(?)の一品。飛行機に乗せられて日本まで送られて来た、時間と距離がわたしにとっては有り難い。