頌春
本ブログご訪問の皆様、旧年中はお世話になりました。本年も宜しくお願いいたします。
八木(南)家住宅 長屋門 京都市指定登録文化財 正月しめ縄飾り。 壬生寺の南側
大晦日の紅白で氷川きよしの「虹色のバイヨン」に笑った。ハーレムの蛇踊りクネクネは良かった。笑わないと新しい年を迎えられないと思うほど、世相の暗い一年だった。そして、一眠り、新年の新聞を取って玄関を開けたら年賀葉書配達の職員がバイクで眼の前、「おめでとうございます。ごくろうさま」と気分良い年の初めの挨拶となった。何故か「赤い単車」と出会うと良いことがあると云うジンクス---
氏神様に初詣の後、おせちをいただく。今年の選択は、たん熊北店の二段重ね、冷酒に佐々木酒造の聚楽菊。家族全員が揃っての新年である。
元祇園梛ノ宮の御神酒
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自宅で聚楽菊とたん熊北店のおせちなど
昨年は演出家でテレビのディレクターだった中西武夫基礎調査から繋がる「戦前京都の詩人たち」の原稿執筆に全力を注いだ年だった。年末に原稿(3章7節)を書き終え、今は校正の段階。銀紙書房から、おおよそ240頁の単行本として、4月頃には上梓したいと計画している。今回も手作り75部限定版なので、全冊が揃うのは、どのタイミングとなるか、修行僧の責め苦がまっている。どうぞ、ご期待下さい(すでに、幾人の方からご予約を頂いた)。
さて、コレクターとしては昨年もマン・レイばかりの年だった。今年もマン・レイばかりを突き進む年になるだろうな、そうしたい。ささやかなサラリー・マン・コレクターの収集は、1年で目立った変化を求めるには不向きであっても、○○年と続ければ、それなりに注目された構成になるだろうと思う。昨年の収集はカタログ(1936,1976,2009,2010)、ポスター(1966,1968,1969,1991,2010)、絵葉書(1963)、案内状(1972,1974,1981)、単行本(1941,2006,2010)、雑誌(1973,2010)、それに、マン・レイの肉筆メッセージが書かれた紙片(1969)などだった。
毎年、収集対象年度から遠ざかり、さらに、続ける事によって重複が増え、より周辺へと領域が拡大する困難の中で、資金の制約もあって、美術品以外の「ゴミ」に等しい物品を世界中で探す。この行為は「狂っている」と思う以外にないけれど、ここにしかわたしは、居られないのだ。これは、生前のマン・レイが世の中の人達に認められなかった屈辱、作者の孤独と悲しみに共感してしまった者の使命。
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昨日出掛けた高島屋のお使いは、下の写真で紹介する「迎春生菓子予約」、市内の老舗和菓子処の名品を一品単位で選び、大晦日の1時30分から4時の間に取りに行く訳(わたしなど、外出できるので嬉しいのよ)。写真の2点の他は二條若狭屋の卯の春(練切・こしあん)、初夢(上用・こしあん)、亀屋良長の水仙(外郎・白あん)などを頼んだ。3時のお茶の時間も楽しいものだった。
長久堂 門の春(きんとん・粒あん) 撮影:T
長久堂 花うさぎ(上用・こしあん) 撮影:K