「校正」はどこまでも

この土・日、近くのスーパーへ使いに出た以外は自宅でカンヅメ。思った以上に校正作業を手間取ってしまっている。執筆時にきちんと引用や注記を残し、校正もしておいたら良かったと反省するのだが、あとの祭り。今回の「戦前京都の詩人たち」は、先へ、先へと進みたくて推敲もほどほどに次章を始めてばかりいた──馬鹿だと思うがしかたがない。「ぼちぼちやるか」と疲れた眼をショボショボさせる訳だが、どうしても原稿に手を入れたくなる。機械的な作業でやらなくちゃ、それにしても旧漢字にはまいるな、注記は著者の良心だから、疎かには出来ないし。