マン・レイ油彩 2点 at 国立新美術館

東日本大震災があってから気分が重い。新聞やテレビの報道からすると余震が続き放射能漏れの恐怖も収束する感じがないまま、日が過ぎている。それでも、マン・レイの油彩2点がやって来ているポンピドゥセンター・コレクションによる「シュルレアリスム」展には上京しなければと、早朝の京都駅に出た。のぞみ210号の入線を待っていると、旧知の学芸員氏と会ってびっくり、「シュルレアリスム」展ならばこその偶然で、嬉しくなった。「三條廣道辺り」の校正をしつつ品川まで、珈琲を飲みながらの2時間14分だからあっと云う間。品川駅で降りると構内の照明は6割ぐらいで、原宿に出て東京メトロに乗り換えても暗い、エスカレーターにはロープが張られているので、階段を使う。乃木坂などでは距離も長く、もくもくと歩く。地上に出ても雨模様で、ホバリング自衛隊機が降りてくるのを見上げて国立新美術館に入る。美術展だけど気合いが入らない。

今回の「シュルレアリスム展」は2月9日から始まり5月9日(途中、震災の影響で閉館した関係もあるのか、会期を5月15日まで延長している)までの会期で東京のみでの開催と聞いた。巴里のポンピドゥーセンター所蔵作品約170点の展示なので期待が持てる。展示の様子や印象を報告するのがよいのだが、簡単なスケッチにとどめたい---マン・レイの油彩の招来品は「サン=ジャン=ド=リュズの夜」と「森の中の工場」。前作は戦前の「巴里・東京新興美術展覧会」(1933)、戦後・横浜で開かれた「マン・レイ展」(1991)に次ぐ三度目の来日である。マン・レイの暗く澱んだ碧が心にジンと来るな、この絵を観るために今回、上京した訳だし、近刊予定の「三條廣道辺り」でも、言及している。だから、どうしても観たいのよ。また、写真群も良かった(「数学的オブジェ」のNo.63などは知らない作品だった)けど、小さなプリントが印画紙ではなくて、フイルム・ベースのモダン作品ではないのかと思って、ちょっと琴線に触れてこなかった。イメージの表面に時間が欠落している感じなんだ。担当者に支持体について聞きたかったのだが、わたしの目が記憶すれば良いことだと思い、つよく面会を求めなかった。
 資料好きにたまらないのは、シュルレアリスム画廊でのマン・レイ展を知らせる赤いビラや名古屋・丸善での海外超現実主義の出品目録などで、恋い焦がれた。名古屋の一群は山中散生か下郷羊雄が巴里に送った現物だろうか(状態の良い、山本悍右の詩誌「夜の噴水」の1・2号が展示されている)。先のものは二度ほどオークションで見かけたけど落札は成功しなかった、後のもの(丸善)の売り物には出会ったことがないな。巴里のマーケットでは紙モノに値が付くけど、日本ではゴミ扱いだからな。


左---サン=ジャン=ド=リュズの夜」右---「森の中の工場」
地階の売店と三階の資料室に寄ってみたが、どうもよろしくない。カタログを膝に置いて作品を検証し、会場に入り直す。油彩の展示状態、額縁の様式などを写真に撮りたいのだが、許される訳もなく、諦めて表参道に移動する。しばらく日月堂で世間話、ジャン・コクトーの珍しい詩集を拝見するが、ちょっと手が出ない---この本も「三條廣道辺り」に関係する原資料なんだけど、原稿執筆が終わってしまったからな---

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日月堂 店内
半蔵門線で神保町に出て、古書会館へ、「ぐろりや会」を覗いた後、注文していた銀紙書房本を受け取りにボヘミアンギルドへ。お世話になったS氏の死去にともない、蔵書が市場に流れたのを、先日、日本の古本屋で知った。刊行者の元には限定番号一番しか残らない銀紙書房なので、古い刊行本を確保しなければと思った訳。さすがに愛書家のS氏、状態の良い幾冊かとの再開だった。本当は市場に返して新しい読者の元に届けるのが良いのだが、買い求めたのは、特別の愛着のあるものだし、これらを手にした時の、感想をいろいろと聞いていたので、手許に置きたくなった。時代が変わって行くのだな、蔵書の運命に複雑な感情を持った。


ボヘミアンギルドの帳場、「封印された指先」、その他には「我が愛しのマン・レイ」(特装版)、「documents one day exhibition of cafe man ray」などを求めた
田村書店で友人と待ち合わせ、ご主人と世間話をいろいろ、帰りがけに「書窓17号」(1936)を発見する。この雑誌は午前中に美術館で展示されていた一冊、ながらく探していたけど、古書価の高いもので、ふんぎりがつかなかった、しかし、手許の一冊には廉価な数字が鉛筆で書き込んである(旧蔵者を存じ上げているので、それも嬉しい)。喜んで頂戴した。「三條廣道辺り」に書影を載せたくなった。

田村書店の帳場「書窓 17号」

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 東京駅近くの焼き鳥屋で友人と一杯。前回、痛飲した時は、街のネオンが美しく、ロマンチックな情景だった。街灯の消えた街は暗く沈んで、一日歩いた東京の印象などを伝える、京都住まいには実感が薄いが、人間が疲弊し立ち直るのが、絶望的な日本経済であるだろう。このような時、これまで通りのペースで資料を集めたり、本の刊行を準備したりするのに、どのような意味があるのだろう、しかし、唯一人で続ける行為、マン・レイに狂って生きて行くことは、こうした事だろう。バブルの時代でも、マイペースでやってきた訳だから----

中年男二人が窓側の席から日本橋口を眺めるのだけど、鮎正宗(新潟) 聖泉(千葉) 袖美人山廃(茨城)などを飲んだ

東海道新幹線のホームも暗かった