京都の午後に--古本と珈琲と紙物

午前中は部屋の片付け、机の下にもぐって30年間で溜まった資料整理、展覧会の案内状や葉書(湿気でシミが入ってしまった)などを読み返し、ブログへアップしようかと思いつつ3時間程で35リットルのゴミ袋が一杯---疲れました。午後はdaily-sumusで紹介されている「メリーゴーランド京都の小さな古本市」(10月9日-10日)に参戦。4回目となる恒例行事との事で参加店舗も充実している。初日に突撃すればよいのだが架蔵本を仕分けし身軽にならねばならない者としては、購入のハードルは高い(これからは、読んで直ぐに手放すスタイルに変えなくては)、会場では参加者の個性がそれぞれの箱に充ち満ちて興味深い、それにしても、若い女性が多いな。



ふるほんや俊(谷川俊太郎)の箱はカウンターの横

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四条富小路ジュンク堂で新刊書を確認した後、イノダコーヒ本店で久しぶりにアラビアの真珠を楽しむ。鞄から取り出したのは柏倉康夫の『アンリ・カルティエ=ブレッソン伝』(青土社、2007年12月刊、1900円(税別))。最近は芸術や哲学や絵画についての難しい考察や青臭い理論よりも、生きた人間の環境や人生を平明に伝える評伝に読書の軸足が移ったようである。柏倉先生の一連の仕事は楽しく興味深い、飽きさせないのよね。それでブレッソンに関する本書なんだけど---

広げて写真を撮った25頁には「--宗教にだけは無関心だった。彼は幼いときからすべてを疑う性癖が目立ち、神が人間をつくったのではなく、人間が神をつくったのだと信じていた。」と書かれているし、カメラを構える少年時代のブレッソンを紹介する写真の下段には「絵画といい映画といい展覧会といい、アンリにとっては目からの情報がいかに重要視されていたかがわかる。そしてそれは意識してのことではなく、おそらくは本能的な、生来のものだたのであろう。」(31頁)、画家を志しシュルレアリスムにも関係した写真家の評伝は、わたしにとって憧れの謎解きのようであるが、引用をもう一つ---「カルティエ=ブレッソンにとって、シュルレアリスム運動が主張しているのは、哲学のシステムや政治的信条ではなく、人生を生きるにあたって必要な、既成概念を拒否する姿勢そのものであるように思えた。彼はこの信条に忠実に生きようと決心した。」(50頁)

ガーデン席の気持ち良い時間、噴水の水音が隣席の会話を消してくれる。

そして、エピローグには氏が1999年にされた取材の経過が報告されている。「パリのマグナム・フォトの資料室。ここにはカルティエ=ブレッソンが撮った七千枚をこえるコンタクト・プリント(べた焼き)が保存されているが、これは写真家の創作の秘密ということで撮影は許可されなかった。」(234-235頁)、また、1時間にわたったインタビューのメモでは写真家が「私はアナーキストです。それが秘密なのです。---<略>--- アナーキーと自由のちがいは、自由は精神的立場で、アナーキーは行動だということです。」(242頁)とあった。これを読んで写真が撮りたくなった。わたしにも、わたしのやり方があるはずだ。(10/15日追記)

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リフレッシュしたところで三條道りを西に歩き、先日、看板で見付けた古書店「Book Fabulous」(プラザコラムビル4階)を覗く。開店して1年程との事で棚を見ると音楽と写真にも関心を持つ店主だろうか、飲み物も提供するようだ。階下に降りるとき2階に西洋骨董店(ル・パッサージュ・ドゥ・アンサンブル)があるのに気付き、吸い込まれた。入り口左脇の棚に仏蘭西の紙ものがつまている。独特の「ブルー」に再会した気分で嬉しくなった。店番をされていた「はま太郎」さんに聞くと数人で空間をシェアしているとの事、レースやリボンといった手芸関係は苦手だけど、ガラス製のマグカップファイヤーキングに触手が動く。フォードのロゴが入ったのなんて良いな、昔、先輩のところで手にしたのもこのタイプだったんだろうな、おおざっぱな造りがアメリカらしくてたまらない。仏蘭西の文具類、紙の魅力も楽しみだからまた寄ってみたい。

このブルーが好きなのよね。

1900年頃の蔵書票も買い求めた、200円。


Le passage du emsemble 三条通東洞院東入 プラザコラムビル201