パリを歩く 港千尋

写真家で批評家で2007年ヴェネチア・ビエンナーレ日本館のコミッショナーも努めた港千尋の近著『パリを歩く』(NTT出版、2011.7.7刊行)を読んだ。著者の撮った街路の写真とテクストによって「歩く人の系譜には、探す人の系譜が重なってくる。」(74頁)とする指摘を持って舗道を歩く気分に奥行きが与えられた。時代背景をオスマンの大改造前後から辿るので、ちょっとズレを感じるが、アジェやダゲール、ブレッソンやドアーノなどへの言及もあって楽しめた。また、アンドレ・ブルトンが住んだフォンテーヌ通りに関する「遊歩者との出会い」の章では---「パリ以外の都市で、ブルトンがナジャに出会うことはなかっただろう。詩的言語と写真とデッサンが複雑に組み合わされた『ナジャ』という異様な本が示すのは、どう考えてもありえな出会いが起きること、「ぜったいに出会うことができる」ことの奇跡である。それは歩く人々がすれ違いざまに発する燐光に、気づくことができるかどうかにもかかっているだろう。」(148頁) とあるが『ナジャ』を読んできた者にはちょっと軽い、でもここは二重丸で転記しておかねば「たとえばデモに参加することを、フランス語ではしばしば「通りに降りる」(descendre dans la rue)と言う。同じことをイタリアでは「広場に上がる」と言うから、言い回しの微妙な違いが興味深いが、いずれにしても通りに合流することが、すなわち行動に参加するという意味になるわけである。」(168頁)---仕事が終わったらパリの裏通りを歩かねばと思うばかりだ。