オックスフォード古書修行


「経験豊かな友人となれば、それは古書になろう。」と語る英吉利文学の博学・中島俊郎氏の近著『オックスフォード古書修行』(NTT出版、2011年9月28日刊、2400円+税)を読んだ。京都の古書市や善行堂でお会いする氏と最初に言葉を交わしたのは、「スムース友の会」だったと記憶する。中島氏は甲南大学英米文学教授で19世紀ヴィクトリア朝の文化、湖水地方に象徴されるツーリズムの考査がご専門と思うが、無類の古本好き、本書もオックスフォードでの在外研究の折に体験された事柄が詳しく(本好きの琴線に触れる)語られている---オークションやブックフェアの観戦(見るだけではありません、買われています)、目抜き通りの地下に拡がるボドリアン図書館の地下倉庫などなど。読書の楽しみは中島氏の体験のおすそ分けを頂くこと、なるほどなるほど、いゃー行きたい、連れてて。
 本書の第1章は雑誌「スピン」4号(みずのわ出版、2008.9.30発行)で「オックスフォード古本修業」として発表されたオークション参戦記がベース。その時にも思ったけど挿入された写真に力があり、本文の補足を超え、読者を写真の細部、書棚の背文字に誘い込ませてくれる---こいつが恐い訳--伝染するからね。

ちょっと興味深い金言を写しておきたい---

「古書好きの友達が退職を機に、もうめんどくさい実証研究やリサーチからは足を洗い、第二の人生はゆっくりと大好きな小説を読んで過ごしたいとつぶやく。」(13-14頁)
「絶対に欲しい、何を差し置いてもこの本を奪い取るという覚悟がないとすでに戦いの前に負けである。古書オークションに挑むにあたって、今日はこの一本だけにすべてを賭ける、ほかの品目には見向きもしないという禁欲精神と、明日からは水だけで暮らしていくのもやむなし、という金銭哲学がすべてである。一冊にだけ全身全霊を傾け、玉砕あるのみ。オークション道をきわめるぞ!」(17頁)
「テクストをより正確に同定する作業として、欠けている頁のチェック、宣伝ページの異動、図版の彩色の違いなどを図書館の所蔵している号と比較対照して調べておきたい。」(44頁)
「本は読者の参加をえてはじめて「本」になる。それゆえ均一台の均一本を礼賛したい。世の中に一冊しかない本なんて考えられないし、意味もない。本ではないのだから。」(50頁)
「本には必要となって探しはじめるや、必死になって逃げていき、姿をくらましてしまう一面がある。」(148頁)
「世界中同時に行きわたった発行されたばかりの目録をチェックして、愛書家は瞬時をあらそって注文をメールで飛ばす。大半の目録は郵送されてくるのだが、注文を手紙で書く者はいない。やがて目録もすべてメールでくるようになるのだろうか。」(149頁)
「多くの趣味の会が直面している問題が露呈してきた。若い会員の不足である。」(152頁)
「イギリスには国民的文学ジャンルとも言うべき「伝記」の伝統がある。伝記は個人の生涯を語るものである。伝記は、虚実にまみれた人間生活を描写していき、何らかの「真実」を摘出しようとする。自叙伝は別にして、伝記は、対象にまつわる資料をことごとく募集し、できるだけ客観的で正確な生涯を、人物をありのままに再構築しようとする。」(171頁)

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法政大学教授の鈴木晶氏『オックスフォード古書修行』が本書の魅力を上手く伝えておられるので、ご一読をお勧めする (日本経済新聞10月30日)