上海・蘇州二泊三日---(3)

3日目も良い天気。北京から遠く離れていても黄砂の影響が大きく、上海で青空が見られるのは秋のみだと云う。朝食・バイキングは中華を選択。

月曜日の通勤ラッシュにかかるからと8時15分にホテルを出て黄浦江東岸へ向かう。何度か行き来したので街の構造もなんとなく判ってきた、延安路高架を挟んで北側が旧英米共同租界、南側が旧フランス租界。戦前の上海は国際都市としての華やかな一面をもっていたようだ。混沌として不衛生な街のイメージはここ20年で一新され、特に上海万博前に古い集合住宅の石庫門は取り壊され、住民は郊外の高層住宅群に移されている。それは彼らにとって住環境が格段に向上する訳で、日本人の強制収容のイメージからはほど遠い。タマネギを串刺しにしたような東方明珠電視塔が1995年、上海ワールドフィナンシャルセンターの完成が2008年8月(途中5年間工事が止まった)だと云う。その間、古い建造物も観光資源になると気づいたのか、外灘のビル群も整備され、公園、緑地も整えられ、綺麗な街を目指す意慾が随所に感じられる。観光客には居心地の良い中国の演出であるだろう。さて、観光バスは日本の森ビルが中心になって開発した上海ワールドフィナンシャルセンターに到着。安全検査を通って超高速エレベーターの乗り場地下1階へ、電光表示など宇宙旅行の気分である。94階で小型のエレベータに乗り換え地上474mの展望台へ。人間の登れる場所としては世界で2番目の高さと云う、その見晴らしは最高。視界を遮るものはなにもない、平面がどこまでも続き、霞んで消えていく。この国は平面国だと思った。六本木ヒルズの時には高所恐怖症が出たけど、あまりの高さに飛行機に乗っている気分、宇宙遊泳とも言えるかな。

左--金茂大厦 右--上海ワールドフィナンシャルセンター

表示は○○階ではなくて○○○m

      • -


手前が金茂大厦、東方明珠電視塔の向こう奥に旧日本人居住地域、右手に旧ユダヤ人地域があったと思われる。


床も一部ガラス張り
陳氏の話は「お金、お金、中国人はゴールドが大好き」の連呼となって彼らの価値観が判り興味深かった。銀行の預金金利は3.6%だが物価上昇が年に6%なので誰も貯金をしない。国家が世界中のゴールドを集め、人民の投資はゴールドと不動産と先物の食料、株は10年間動きがないので、今は誰も買わないとか。お金だけが国境を越え自分とその血族を守るものと自覚し、熱狂のような戦術を酷使して生きている人達の国。これでは、海に囲まれ自然に守られたわたし達には対応のしようがないと思った。

上海展覧センターは、先細りの塔状の中央ホールを中心軸上に配置した典型的なスターリン様式

ツアー恒例の土産物斡旋は、延安路高架を大きく戻って上海展覧中心へ、威風堂々とした建物は中国がロシアを兄と呼んだ時代(1955年の竣工)の中ソ友好ビル、今では民芸品を中心とした展示と物販の空間に使われている。玉器などの説明を受けた後、手頃な小物類へ。家人が記念にと家族が幸せになる黄色い石で判子を彫ってもらっていた。その後、昼食は外灘外れの中山南路にあるビルの5階、呉記小菜(黄浦1号店)での小籠包、ふかひれスープをオプションで頂く(もちろん4人で一つだけどね)、ツアー最後の食事だったので、ビールも2本としたかったけど我慢。バスに乗り込む一行に「ロレックス安いよ、安いよ」「かばん、かばん、1,000円、1,000円」と物売りのグループが5・6人---前日に記念だからとこれを買った人がいて、「あまりにひどくてホテルで捨てた」と聞いた。

      • -


龍は皇帝のみが使える意匠、他の者が用いると一族郎党殺される、それで、爪を4本にして、これは龍ではないと申し開きしたと云う。

最後の見学は豫園、バスを降りると猥雑な感じ、「日本で云う浅草ですね」と陳氏、豫園商城内をグルグル回って小さな出口から逆に庭園へ入る。明代の庭園様式というが、前日拝観した留園に比べれば穏やかさに欠ける、街人の性急な感覚とでも云うのか、狭い空間に様々な仕掛けが施されている。でも、内園の建物から驚かされた、こんなの日本にはないな。太湖石の名品が置かれる園内に、幾匹かの龍(ではない)が蠢いている。点春堂と万花楼の壁上部を飾る龍(ではない)を背景に記念写真。今でも旅行は楽しみの最たるものだが、昔は景勝の地を訪ねるのに片道でも一月は掛かるであろう難事業、年老いた両親の為に自然を配し、いつでも池に映る月を愛でるようにしたと云う。入り口前の豫園で客人を向かえる三穂堂に掛けられた扁額が面白かった。この庭園の所有者の変遷が判る仕掛けで、最初が「三穂堂」次いで「霊台経始」、最上段が「城市山林」。陳氏の説明によると、最初の所有者は「稲穂が実のは一つでも素晴らしい事で、まして三つともなると有り難く、豊作を祈念した農耕の人」、次の人は「祖先を敬った」最後の人は「豫園そのもの、庭園を愛したようで、市内に自然を観ていた」と云う。豫園老路を抜けて福祐路へ。ここで20分の自由時間。迷いそうになるから遠くへは行けない(自由時間を短くするのはツアコンの知恵)、人があまりに多いので買い物なども出来なかった。

さて、再び土産物斡旋に連れて行かれた後、虹橋国際空港へ向かう。行き先を告げるだけの切符なしでの荷物預けに一同とまどうが、ここでは当たり前らしい、そして、三日間お世話になった陳氏とお別れ。ターミナルに入ると滑走路の直ぐ上に大きな太陽、満州の太陽は赤く大きいと云うが、上海でも大きく感じる、どこに遮蔽物があるのか大陸の太陽は大きく赤い、砂の関係で光りの屈折率も違うのだろうな。搭乗ゲートがD16から213に変更となり1階へ降りる、そして買い物をしている家人と別れて珈琲を飲もうと思ったら日本円で1,000円と告げられ、あんぐり、我慢しました。クルーの到着が遅れたとの事でバスに閉じ込められたが、30分遅れで離陸。


      • -


日本到着の10分程前から、無言の映像が流れ始めた。
関西空港発最終の「はるか」に間に合い、さっそく、ローソンに走って濃いビールを買い求め機内食のつまみで一杯、やっばり美味い。友人夫婦と別れ定刻23:32分に京都着。タクシーに乗るとラジオで「庭の紅葉」が流れている、気持ちの和む旋律だ、西本願寺のあたりで、今度は岡崎武志の声(NHKラジオ深夜便に出演されている)で「今こそ古本が新しい」の話題。上海では書店に入らなかったなと、残念に思った。

        • -

その後、下記の書物を興味深く読んだ。
谷口智彦著「上海新風---路地裏から見た経済成長」中央公論社 2006年9月刊
司馬遼太郎「中国・江南のみち---街道をゆく19」朝日新聞社 1982年10月刊