報告(1) 「百の眼の物語」


二人掛けの窓側、A席から望む富士山は美しい。
のぞみ210号(7:22京都発)で上京。お茶の水で下車し「まど展」が行われている東京古書会館に10時ジャストで到着。しばらく楽しんだ後、源喜堂書店、呂古書房、ボヘミアンズ・ギルド、小宮山書店と歩く。総じて路面店の一見客ではマン・レイの未見資料と遭遇するのは至難だが、世代交代のタイミングと円高の大きなうねりに見舞われ、洋書類の値崩れに歯止めがかからない印象---2冊発見。昔、大金を払って集めたものが、廉価で棚に差し込んであるのに出会うと複雑な心境、幾冊も求め平均価格を下げると云う手もあるが、どうも難しい。そんな事を感じつつ田村書店の二階でマン・レイのレア資料を拝見した。価格は当然、二極化している訳で、欲しいものは高い、手許に資金があればと落ち込むばかりである。JR神田駅側のひやねまで足を伸ばし、先達のSさん関連資料類を探すが、訪ねたのが遅すぎた。膨大な氏の貴重図書はどこに消えてしまったのだろうか。
 予定時間を過ぎてしまったので、昼食をあきらめ、銀座線を使って外苑前へ移動。「ギャラリーときの忘れもの」で6日から始まっている「デュシャン、エルンスト、マン・レイ展」を拝見する。デュシャンの「大ガラス」シリーズの銅版画連作とエルンストの「素早い歯」や「兵士のバラード」などの豪華挿絵本シート、マン・レイは馴染み深い写真と版画とオブジェ。価格もリーズナブルで「クリスマスのプレゼント」として部屋に飾りたいと云う人にはドンピシャの企画となっている。シュルレアリスムの巨匠三人に囲まれたウイリアム・コプリーの心境といったところであろうか。こうした売価が示されたマン・レイの仕事こそが、わたしの楽しみだ。美術館に入って死んでしまった「もの」ではなく、「生きて流通」する感覚こそ、作品と対面したときの昂揚する気分の源。綿貫ご夫妻と世間話。ギャラリーでは来年も興味深い企画が目白押しとの事、期待に打ち震えるも、手許資金の不足に落ち込む訳、でも「将来のここ一番にはせ参じるため」我慢せねばと自分を戒めた。



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車窓からの東京スカイツリー

千葉市美術館 エントランス
友人の土渕信彦と合流し千葉市美術館へ向かう。青山一丁目で乗り換え大手町、東京から京葉線を使い4時に会場へ到着(毎週金・土曜日は20時まで)。上京の目的の一つである『瀧口修造マルセル・デュシャン展』を拝見する。しっかりした重量感のある展覧会だ。これまでのデュシャンや瀧口の名声に便乗した、作品を並べましただけの展示から、出品作が交互に影響し、緊張した「謎」を意味させているような展示である。
 いつもの流儀で、会場(3フロアー)をざっと歩いた後、入り口に戻り、ゆっくり確認しながら観ていく。展示構成は重層化した意志を明確に持っているようで、網膜の楽しみだけではダメだよとブレーキを踏まれている気分。観客それぞれが、どの立ち位置から瀧口やデュシャンに近付けばよいのかと自問させる。第一室・右壁面に掛けられた「モナリザ」関連の中にあって、骨董品のように落ち着き輝いている金色の縁取りから花模様に続く紙の色合いが眼をしびれさせる「モナリザ銀行」の小切手『チェック・ブルーノ』(1965年)、思わず発行元の住所などを読んでしまった「No.11329 Savoy Stationers Inc. 12 East 59th Street New York, 22 N.Y.」これは、コレクターの先達、笠原正明氏の出品。一般論だが、美術館の収集品と違う個人の持ち物は、常時壁に掛けられるのを前提にしているので、額の好みに個人の嗜好が強く現れ、作品と一体化して流通される。流通したからこそ、ここに在る訳。今回の出品作の中でも特に注目できる一点だろう。確認し始めた最初の部屋から『チェック・ブルーノ』の登場だから、もう、観続ける事が出来なくなってしまった。---プログで報告するにはテーマが深く重いので、このあたりにしておきたい。

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 実は、同展関連企画として、同じビルの9階市民ギャラリーで開かれている「瀧口修造の光跡III 百の眼の物語」(12月6日〜25日まで)を拝見するのが、上京の「目玉」だった。瀧口のデカルコマニー42点(目録による)を一同に並べた空間は、「眼の物語」に留まらず、「手の物語」や「偶然の物語」に展開し、「水の物語」となって心に清く、強く流れ落ちてくる。百ではなく、千ではなく、もちろん万でもなく、数とは違った次元を持った「モノ」。階下の展示からの引用をすれば、「プロフィルの時計」であって、紙をはがす時の横線から時間が生まれたような印象を感じた。デカルコマニーが水平線のように会場を連なっているけど、距離があって距離がない、時計を組み立てる手業を、眼にしているのだろうな、NからSへと続く送られなかった一本の線、地図の視点が広げられた、ふたなりの図像である。「ティニー・デュシャンのために「旅への誘ない」或いは地図のプロフィール」(1972年)の紙面から、二次元を再び見たとしたら、この階上に位置する「百の眼の物語」が現れるのだろうな。そのように、強く思った。人生を掛けた一人のコレクターの長い道のりが、これだけの量のデカルコマニーを手許に置かせる原動力だったろうか、それは違う、コレクターの意志を超えた、「もの」たち自身の意志に、水平線を作らせる量の必然があったと思えてならない。幸せな土渕信彦であることよ。愛し愛される、炎の指先に魅せられたコレクターに最上の挨拶をおくりたい。



ムッシュK氏にデカルコマニーを語る、土渕信彦

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 会場で著名なマラルメ研究家「ムッシュK」氏とお会いする。氏のお誘いに便乗し美しい女性を交えてのフレンチ食事会に参加した。「マラルメはテキストが書き換えられていくから、フランスに7年住んで初出資料を集められたのは幸せだった」と話された後、ジャーナリストでもあった氏から「ベルリンの壁崩壊」や「ヴェトナム戦争時のハノイ取材」、それにカルティエブレッソンの事などをお聞きした。フランス料理や人生の様々な話題、知的好奇心と健康な食欲に賛歌できる幸せを感じる楽しい時間だった。移動の途中で先の震災による液状化現象からの復旧工事を見たが、レストランの辺りは千葉ロッテマリーンズの優勝パレード(2005年)が通ったところとの事で、「紙吹雪が素晴らしく良かった、この街は良いところ」と女性陣、外に出ると皆既月食が始まって、月が美しく妖しくなっていた。