報告(2) 「百の眼の物語」


逆光で判りにくいが、フレアの中に千葉市美術館の高い建物。

翌日も快晴。眩しい日差しの中、神田の「まど展」(キヌタ文庫出品)で求めた巴里の地図をパラパラ。「ムッシュK」氏のお話ではないが、巴里に住んでマン・レイ資料をとことん求めたいと夢想する。その為に地図がいるのよ、それも1921年版が---「地図のプロフィール」になるであろう青い表紙の「モノ」がわたしの膝上で輝いている。瀧口ファンのお二人と共に朝食。そして、雑談。部屋に戻りポロックの紹介番組を観る。テレビ画面でも、先日の印象は変わらなかった。
 美術館の開館は10時。担当学芸員に紹介されてから、ゆっくり観始めた。全体構成は頭に入っている(はず)ので、眼の前の作品へ解釈をそそぐ、眼で読む行為はデュシャンや瀧口に似つかわしい。「ムッシュK」氏は朝型で原稿を書かれると言っておられたが、わたしは朝食の後の2時間、目覚めた後の頭でないと言葉が立ち現れない。「花嫁」のアクアチントの濡れ具合が心地よい。昨日の『チェック・ブルーノ』を経て脳髄を巡る言葉のオブジェは、同定したい作品に連なり、奥へと拡がっている---そこには影が。新しい出発とも言えるのか、やはり、笠原正明氏のコレクションに注目したい。額縁が良いんだよな---、きっとこのブログを読んで美術館に足を運ぶ方もいらっしゃると思うので、列挙しておく。
23. チェック・ブルーノ 1965年
56. マルセル・デュシャンサルバドール・ダリ 1967年
63. シュルレアリスム簡約辞典 1938年
150. ローズ・セラヴィ 1939年
163. カダケスの丘から 1962年
232. 窓越しに…マルセル・デュシャン小展示(案内状) 1978年
233. Through the Window 1978年
234. 窓越しに…マルセル・デュシャン小展示(案内状原稿) 1978年

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 展覧会のカタログに必要なメモを取りつつ会場を進んだ。会場の掲示に「オリジナルとは異なる形のレプリカすら公認することで、物としてのレディ・メードやその形よりも、アイデアやコンセプトが重要であることが示されたからだ。」とあって同感、ちょっと転記した。出品作品の全てが図版にあがっている訳ではないので、スケッチなどを加える。わたしとしては、マン・レイの住所が書き込まれた返信(1966年)の写真が撮りたいところだが我慢。カタログの頁を行ったり来たり。恐ろしく時間が掛かって、8階の会場を観終わるのに2時間も掛かってしまった---テイニーからの First Marcel died " extra-rapid" .... perhaps blossoming .. などの手紙類が貴重だろうな。

カタログによると出品点数は330点、これに実験工房の作家たち27点、資料12点が加わる。

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疲れ切って友人と11階のレストランでビール。すると、デュシャンピアンのK氏がいらっしゃったので、サインをお願いする。日曜日はカタログにも執筆されている巖谷國士氏の記念講演会があるので、友人・知人・関係者が数多く登場。開場前から長蛇の列となった。鋭い考察と興味深いエピソード、スライドも交えた名手の素晴らしいお話、最後に瀧口没後に見付かった「遺言」と題するメモを、読まれた。大きな声だった。終了は16時20分。



土渕信彦氏から東京を中心とした、多くの関係者に紹介していただいた(感謝)
さて、瀧口修造の光跡III 「百の眼の物語」会場である。土渕は「水墨画の永い伝統を有する日本に生まれた瀧口によるデカルコマニーが、1961年頃から開始された後、最晩年に至るまでどのように展開されていくかを、約40点の作品と関連資料によって検証してみたいと思います。」と述べている。検証の糸口を本人から直接聞いた(情熱と愛をもった言葉だった)二日間。「動脈と静脈」に関する色彩など、なるほどと思う事柄であり、これについては、本人がいずれ開陳されるだろうと思う。
 18時に美術館を出て、タルホ・コレクターのK氏を交え三人で東京駅へ移動。日本橋口の焼き鳥屋で一杯。生ビールと大吟醸芋焼酎。京都駅に着いたのは23時18分(のぞみ267号)だった。楽しかった。