有難うございます。

還暦

昭和27年1月3日に、3人兄姉の末っ子として名古屋で生まれて60年、つつがなくこの年になりました。伊勢湾台風(小学1年)、東京オリンピック(中学1年)、70年安保(高校3年)と経験し、京都で働き出してから40年、良い伴侶と子供に恵まれ、自分の好きな事だけを続けてきました。これもひとえに家族の理解、会社の同僚、多くの仲間の支えによるものだと、感謝しています。有難うございました。

 わたしは人生の岐路に立ったとき、いつもマン・レイを基準に考えます。彼は60歳のとき、ジュリエット夫人とハリウッドに住んでいましたが、翌年3月パリに戻ります。同じ年齢の時、マン・レイも「最初の愛である絵画、パリ」について考えていたのだと思います。干支(十干十二支)の一巡りにどれだけの意味があるのかは判りませんが、やりたい事、やらねばならない事が山積みとなっている、わが心に幸あれと祈るばかりです。

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 「何年かして、パリに戻ってから、この理論を実行に移すことを許された機会があったが、結果はとても満足すべきものだった。そして成りゆきをめぐっては批判も不平も無かった。誰も偶然のはたらきのことをとやかくは言えなかったわけである。(マン・レイ自伝『セルフポートレイト』美術公論社 1981年刊 千葉成夫訳 360頁)

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 若い友人が還暦のお祝いと言って、手作りクッキーを焼いて届けてくれました。今年、最初のマン・レイとの出会いで嬉しい事といったらありません。食べよーっと

LEFT; Like-- Catalogue of The exhibition of Man Ray at Alexandre Iolas, Milano. RIGHT; Like--Le Violon d'Ingres, A l'heure de l'observatoire and Man(Mixed media)