第22回 瑛九展

青山の「ギャラリーときの忘れもの」で瑛九の展覧会が開かれている(1月21日まで)。

左から: 『作品』『作品』『赤にむらがる黄』

左から: 『離陸』『丘』『作品』『森のドラマ』『ピエロ』

ケースの中には、瑛九、杉田秀夫個人展覧会カタログなど
二階まで吹き抜けの個人宅のような空間で、亭主の綿貫さんから「瑛九」への熱い思いを、作品とともに聞いていると、幸せな感覚に包まれ、「瑛九マン・レイって同じではないか」と強く感じた。よく知られたフォトデッサンだけではダメで、油彩や水彩、展覧会資料といった重層的な展示の仕方が、瑛九を蘇らせて、作家が生きていた時のお宅へお邪魔している気分といったところなのだ(マン・レイのフェルー街のアトリエも二層式だった)。光に魅せられた二人の純粋な好奇心。光の核であるような二つの個性は洋の東西も時代の相違も問わず、心の中を駆け巡っていく。マン・レイと出会う前に瑛九を知っていたら、きっと瑛九のコレクターになっていただろうと、確信させるような心の状態なのだ。今日は特に油彩『赤にむらがる黄』(1958年)が良いと思った。亭主がリトグラフの『雲』(1957年)の色調や太平洋を往復したフォトデッサンの『Kiss』(1950年)について、図録などを広げて解説して下さるという贅沢な授業で有り難い。
 展示されているのは、油彩、水彩、フォトデッサン、銅版画、石版、型紙など30点あまりだろうか。赤い印の付いたモノも幾つか、「作品の価格は突然あがったりするから」とは亭主の話。「瑛九」が新興写真の文脈から海外でも注目され、新しいコレクターが、幾人も登場してきているとも。作品と作品にまつわる物語に惹かれてコレクターとなった人種の一人であるわたしにとって、マン・レイ評価が不確かだった時代(40年程前だけど)だからこそ、重要と思えるコレクションとなった訳で、評価が定まらない作家を収集していく冒険に人生の魅力を感じた訳。そこで、海外勢における「瑛九」評価だけど、これから、さらに高くなるだろう。資金力が国内勢とは、数桁の開きがあるのだから、わたしなど太刀打ちが出来ない。「ときの忘れもの」での瑛九展はこれで22回目、その前も含めると何回になるのだろうか、「瑛九」命の亭主に連帯の挨拶を贈りたい。

コレクター桝田輝郎氏と亭主・綿貫不二夫氏
 4時前に、会場で谷中安規のコレクターである桝田輝郎氏とお会いした。谷中との出会いにまつわるエピソードをお聞きしながら、評価が定まっていない時代の売り手と買い手の呼吸についてなるほどと思った。特定の作品だけを求めていたのでは、大切なモノは手許にやってこない。常に視線の端に、大事なモノは潜んでいる。若い人達には、自分の「マン・レイ」や「谷中安規」を見つけて欲しいと思った。対象とする作家は異なるけど、この道は同じだから。でも、羨ましい。この様子は画廊のブログを参照下さい。
 さて、友人の瀧口修造コレクターのT氏と神保町へ出た後、東京駅の焼き鳥屋へ寄って、作戦会議。欲しいモノばかりが眼の前に現れるコレクター人生は、嬉しくもあるが恐ろしい。破滅への道と達観への舵取りは、どこで決まるのだろう。凡人、二人は清酒・鮎正宗で酔っぱらい役立たずとなってしまった。

鮎正宗(新潟)