評伝「ジャック・プレヴェール」


柏倉康夫著「思い出しておくれ、幸せだった日々を 評伝ジャック・プレヴェール」(左右社、2011年刊) 定価7200円(税別)
名古屋へ帰省する新幹線の車中から読み始めた柏倉康夫の「評伝ジャック・プレヴェール」を読み終えた(本文566頁)。高校生の頃からフランス映画の虜になった著者(1939年生まれ)が「天井桟敷の人びと」を観た興奮からフランス語を学ぶに至った情熱をそのままに、プレヴュール(1900-1977)と共に、映画のシナリオを書き、詩の言葉を口に出してゆく様子が伝わっくる熱い評伝だった。プレヴェールはシャンソンの名曲「枯葉」の作詞者としてよく知られるが、わたしにとってはシュルレアリスムとの関係や、オークションのカタログで欲しいと思う作品に沢山出会ってきたコラージュ作家としての顔の方が近しい。柏倉はプレヴェールのコラージュを作るさまざまな手法について「そこには一貫して一つの主張が看て取れる。反軍、反ブルジョワ、反権力、反教会、反戦争の精神である。」(535頁)と応えている。

 プレヴェールはレジスタンスの運動から15年ほどたった頃、ラジオのインタビューで友人リブモン=デセーニュに応え「私は二つの戦争を見てきたが、そのどちらでも戦わなかった。私は誰も殺しはしなかった。恐らくそれだから、誰も私を殺さなかったのだ。善良な態度の交換というやつさ。」(393頁)と語っている。

 反骨で自由な精神が孤独に包まれている、一人の国民的詩人の生涯から感じたのは、そうしたものだった。両次大戦から共産主義への期待、フランコ独裁、ヴィシー政権、冷戦、そして1968年の5月革命までの欧州の政治・経済についての知識を改めて押さえながら、「シュルレアリスム革命」への客観的な記述を、おだやかに読める年になったなとも思った。先入観というのはよくない、複雑に絡み合う、人と経済の物語から「ナジャ」も再読しなければならないし、フランスの有名なバカンスが1936年の鉄道運賃割引制度(ラグランジュ切符)から始まったと知ったのも、こちらの勉強不足。 フランスの特権階級200家族の事もなるほどだし、言及された出版人(ギィ・レヴィ・マノ、ジョゼ・コルティなど)や写真家(ドアーノ、ブレッソン、イジス、ブラッサイなど)たちも興味深く、また、最近関心を持っているアンドレ・ティリオンの動向(134頁)にもふれられていて、夢中になった読書だった。映画「天井桟敷の人びと」の制作過程やシャンソンの名曲「枯葉」の事や大ベストセラー詩集「ことば」についてのエピソードも豊富で、楽しい時間だった。尚、本書の装幀は林哲夫である。---どうりで、しっくりと読みやすい。 


マン・レイの最後のアトリエがあった、フェルー通り二番地乙の隣りの建物に8歳のプレヴェール少年が住んでいた。わたしも、先年この界隈を歩いたことがあったので特に親近感を持った。読書の出会いと楽しみは、こうしたところにもあるのだと思う。
1908年になってプレヴェール一家はヴォジラール通りから、すぐ近くのフェルー通り四番地へ引っ越した。今度の建物はかって貴族が住んでいたもので、正面には立派な扉が2つあり、二階、三階には大きな窓が五つついている堂々としたものだった。(22頁)
バリ/サン・シュルピス広場の/区役所の階段の上を/ほくが子どもだったころ/きみはさっと飛び去った/風の木の葉がくれに 笑いながら/ぼくはきみに挨拶をおくる(447頁) (「鳥への挨拶」部分)
もう一つの思い出は鐘にまつわるものである。少年時代をすごしたサン・シュルピス教会の鐘の音が耳にこびりついてから、ずっと彼についてまわる。(449頁)