古書市と太田三郎展


中井書房
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シルヴァン書房
「何も見付からないで、顔を出さないで」と願って会場を巡るのだから、お客としてはタチが悪い。しかし、部屋の整理を控えている身(遅れている)としては、購入のハードルは高い。未収集のマン・レイ資料があれば、部屋の整理など関係ないのだが---。「京都市勧業館みやこめっせ」での「第30回・春の古書大即売会」も今日で3日目、先輩、マニア、プロがくまなく回られた後だから、「何も見付からない」のは当然で、よかった。それでも、心残りの感想を幾つか: 今会場では中井書房の箱に入った古い写真に興味を持った。戦前の記念写真アルバム、写っているのは独逸人家族だろうか、祖国のものも、日本でのものもあるようだ、この中に有名人がいれば、お宝価格は跳ね上がるだろうが、ちょっと判らない。八つ切り版の裸体写真があって、印画面の経年変化が素敵で、買おうかと思いしばらく手に持っていたのだが、前述の理由でパスしてしまった。手に取り棚に戻すの繰り返しは、情けない事である。京都での古書市で面白く棚を覗くのは斜陽館や古書夢やなどの参加店、今年は長野・松本からのあがたの森書房などの構成も魅力的だった。レジでは大量に買い込み発送手配されているシニア世代が羨ましい。シルヴァン書房で巴里絵葉書を物色したかったのだが、寺町丸太町のCHOJU contemporary artで予定されている、トークイベントの時間が迫っていたので会場を後にした。

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CHOJU contemporary art 「Weather Map Stamps」 by OTA Saburo
昨年のアートフェア京都で「種子を封印し消印を押した切手たち」の作家、太田三郎に関心を持っていたところ、今年のART KYOTO 2012でのCOHJUのブースにあったパンフレットに京都市美術館の尾崎眞人さんとの対談が予告されていたので、参加せねばと思った訳。作家についての予備知識はほとんどなく、純粋に作品に惹かれた観覧である。CHOJUの会場は以前から知っているけど、今日の展示は洒落ている。七段二列(14枚)の切手シートが額装されている。やさしいブルーで近づくと気象図(日本が中心)の柄、上部に日付と時刻が印字されている。遠目には同じ存在感の額(28点)だが、それぞれが作家にとって「重要な出来事」が起こった日を含む新聞の気象図の二週間「Weather Map Stamps」と題するシリーズで「阪神大震災当日の天気図」も含まれている。1995年の作品で、それぞれのエディションは14、リーズナブルな価格設定でコレクションに加えやすい。
 対談はお二人の移動の関係で遅れて始まったが、太田三郎の人柄と本音が尾崎からうまく引き出された感があって、面白いものだった。「場所と時間」と云う自分の居場所を確認・確定する行為は、わたしにとっても中心的関心事なので興味深い。太田はグラフィック出身らしいが、「小さなものが好き」とか「同じ物がたくさんあるのが好き」といったあたり、こちらも好きなんだよね。作者と作品についてはウィキペディアに詳しいので、そちらを読んだ方がよいかも知れないが、「60歳を過ぎて恐いモノがなくなった、こんな事をしてもよいのだと思うようになった」「あと何年できるのか、秒読みの段階になった」とかあって同世代人(1950年生まれ)として、同感である。郵便の消印がなくなりつつある事を質問したいと思っていたら、インターネットの「迷惑メール」を記録しているとの説明があったので、二重三重、多層的で同時進行的に制作をされている人だと思って、ますます感心した。


CHOJU contemporary art 「Papers 2011」(部分) by OTA Saburo
会場の二階には2011年に自宅に配達された新聞の第一面を葉書サイズに漉いたインスタレーション作品「Papers 2011」が展示されている。わたしとしては「3.11」に関連した仕事で、これほどのインパクトを感じたのは始めてだった。一年間の新聞の漉き流されグレー色の毎日の中に一箇所だけ空白があり「向かい合う壁に3月12日のカード一枚のみ展示」されている。単品で額装された「3月12日」に売約の赤いシールが貼ってあったので、対談が終わった後、これは、エディションがあるのかと黒田三郎に尋ねると、一面はインスタレーションで、社会面は単品で扱っているとの話し(3月12日と13日の二点に印が付いていた)。セット品は○○○万円とミュージアムピースだけど、単品はリーズナブル。しばらく御所の緑が差し込む部屋で「Papers 2011」と対話した。何気ない一日となっていく「3月11日」、ドロドロに漉かれたカードから「流」とか「首」とかいった漢字が読み取れる。他の日からは、どんな漢字が読み取れるのだろうか。

 いただいた「タンポポの種子」が漉き込まれた太田三郎の名刺を手にして寺町通りを下がった。三月書房を覗き、ATHAがあったビルを過ぎた辺りで、「時間と場所」は世の中の仕組みによってしか証明されないものだろうかと疑問を持った。荒木経惟にはカメラの日付モードをかってに設定するラジカル性があったけど、郵便制度上での消印、「Papers 2011」のカードが365枚ではなくて、355枚(新聞には休刊日があるから)であるように、「時間と場所」は常に体制側に証明されざるおえない。震災以降、政治と官僚とマスコミの利権構造に怒りを持つ者にとって、「消印」以外の「時間と場所」を示す方法はないのだろうかと思った。寺町通りは暗くなり提灯が灯って美しい、下御霊神社還幸祭が近い。

太田三郎