足穂147冊 コンプリート


祇園梛ノ宮夏越祓 茅の輪くぐり 「くぐり方は左回り、右回り、左回り」
2本で茅の輪が作れます。おひとり2本でお願いします。
昨夜は決算最終日なので遅くまで仕事。今日は夕方から降雨との予報なので朝から市内を自転車で走る。家の用事を片付けなくてはいけないし、来週末に七夕古書大入札会(7月7日)で上京する指定席券の手配もしなくてはならない。聚楽菊を求めるいつもの酒屋へ行った折に、氏神様の夏越祓に気付いてお参り。「蘇民将来之子孫也のお札のついた茅の輪を門口に掲げておけば災厄を免りて一家は繁栄すると言われています。」とのお話。お願い事が沢山あるので、眼が回るほど茅の輪をくぐりました---お作法とおりです。多くの方が茅の輪を上手に創っておられましたが、一緒に並んで創るのが恥ずかしく、写真を幾枚かパチリ、パチリで御利益がある事を願う。

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 四条富小路下ルの徳正寺でタルホ・ユニヴァース展(一日限定で稲垣足穂本全147冊(コンプリート)と遺品、絵画作品の展示)本堂に並べられた書物の存在感はバツグンで、わたしが手にしていたのは野中ユリ種村季弘共著の「コリントン卿登場」までだろうか、同時代人として手にしていた訳だから、嬉しいし、イカルスの鉄板も手にしたっけ(こちらを購入する事は出来なかったけど)、コレクターとなった古多仁昴志が最初に求めた角川版の「青い箱と赤い骸骨」の背文字にしばらく見とれてしまった。---ここから右にも左にも広がったんだろうな、幸せなコレクター人生だと思う。会場には足穂の絵画作品や色紙なども飾られている、足穂にはお寺が似合う、どうしてかしら。「女性には身だしなみ 男性には道徳」や「私は世界の果からネクタイを取換えるにやってきた」なんてお洒落だね、まね出来そうで、出来ないからな。

足穂の鼻眼鏡、下段にはイソギンチャクのゴム印が見える。


徳正寺本堂 書物の背がフロッタージュされた。

琵琶湖疎水の秋月橋から発電所を見ると、徳正寺の本堂に置いてあったプロペラが回り出す気がした。

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 その後、哲学の道まで走って法然院・講堂で開かれている「稲垣足穂147冊の書影(フロッタージュ)展」(7月1日まで)を拝見する。このお寺は始めてだったので山門を右に折れてお墓の方へ迷い込んでしまった。足穂のお墓もこのお寺にあると云う。上がっていくと喪服の女性の幾人かとすれ違った。古多仁さんとは昨年12月に千葉市でお会いして以来だが、今日もお元気で勢力的に足穂愛を貫いている印象。お聞きすると「足穂本は全て集めてしまったから、あと8年間は創作活動に専念する。70歳になって元気だったら、また、考える」との答え。同年代の収集家として、あっぱれで羨ましい。わたしも達観したいけど、マン・レイ本のコンプリートなんて不可能で、せめて展覧会(個展)のエフェメラをと頑張っているけど、日本でも海外でも不可能だろうな、市場に現れても、美術館や図書館との一騎打ちだから、個人じゃどうにもならない(涙)。---戦前の案内状をビットしたのはブルトン旧蔵品の時だった。さてさて、1694年建立の法然院講堂は、1977年に改装されて、現在ではこうした個展に使う事も可能な空間となっている。古多仁氏と話しをしている間にも、多くの外国人観光客が立ち寄って見学されていた。足穂に刺激された不思議な世界が宇宙の神秘を語っているのが理解出来る。「日本人はシャイだけど外人は反応がストレート」だと古多仁氏、わたしたちにも講堂前に置かれたカレイドスコープを覗く、ちょっとしたジャンプが必要だと思った。
 善行堂のソムリエ氏と世間話をし、中信美術館(「うるわしの女性たち展」良いと思ったのは宮本三郎)にも寄り、家の用事も済ませて一時間ほど、銀閣寺から壬生までは遠いが、帰りは下りばかりで楽だった。

水を表す白砂壇が緑に映える

講堂前の古多仁昴志氏



喜多ギャラリー刊行の「稲垣足穂147冊の書影」壁面には若い足穂とK.K.氏による線画が並ぶ。

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哲学の道では紫陽花が綺麗に咲いていた。