「洪水」での瀧口修造残像


北観音山

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 昨日、詩と音楽のための雑誌「洪水」の二つの号を烏丸三条北西角のスターバックスで読んだ。1月1日発行と7月1日発行の第9号・第10号に掲載された「瀧口修造の政治的位置」。論者は瀧口を敬愛する土渕信彦。シュルレアリスムを詩の運動のみで捉えるのではなく、時代を通すアクチュアルな「精神を解放」する運動として捉える立場は、論者の土渕とわたしの共通な立ち位置と思うが、世の中は功利主義的な振る舞いの「詩人」にあふれ、瀧口の「シュルレアリスム観の瓦解」に対する表面的な論説ばかりが、連なったこれまでの発言に、怒りとも言える軌道修正への言葉の運びは、土渕の今回の論考をつらぬく、スリリングでもある展開に魅力を覚えた。「愛」がなければ置けないような「言葉」。時代の中に瀧口を置き、客観的に瀧口の視線で相手を見据え、さらに、歴史の経緯から遡る視点で、具体的な発表媒体の裏面に切り込む姿勢に感動すら覚えた。論考を冷静に保つため、本文では言及されなかった山中散生と鶴岡善久に対する辛口な発言に、若干の交流があったわたしも、なるほどと思う部分を多く感じた。個人と時代、詩人と凡夫、人々の生活について関心をいだく多くの人に読んで頂きたい論考となっている。---1冊、1,050円、発行:洪水企画、発売:草場書房。

STARBUCKS 京都三条烏丸ビル店

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 宵々山の日曜日、夕食を早く済ませて家人と鉾町に出掛けた---何年ぶりだろうか。阪急烏丸から四条通りに出ると恐ろしい程の人混み、函谷鉾のお囃子から聞き始め月鉾を過ぎて新町通りに入る。前田のベビーカステラを買い求めてから凱旋船鉾のお囃子も楽しむ。それから伯牙山の杉本家を訪ねると、町内の少年が籤改めの所作を練習している、身の引き締まる良い光景で、しばらく家人と見入ってしまった。山の趣向には二つのモデルがあり、山の名前でもある伯牙は周時代の琴の名手、親友の死に「もはや私の琴を聞いてくれる人はいないと嘆き、絃を断って再び弾くことがなかった」と云う。もう一人の「たいき」も琴の名人で、武陵王の召し抱えの意向に「自分は幇間ではない、王の機嫌を取るための琴ではない」といって断ったと云う二つの逸話として残っている(この項、松田元祇園祭細見(113頁)によった)。綾小路通りを戻って船鉾、岩戸山へ。人は多いけどウキウキする楽しさ。

四条新町から月鉾を望む。

杉本家表の間に飾られた琴、伯牙山のもとの名は「琴破山」。

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 昨日の昼間に通った岩戸山を見ると拝観料300円で女性も上がれるとの事。岩戸山は曳山を改造して大屋根を付けた構造なので小ぶりであるが、屋根上の派手な真松の前に伊弉諾尊を奉る意匠にはインパクトがあって、わたしは好きなのよ。ご神体は当日まで駐車場奥に飾られているが、巡行の日に見上げると国造りの神様の走っている様子が可笑しくて丸い玉がなんだろうと思っていた訳、松田元祇園祭細見によると「矛身の根もとから金色径五糎ほどの円球を六十糎ばかりの紐で吊下げてある。即ち天の瓊矛と潮のしずくである」(69頁) ここから日本列島が創られていったのかと思うと祇園祭のスケールの大きさに納得。




岩戸山