ウィルソン・リンカーン・システム

  

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マルセル・デュシャン語録」特装版(土渕コレクション)に収められたマン・レイデュシャンと瀧口によるチャンジ・ピクチャー。 
今朝も楽しく盟友・土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の箱舟」を読んだ(ギャラリーときの忘れもののブログに連載)、一ヶ月が早い。今回は書肆山田、佐谷画廊、ミロの星とともに、スフィンクス、レクイエムと続く構成で、佐谷画廊との出会い(わたしもキムラヤビルの4階を訪ねた事がある)に今後の展開への含みを持たせる一方、田村書店で高価な版画集を購入した「コレクターとしての一歩を踏み出した運命の一瞬」から、瀧口の死去に際するエピソードを語りながら「単なる瀧口ファン」が荒川修作と人違いされる経緯や武満徹の言葉を通して、土渕自身も「こんなことをしては瀧口さんに恥ずかしい」と云う人生の指針を持つに至った人格形成の物語として読んだ---なるほどなるほど。
 氏の連載の魅力の一つに、紹介される図版があるのだが、今回はマン・レイが撮ったデュシャンの肖像写真と「ローズ・セラヴィ」の偽名がウィルソン・リンカーン・システムによって現れたり消えたりする様子を、三枚の写真を使って表している。土渕が自宅で光りの様子を勘案しながら撮影をしている様子を想像するのは、彼も光の詩人になったようで微笑ましい。---そんな訳で、ブログから三点の画像を拝借させてもらった。わたしも「マルセル・デュシャン語録」の特装版が欲しいけど、あまりに高価で、ごめんなさいの世界である。また、横浜へ遊びに行った時に見せてもらおう(笑) 
 丁度アメリカでは大統領選挙の真っ最中、ウィルソンとリンカーンじゃなくて、オバマロムニー、どの角度から覗いたら日本の明日が見えるのだろうか。いつまでも暗くて光がない日本、光がなければ何も見えないか(涙)