鳥羽茂の声


東洋のナイアガラ、原尻の滝に建てられた鳥居に続く、二ノ宮八幡社の鳥居(緒方町原尻) 
2月に若い友人のお誘いで家人と「大分・湯けむりグルメ旅」をした。二泊三日の旅程での報告はすでにさせていただいたが、内堀弘の『ボン書店の幻』(ちくま文庫、2008年刊)を読んでいて不思議な繋がりに驚いた。写真を載せた鳥居を越えた山の向こう側に、1930年代のモダニズム詩書を送り出した鳥羽茂終焉の地があったと云う(内堀の記述と地図からの推測で確証は乏しい)。DTPによってひとり出版が容易にできる現代から先人の苦労を推し量るのは不可能かもしれないが、わたしには戦前フランスのG.L.M.と日本のボン書店、戦後フランスのジャン・ペティトリーと日本のプレス・ビブリオマーヌや海人舎の苦労が判る。わたしも、ひとり出版の流れに位置する精神を持つと自負するから「ボン書店刊行書目」をうっとりと見つめる事が多い。1936年刊の『童貞女受胎』と『超現実主義の交流』などはマン・レイとの関連からも架蔵したい一本である訳だけど、高価すぎてチャンスに恵まれない(涙)。
 行き先を友人まかせにして大分で遊んだ折、塩尻の滝で何か惹かれるものを感じたんだけど、それが鳥羽茂の声だったんだと知った。白地社版(1992年刊)で読んだ時には、詳しい記述はなかったけど、文庫版までの16年間で鳥羽の足跡がさらにたどられたようで、それは終焉の地で止まらざるおえない結末でもあった。戸籍によると「1939年6月29日、大分県大野郡緒方村大字大化2483番地で死亡」(ボン書店の幻、237頁)、この町名はすでに無く原野の扱いとなっていると内堀は報告している。

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 大分での話しは、もうひとつあって。京都写真クラブつながりのAさんが由布院の旅館が持つ美術館アルテジオマン・レイが撮った音楽家ストラヴィンスキーの肖像写真(1923)が展示されていると、画像を添付して教えてくれた。「アルテジオは旅館のオーナーのコレクションで音楽にかかわる作品が展示してある」そうです。これは大分へ再訪しなくちゃ、でも、若い友人の迷惑にならないかしら(心配だ)。