芝川照吉コレクション展


仁王門通
京都国立近代美術館で開かれている『芝川照吉コレクション展---青木繁岸田劉生らをささえたコレクター』も後半(6月30日迄)になった。芝川のような眼力も胆力も資金も持ち合わせないサラリーマンコレクターであっても、芝川が持っていた物を拝見すれば、芝川の気持ちが判るだろうと出掛けた。今日は、雨も落ちてこなくて街歩きには、すこぶる気持ち良い。
 美術館の大階段を上がると正面に岸田の『道路と土手と塀』が掛けられている。ポスターにも選ばれた本展の目玉作品で、何度見ても引き込まれてしまう。画面の坂道が大階段から続いているような感覚。色彩が素晴らしく、坂道につられて狂った遠近法が岸田らしくて、不安な感じになってしまう。『代々木附近』や『早春』といった他の作品でも、坂道がモチーフになっている訳で、岸田画面の独特な硬質感がドイツ風で、まいります。『代々木附近』は名作場面の全体像を捉えていて、先の遠近法の狂い具合が判った。森田恒友の『ブルターニュ風景』を観ながら、モダニズムの雰囲気を楽しめたのはマン・レイが初個展をした年の油彩の為。坂本繁二郎の『若葉出る頃』に感じる「風」は、後の馬達にも吹いているし、奥村博史の『うららか』における「光」など、やるじゃないかと思った。工芸に関しては疎いけど人形達は微笑ましく、生活の様子を想像しながら、この横に絵画かと羨ましい。散逸しては意味をなさないコレクションとして美術館が熱心に一括収蔵した気持ちが理解できた。芝川照吉は1871年に生まれ1923年肺結核で亡くなられる。没後は関東大震災や売り立てによって、多くの作品が失われたと云う。


美術館の常設展示(7月7日迄)では、ダダに関連した作品、資料56点が展示されている。もちろんその中にマン・レイの『アングルのヴァィオリン』が含まれているわけで、久しぶりに青いボールペンの筆跡に眼を凝らした。複写写真なのに大したものなのです。デュシャンのレディメードにも再会し、ステイーグリッツの雑誌「291」第7/8号に収められた『三等船客』のフォトグラーベが、透明感のある紙に刷られているのに驚いた(このところ、記憶と違う事が続く)りしながら、ゆっくり、ブラブラ会場を回った。野島康三の裸体写真もよろしおす。ブロムオイルってどうやるのかしら。

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 その後、ギャラリー16に寄り、白川から新門前、巽橋と祇園を抜けて帰宅。自分の仕事もしなくちゃと思う。原稿、上手く書けないのよね。

白川 からとはなはし

辰巳大明神

鴨川の床