『シュルレアリスム』展と『日本写真の1968』展


損保ジャパン東郷青児美術館(損保ジャパン本社ビル)
京都始発(6時14分)の「のぞみ200号」で東京へ。品川で乗り替え新宿着8時46分。駅で迷ったが(地図持参でも、新宿ではいつも目標を見失う)損保ジャパン東郷青児美術館の地階受付へ約束時間前に到着出来た。今日は9日から始まった『<遊ぶ>シュルレアリスム』展を観覧させていただいく目的での楽しい一日を過ごす予定。同展はフランス文学者の巖谷國士氏が監修されている展覧会で、徳島県立美術館(7月9日から6月30日)からの巡回(8月25日まで)。国内各館から集められた作品に、パリのマリオン・メイエ・現代美術コレクションを加えたマン・レイ作品およそ44点が展覧されるというので、東下りをした訳。巖谷氏とメイエさんとの組み合わせは2004年に行われた『マン・レイ---私は謎だ』展でも貴重な作品が多数招来されたので、今回も期待を持ったし、事前に単行本の形(平凡社刊、作品リストは205点)で用意されたカタログで確認もしていたので、9年ぶりの再会が楽しみであった。7部屋に別けた展覧会の意図については、巖谷さんの解説に詳しいのでカタログを読まれる事をお薦めするが、展示アイデアのひねり具合が、お洒落に決まっていてファンの一人として堪えられなかった。
 第1室の肖像写真はブルトンを中心とした市松模様でチェス盤を連想させるし、雑誌「シュルレアリスム革命」のページかと思う親近感。その左のエルンストのブロンズ大作『王妃とチェスをする王』の前には椅子が置かれ、背には「ご自由におすわりいただけます。」との張り紙。座ってみると、エルンストの王とチェスを指している気分で、右奥の『永遠の魅力』と左奥の写真、それに『チェスセット』が奥行きを演出してくれて、デュシャンマン・レイにさせていただいたと、しばらく思った(笑)。シュルレアリスムに感心を持っている者ならば、すぐに理解出来る事柄、会場構成をされた方の楽しみがこちらにも伝わってくる(同病ではないだろうけど)。1938年と1947年のシュルレアリスム国際展のカタログ類が仲良く並べられているし、ダリの『回顧された女性の胸像』の立体と展覧会時の写真が並べられているのも嬉しい。
 第2室のマン・レイのオブジェはやはり気持ち良い。<遊ぶ>に照応するオブジェの気楽さとインディゴブルーの色彩が良いのだろうな、そして部屋の真ん中のケースにはデュシャンの『トランクの箱』と『グリーンボックス』にからんで、シュワルツ版の『大ガラス』を入れたアクリルの『花嫁は彼女の独身者たちによって裸にされて、さえも』が立てられ、この距離感も親密で上手いと思ったし、マン・レイの『障害物』が作る影が効果を発揮して、よろしおす。トランクの名前札を見ながら嬉しかった。
 第3室に置かれている宮崎県立美術館蔵の『デコラージュ』を確認するのが、今展の目的の一つだった。この美術館には油彩『女とその魚』(1941年)もあって、以前、問い合わせをした時に、コラージュ作品の方を知ったのだけど、現物は未見だった。光沢のある台紙に置かれた女の顔は絹で出来ているようで、金髪とヘアピンが、とぼけた調子を作って洒落ている。巖谷氏は解説でマン・レイは言葉遊びをもちこんでいて、デコラージュというのは「糊をはがすこと」の意味だけど「ボール紙に紙だけでなく髪の毛やヘアピンまで貼ってあるせいで、<デコファージュ>(髪を乱すこと)のニュアンスが加わるような気がします。」(51頁)と指摘している。---こんな作品が欲しいけど幾らするのかしら。
 第4室は写真、第5室は「人体とメタモルフォーズ」で、マン・レイの撮った『ピカソの肖像』から恋人となった『ドラマールの肖像』を並置した後に油彩2点が続き、ドラの容姿を知っている者には興味深い展開。徳島県立近代美術館の油彩は知的で魅力的な女性を現して、恋い焦がれそうになってしまう。会場は第6室、第7室と繋がって終わるのだが、瀧口修造の写真スタンドを覗き込みながら、シュルレアリスムは個別性の運動なんだと改めて思った。ブルトンの訃報に接した瀧口の心境を想像しつつ、わたしなりに「贈り物」の形で運動を続けたいと思った。
 マン・レイ以外の作品や個人蔵と記された文献資料類にも魅了されながら会場構成の妙に感心、アートプランニングレイの企画協力の効果だろうか。ここには巖谷氏の展示したいものが、置かれている訳で、カタログと一体化した展示は、シュルレアリスム的で楽しめる。何度も会場を行きつ戻りつしていたら12時を過ぎてしまった。

42階から東京都心を俯瞰、手前は小田急百貨店とJR新宿駅、今日は霞んでいます。

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東京都写真写真美術館
山の手線内回りで恵比寿へ移動。東京都写真写真美術館で残り3日(15日迄)となった企画展『日本写真の1968』を拝見する。以前にこのブログで報告しているけど「わたしが写真を始めた時期なので「これは上京しなくちゃ」と血が騒ぐ。」美術館2階の会場へ入ると東松照明の『われらをめぐる海』から2点のカラー写真が出され、指さす漁師の力強さを男根が暗示する。すぐにケースに入った「カメラ毎日」と「カメラ時代」、角を挟んで『foto CRITICA』(初見)『状況1966』と『状況1965』が眼に入り、高校生時代に戻された。ほとんど同時代的に接した雑誌たちなのである。企画構成した金子隆一氏の狙いがストレートに理解できる気分。写真100年展を思い出させる複写バネルは迫力があって良かった。それに比べると雑誌「プロボーグ」を解体して額装した作品群---よく見るとホッチキスの穴を中央に認めてしまう---には戸惑いを覚えた。写真は発表形式に従って表情を変える、ゼラチン・シルバープリントと写真網目印刷やグラビア印刷を、額装で並陳するのには無理があるかと思う。手に取ってがベストだが、不可能であるならば雑誌は雑誌のままで頁を開いて見せるのが良いだろう。幾つもの写真を見ながら、それぞれの背景を考慮するにしても、結局は作品や資料そのものの魅力が、感情を決定するのだと思う。雑誌を開いて頁の中を見たい、でも、これではといった気分。だから荒木経惟の『センチメンタルな旅』の陽子さんの美しさに惹かれる。当時、コンポラ写真と距離を置いていたから、よく知らないけど、秋山亮ニの『旅ゆけば・・・』のシリーズが面白いと思った。その後「写真の叛乱」が始まるのだけど、振り返って見ていると自分はどこにいるのだろうと、違和感を覚えてしまった。闘争の写真が美的価値に左右されていると云うか、そうした場面にカメラを向けていた証明であるような感覚。『10.21とはなにか』の二冊や広島や北海道などでの集団撮影行動の硬直した映像群に、どこにいたのだろうと喪失感に悩まされる。展覧会は東松照明の『太陽の鉛筆』シリーズで閉じられるのだが、会場構造が、展示ケースに遮られ、見えるけど「プロローグ」には戻れないようになっている(これは暗示だね)。中部学生写真連盟高校の部で自分を考える写真と出会ったわたしとしては、還暦を過ぎた今も引きずる、自己実現にまつわる挫折感を覆い隠す、人生の問題の継続を示される展示体験だった。---実は30歳で所帯を持とうとしたとき、手許に置いていた資料のほとんどを処分して「もう、戻らないぞと」決めたはずだったのだが。
 会場で何度も作品・資料を見ながら、写真に力が無くなったと感じた。今は現代美術の方法として写真がある訳で、煉瓦の替わりにカメラがある訳でない。美術館での展示においても、資料展示になってしまうと訴求力は弱まる。合同合宿の熱気や、展示パネルの物質感、ベタ焼きの動きや、汗や涙はどこへ行ったのだろうか。当時のオリジナル写真が見付からないとしたら、わたしたちは、どうやって「青春」を再現し、「老年」を乗り越えていけばよいのだろうか。力が弱くなった写真、時代と離れてしまった写真の辿る道は、悶々とした美術館の二階で堂々巡りをしているように思う。「学生運動の写真」に力を吹き替えさせるのは、個人の表現として、新たにプリントするところにあるだろう。
 展覧会のカタログで金子隆一は「この<クロニカル>には、極めて個人的な経験が反映していることを告白しなくてはならない。極めて偏見に満ちた<クロニカル>である。この偏見に意味があるとすれば、この時期、筆者は<写真を撮る立場>ではなく、<写真を撮らずに写真と関わる立場>を模索していたという点であろう。」(15-16頁)と書き、また「全日本学生写真連盟の写真家たちによって撮影された写真群は、その匿名性、集団性ゆえに写真史のなかで位置づけられることはなかった。本展における展示も、この小論も、彼らの行為のほんの一部を紹介するにとどまるものでしかない。だが彼らの行為の総体は、今日の写真表現の方途中を切り開くための重要なヴィジョンを示す<資料>として検討されてゆかなくてはならないだろう。」(182頁)と結んでいる。
 会場前のロビーには「ラウンジ1968」が設けられていて、ノートが置かれ「本展担当学芸員が選曲した1968サウンドの数々!  貴方の1968年を書いて下さい」と呼びかけられている。コルトレーンの「マイフェイバリットスイング」やオーネット・コールマンの「ジャズ来るべきもの」などをジャズ喫茶で聴いたけど、浅川マキのかすれ声に涙した夜を思い出す、でも用意されたノートに書く事はできなかった(恥ずかしい)。

『10.21とはなにか』などが載ったカタログの頁を開いた。

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それから急いで日比谷線を使い小伝馬町へ、昨年4月に開廊されたみうらじろうギャラリーを訪ねる。三浦次郎氏とはfacebook繋がりで、以前から展覧会の案内を頂いており、なんとか拝見したいと思っていた訳。今日は著名な写真家、伴田良輔氏の作品展「EROGENE」が開かれているというので、暑い中、早足で移動した。4階に上がるとエロティックな写真群で興味をそそる。お聞きすると美貌のモデルを使って撮られたポラロイドや氏開発の技法で表現された仕事で、老眼をはずし眼を近づけて楽しませていただいた。それぞれのモデルの方々に熱心なファンがいらっしゃると云う。---わたしもマン・レイのファンだから心境は判ります。しばらくすると伴田氏が来られたので紹介していただいた。今日は5時からヴィヴィアン佐藤氏とのトークショウがあるという、参加したかったがあきらめ、東京駅の方へ移動。ましとは云うが今日も暑い。

伴田良輔(左)と三浦次郎 at みうらじろうギャラリー

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東京駅丸ノ内駅舎・北ドーム内のレリーフ

「KITTE」1階アトリウム

過門香・季節の冷菜四種盛合せ

過門香・銘柄鶏肉の香醋ソース

過門香・おすすめデザート 杏仁豆腐
復元が整った東京駅丸ノ内駅舎(設計は辰野金吾と葛西萬司)で友人と待ち合わせ。ドームを見上げ写真をパチリ、それから東京中央郵便局の局舎を再生させた新ビルKITTEに入り、6階の中国大陸料理・過門香で歓談、全面ガラス張りのダイニング席から東京駅が美しく見える(地上権売買で改装資金を捻出したとか、駅を挟んで高層ビル群、日が暮れてネオンがステキです)。空間がたっぷり確保された店オリジナルの生ビール、ヴァイツェンベルグ・マイスターで喉の渇きをおさえる。いゃー旨い、夏はこれですね。いろいろな世間話をしながら、センスのよろしい中華を美味しくいただいた。熱いものと冷たいものがバランス良く提供され、紹興酒を何杯も頂きながら青いネオンに見とれてしまった。東京もよろしおすな。
 東京駅9時00分発ののぞみ263号に乗って京都着23時18分。地下鉄を四条烏丸で降り地上に上がると祇園祭長刀鉾が見事に建てられている。凜とした佇まいは京都だけのものだろうな。東京との距離感がわたしの精神に安定をもたらしてくれるのだろうな。酔いが醒めた頭で明日からの宵山を考えた(三連休初日です)。

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12時前の四条烏丸通り 長刀鉾