追悼 杉山茂太と写真集『SUD』

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写真集『SUD』
日曜日の昼前に、銀紙書房刊本の原点である杉山茂太氏の写真集『SUD』と再会した。印画紙貼付44頁、布製本・角背。40年の時が過ぎているけど、瑞々しく最高に素晴らしい。これは、高校生の時に見せてもらって虜になってしまった写真集で、手作り感に包まれ、頁の間に愛が挟まる理想の姿。こんな本が欲しいと、先輩のマネをして自分なりの写真集に挑戦したけど、才能の違いに落胆することばかりだった。銀紙書房本を作り続けているのは、写真集『SUD』を目標に追いかけ、いつまで経っても追いつけず、追い越すことなどはなから無理で、凡人は数を作ってお茶を濁すことだと振り返って思うのである。
 名古屋市内で「中部学生写真連盟高校の部」の仲間たちと再会して、笑い転げる昔話もあるにせよ、しんみりとする沈黙の時間も何度か訪れた。杉山さんは、仲間たちの最年長者ではあったが、お別れするには早すぎる年齢だったと思う。故人を偲び、写真の仕事やレーシングカーを前に、とりとめなく、何時間も話した。

杉山茂太 京都・桂


「氏、愛用のカメラ ミノルタXD」 憧れてわたしもXDを使っておりました。

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一番の親友であるIさんが使っている、マイネクライネの飾りもお洒落だな。


レーシングカーの蘊蓄も奥が深い。

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マイネクライネ 名古屋・栄 1973.3

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杉山茂太さんの関心領域は広く、写真や模型だけでなく、あらゆる事柄に一家言を持っておられた。身に着けるものもお洒落で、ドライブシューズの効用など、評価基準を論理的に説明されて、わたしたちは、その都度舌を巻いた。晩年には自転車に興味を示され、抜群の選択でフレームを組んでいたと云い、東京から名古屋まで自転車に乗ってたずねてこられたりして、「昨年まではお元気だったのに、突然の病魔が悔やまれる」と、何度も語り合って、沈黙の時間になるのだった。話しをしていると、友人・知人の多くが亡くなられていると知った。悲しいことばかりである。


夜更けて、JRの車窓からぼんやりと眼を移す……