画家たちと戦争: 展(2) at 名古屋市美術館


展覧会カタログ 藤田嗣治『横たわる裸婦』(左)、『シンガポール最後の日(プキ・テマ高地)』32-34頁

    • -

本展での戦争画と云えば、藤田嗣治の『シンガポール最後の日(プキ・テマ高地)』になるかと思うが、パノラマ風の大画面に近づき眼をこらして解読しようとしても、何かおかしい。遠近法が不自然で、戦車や飛行機が玩具風、死骸が幽霊的にみえる。取材に基づく戦争記録画であると聞くが、鳥瞰部分と近景との齟齬が影響し、作者本来の絵画テーマと異なるための「書きたくない」気持ちが現れていると思った。---きっと想像力で描かれた『アッツ島玉砕』は違うだろう。
 担当学芸員の山田諭は、猫に潜む野獣性を導糸にしながら展示空間を構成している。『眠れる女』『横たわる裸婦』から戦争画を挟んで『私の夢』へと続く時間軸から、当時の藤田を解釈するのは興味深い視点であり、「戦争責任」の側からばかりで論ずるのは良くないと思う。戦争画なのに戦争画として見えないのは、観る側の立ち位置の違いとなるのだろうか、それとも、わたしの感受性が変わっているのかしら。

    • -

 今回、驚きつつ拝見したのは、国粋主義者横山大観の「富士」図である。困ってしまうけど好きなんだよね。『神国日本』と『初秋黎明の富嶽』。カタログ・テキストに「戦争遂行のための精神的基盤としての「国体」思想を礼賛する大観の「富士」は、戦時体制という国家と国民の精神的な共同幻想においては、最高の戦争画であったことは疑いの余地はない。」(18頁)と山田は書いている。なるほど。こちらの方が、戦争画だ、恐い。

    • -

 展示会場では、「エ」型になって藤田と大観の戦争画が対峙している。その間に置かれているのが、出品作家14人の中で一番若い松本竣介(1937年で25歳(大観69歳、藤田51歳))。「勇気を持って反論した」反戦の画家。『立てる像』に観る決意の美しさに脱帽する。本展には11点の松本作品が展覧されているので、ファンの方々には、画家の置かれた時代状況が理解しやすい好企画になっていると思う。わたしは、『有楽町駅附近』が好きだな。

    • -

続く


名古屋市美術館 松本竣介『立てる像』