画家たちと戦争: 展(3) at 名古屋市美術館


展覧会について、いろいろお聞きした。

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今展は『日本のシュールレアリスム 1925-1945』(1990年)、『戦後日本のリアリズム1945-1960』(1998年)と続けた山田諭の仕事の完結編だと思う。山田は、以前から自身の仕事を戦前、戦後、戦中の三部作と発言してきた。やっと、戦後70年の節目の時期を掴んで、残された課題に切り込んだと思う。---2015年まで待たなければ「戦争画」の展示が出来なかったと云うのも辛いが、いたしかたない。

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 見事に整理された「年表」に接すると、作品は、何時、何処で発表されたかによって、社会的存在になるのだと理解できた。その意味で作品リスト中の展覧会歴は重要であり、「紀元2600年奉祝美術展」「大東亜戦争美術展」「陸軍美術展」などでの画家個々の出品作には、反戦要素が入ったものもあるので要注意である。
 そして、会場でも感じたが、改めてカタログの参考図扱いに、山田の執念のようなものを感じた(参考図なのに、カタログでは出品作と対等に扱われている)。その中には、東京国立近代美術館のものが多い。

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 一般的には、展示会場に掲げられた解説プレートは、視覚に先入観を与えて、鑑賞の妨げになるものだが、今展では、テキストの熟読をお薦めする。読まなければ、「彼らはいかにして いきぬいたのか」を考える糸口を見付けるが難しいと思う。各解説のタイトルが上手く書かれていたので、メモをとった。会場巡回順に転記しておきたい。
 1階--(1)北脇昇は「何処へ行くのか?」、(2)香月泰男の記憶と絵画、(3)横山大観の「富士」、(4)松本竣介の「街に立てる男」、(5))藤田嗣治の戦争記録画、(6)福沢一郎の「シュルレアリスム絵画」、2階--(7)北川民次の「反骨」精神、(8)恩地孝四郎の抽象と具象の狭間、(9)吉原治良の勇気ある「撤退」、(10)山口薫の「絵画の時空間」、地階--(11)岡鹿之助の絵画世界と戦争の痕跡、(12)宮本三郎の巨大な「挿絵」。尚、展示は前期と後期(8月25日から)に別れ、横山大観恩地孝四郎が福田豊四郎、吉岡堅二に入れ替わる。

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 展覧会カタログの裏表紙は恩地孝四郎の『白亜(蘇州所見)』、観ると黒い飛沫が3箇所。見落としてはいけないと思う。わたしとしては、戦争を挟んだ画家たちの仕事に接して、彼らが「いかにして生きぬいたのか」と問うことは、コレクターとして家族を蔑ろにしながら生きてきた我が身に重くのしかかる事である(合掌)。


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