ツァイト・フォト・サロン

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石原悦郎さんの葬儀告別式が営まれた東京南青山の梅窓院では、会場内に「ツァイト・フォト・サロンの歴史」を振り返る年譜展示が設けられていた。その導入部は北京で奥様の和子さんとご一緒の悦郎さんを北井一夫さんが捉えた1990年の写真。ダウンを着たお二人を見ながら、さまざまな事柄が去来する。悦郎さんによる「内外のオリジナル写真を専門に取り扱うオフィス」とする開設記念パーテイの文言に続く「ぜひ親愛なる皆様のグッドアイデアをお寄せ下さいますようお願い申し上げます。」は、悦郎さんらしくて良いな、「グッドアイデア」だものね。

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 日本橋室町に開設されたツァイト・フォト・サロンでマン・レイの展覧会が開かれる都度、東上し、拝見させていただいた。あらためて、当時の案内葉書を見直している。年譜展示にある「PHOTO dada MAN RAY」は1978.12.1-16、メレット・オッペンハイムがエロティックで興奮した。続いての「MAN RAY'S WORLD」は1980.4.18-5.17、ポートレイトの新発見と沢山出会った「Man Ray Portraits」は1989.3.10-31、その後、和子さんの画廊イル・テンポ(高円寺)に移って、未発表を中心とした「Man Ray」展1990.9.10-10.13、ジュリエットを撮したヴィンテージ・プリントによる「Man Ray photographie Juliet」が1997.1.11-2.1へと続き。日本橋から京橋に移る直前だったか「Man Ray Vintage Prints」は2001.11.29-2002.1.31の会期で開かれた。雑誌でのマン・レイ紹介、朝日新聞社による『マン・レイ写真集』の出版、いくつもの展覧会企画、日本でのマン・レイ受容にはたした悦郎さんの功績は、未開地を行く冒険家の成果であったと言えるし、求められた時代に見事に登場し、ご自身の手で切り開き、さらに、成功されたのは、仲間に愛され若者を惹き付けた笑顔と優しい声、天分の気質によるものだと思う。わたしも悦郎さんの励ましで、どれだけ「マン・レイ狂い」の道を進んだか、励ましがなければ、一人だけでは歩けない、走れない。唯一人だけでも理解してくれる人がいてくれたことが、幸せだった。そんな訳で、先年開かれた国立美術館での「マン・レイ」展に寄せられたエッセイは痛快だった。さすがに悦郎さんだと思った。わたしだけではなく、多くの若い人たちが影響を受け「人生を進んだ」と思う。初めてお会いしてから40年ほどが経とうとしているけど、「若かった頃」を思い出して、涙がひとしずく床に落ちてしまったのである。

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