京都の石原です。

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石原悦郎さんの葬儀告別式が営まれた3月5日(土)は、奇しくもギャラリーときの忘れものでの連載『マン・レイへの写真日記』最終(第24回)の日、式場はときの忘れものと目と鼻の距離、綿貫不二夫さんとお会いしたので、悦郎さんの功績や人柄について話ながら画廊まで戻った。綿貫さんと悦郎さんとのお付き合いは長く、画廊のブログでも追悼の言葉を寄せておられる。わたしが写真のコレクションを始めた頃、ギャラリー16で『PRINT COMMUNICATION』誌でのインタビュー記事での悦郎さんの発言を読んで、「うなった」のを覚えている。時代に先駆けたツァィトのスタートだったけど、共感を持てるので違和感はひとつもなかった。綿貫さんは『ツァイト・フォト 石原悦郎さんを慎む』としてオマージュをブログに書いておられ、その中で

「石原さん、なぜ写真のギャラリーなんですか」と聞いたら、「ワタヌキ君、銀座に画廊は400軒あるんだ。ボクが普通の画廊を開いたら401番目からのスタートだよ。誰もやっていない写真のギャラリーを開けば、ボクはその日からナンバーワンだからね。」、いかにも石原さんらしい答えでした。あれから38年、見事に初志を貫いて「写真」を美術作品に押し上げ、日本の写真界に一時代を築いた功績は永く記憶されるでしょう。オープンの年に私たちが石原さんにインタビューした記事を、追悼の心をこめて再録します。

 そして「石原さんにもらった作品」と云うヴォルスの写真をブログに掲げておられる。お邪魔したときの忘れものでの壁面は、マン・レイへのオマージュとなっていて、加えてマン・レイによるジャン・コクトーの肖像と『ミスター&ミセス ウッドマン』の版画が並べられていた。

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石原悦郎へのオマージュ

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綿貫不二夫氏

 ときの忘れもののブログでは、写真評論家の飯沢耕太郎氏の追悼文『石原悦郎──写真をアートにした希代のギャラリスト』を3月9日に掲載、わたしの『マン・レイへの写真日記』第9回での「ダニエル画廊」も合わせて紹介して下さった。悦郎さんへの追悼文、業績評価の仕事がいくつも準備されていると思うが、葬儀告別式の会場で示されていたのは粟生田弓さんによる『写真をアートにした男〜ツァィト・フォト・サロン石原悦郎物語〜』(仮題)、小学館から夏頃に刊行されると云う。早く読んでみたい、悦郎さんが生きているような本になっているだろうな。