田上山城・田上寺

3月9日ー2

臨済宗・田上寺(廃寺)の跡地

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葦守八幡宮にお参りした時、社殿下部に「葦守の諸城と城主---戦国時代保元元年より天正元年に至る」を示す小さな表記があった。五つの山城が近くにあったようで、鍛冶山城(大森次郎左エ門)、宮地山城(乃美元信守)、清水山城(岡越前守)、冠山城(林三郎左エ門重眞)、そして、表記左端が以前から気になっていた田上山城(田上弾正佐伯直衡---弾正は下足守宮山田上家の先祖にあたる)の記述。
 Yahooなどのインターネットで画像検索をすると、ピンポイントで求める情報に行き着く。裏付け確認は必要としても十分な威力を発揮する。「田上弾正」のお墓を知ることができたのは、最近の大ヒットだった。廃寺となった田上寺に新撰組隊士安富才輔のお墓がある関係で、画像もアップされており、ある方が「田上弾正」のお墓も写真で紹介してくれたのだった。

田上弾正のお墓(ブロック塀手前右から二つ目)


 地図で田上寺の見当は付けていたのだが、近くの人に尋ねてもはっきりしない。車で登るのも難しそうなので、歩いたところ、うまく尋ね当てることができ、田上弾正のお墓もすぐに見つかった(ブログ紹介の画像に助けられた)。田上一族の墓石が並ぶ中、最奥に祀られていた。手を合わせる。

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 国道429号線足守川に沿って南下、岡山市内に向かう。これから、お墓まいりをしなくては---

11:37