荒木とフランクの写真集 How mach

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昨日はヘリングで、超貴重写真集を拝見した。解説書などの知識と違って、現物の印刷インクや紙の手触りから受けるリアリテイに参ってしまった。




荒木経惟『沖縄 荒木経惟写真集2 続センチメンタルな旅』(私家版(限定1000部)、1971) 荒木に関しての拙宅架蔵本は『おー日本』だけなので、距離を置いて写真集を見てきたのが実情である。しかし、このところ、わたし自身の写真集を作りたいと考えているので、本作における荒木の意図が理解出来た。写真集を作ると云うのはこれだよな、表紙に持て来た写真は裏焼きだし、見開き2点で関係性を示しながらの頁展開に巨匠写真家たちからの引用を散りばめたスナップ表現は、閉ざされ丸まった画像を開く感覚と、存分の余白で開く、手にした者の意思が重なって、時代の感覚がいっぱいである。一緒に見ていた森岡パパのするどい解説に一同、目からウロコの鑑賞会だった。聞くところによると、本書を持参された方はサイン入りの『センチメンタルな旅』もお持ちとの事、世の中には恐ろしい人が居るものだ。---財力と云う意味ではないですよ。


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ロバート・フランクアメリカ人』(ロバート・デルピール、1958) 拙宅架蔵本はアパチャーが1969年に出したアメリカ版(1959年の再版)で、写真のみを咀嚼してきた。ところが、最初のフランス版は、アメリカに関する論文やエッセイ、加えて統計資料などの言葉を「縱膻無尽」に引用した、"文章"と"写真"の相互作用に溢れた頁構成。同書の感想を吉村伸哉は「この本全体が、こういった"文章"と"写真"の唐突で脈絡もない"出会い"にあふれていて、それがなんともシュールな感じで、著者たちの狙いもそこにあったのでしょうが、ウイッティでもあり、まことに面白い。」(『現代写真の名作研究』26頁)と書いていて、若い時に読んだ記憶が、現物を手にして蘇った。吉村氏は「日本でのフランクのファンには都会人が多い、というのも、そういったヨーロッパ的ソフィスティケイションに、一種の共鳴を感じるせいでしょう。」(前掲書33頁)とも書いている。この歳になると仲の悪いフランスとアメリカの縮図と思ったりする面もあるけど、この写真集、「誰か」くれないかしら。ルパンお願い、ごめん、人違いでした。